この日曜日。久々に、丹沢の大山に行ってきた。
と言いたいところだが登らなかった。
散歩というのがふさわしいか…
山頂に至らず、文字通り下の神社は下社前の出店で宴会してケーブルカーで帰ってきた。
またまた初山行の方を大山にお連れする企画だったのだが、当のご本人以外に…
寝不足・二日酔い・体調不良という3人が加わり、やってはいけないハイキングの見本みたいになっていたと思う。
メジャーな山でグダグダハイキング。しかも酒気帯び参拝。
というヤマレコをUPしていいものかどうか迷ったのだが、一般の山屋さん達は素通りするであろう下社の様子を写真に収めてきたので、これも書かせて頂こうと思っている。
日ごろ信仰だとか信心に無縁な自分だが、何かを信じたいとか何かを畏れるという気持ちは人が生きていく上であったほうがいいものではないかと思う。
何でも人間様中心だと思わないがいいのかなという意味で。
宗教アレルギーという言葉まであるこのご時世に「神様」という言葉に抵抗がある方もいるかもしれないが、山や海などの自然ばかりは人間にはいかんともしがたい。というところから人の信仰は始まっていると思えばさして抵抗感もないと思うのだが。
寺だって○○山××寺っつうくらいなもんだし。
もっと遡れば山自体が、まさに信仰の対象そのものだったのだろう。
古くから信仰の山だった丹沢大山は昔はどんな山だったのだろうか。
近年の寺社仏閣ときたらなんだか俗世の香りがプンプンするのだが…
なんだか信仰心のあつい方が聞いたらお叱りをうけそうだな。
酔って、思いつきで書くにはふさわしくない内容ではある。
御詠歌・賛美歌なんでもござれの節操ない見習いが今日山内で思ったのは、
「日本って平和だな〜」なのである。
こんにちは
信仰のことを語れば、ええ、それはもう際限なく綴ることになりますので控えます。古今の歴史、信仰の違いで戦争にもなります。笑。
まず瞑目し山頂から眺める銀河の広がりを想うことです。漆黒の闇に輝く星辰(せいしん)の瞬きを仰ぎます。にんげんのちっぽけさを否応無しに知ることに。ちっぽけではあるけれど、その胸の奥底に宇宙に勝るとも劣らない広がりを感じることができたら。信仰の本質は「生と死」にあるように思います。なにせ日本はヤオロズの神の住むところのようで各山頂にはカミサマがでんとおすわりになっていらっしゃいます。くれぐれも、ごきげんをそこねてはいけないのです。あは。
酔いどれながらでも思いつきで書く中に金のようにキラリと光るものが宿っているように思います。ところで山行記録上げましたか?楽しみに読ませていただきますぞお。
丹沢大山、、そういえばとんと登っていないなあ。毎年、暮れかお正月にはヤビツから登ります。ボッカ訓練に大倉尾根はちょうどいい。電電に乗って汗を流して来るかな。
>信仰の本質は「生と死」にあるように思います。
信仰の原点はおそらくそこでしょうね。
しかし信仰が多様化したのは、人の生活の多様化と共に「生と死」という人が向き合わざるを得ない根源的な悩みから離れた事にあるのかと。
豊か過ぎるから「金が欲しい。」とかオプション的なご利益信仰に走れるわけです。
昔の人はもっと切実だっただろうと思われ…
キリがありませんね。やめましょう。
日本人の八百万の神信仰は実に日本人らしい大らかさと人間臭さを反映していて、私は個人的に好ましく思っております。
>くれぐれも、ごきげんをそこねてはいけないのです。
山の神様は嫉妬深い女性の神様だとよく言いますねえ。
嫉妬されるようなネタが無さ過ぎるのも考え物です。あは。
私は日本人なので、酒の神様はバッカスではなく松尾様と仰ぎますw
大倉に行かれるのですか?
くれぐれも腰はお大事に^^
力作の登山記録二題、読みましたで〜。いやあ自由闊達、まさに快刀乱麻の筆の走りでしたなあ。微に入り細にわたり、臨場感溢れて、まっことお見事でした。満点です。
ありがとうございます。
ほめられちゃった。。
でも、たまには真面目に書かないとレッドカード出されちゃうかも(^_^;)
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