盆も終わり、少し涼しくなってきた夏の夕方。
どうやら完全に道に迷ったようだ。
慣れた山域だからと気軽にフラフラ歩いたのがまずかったか。
自分を取り囲む樹林帯が果てしなく続くように感じるのは
日帰りのつもりでストーブや幕営道具を持たない焦りからだろう。
地図を確認しようにも少し開けたところまで出なければ
このままでは周りの地形が確認できない。
まあ最悪ナイトハイクか…
日没も早くなってきたしな。とヘッドランプをザックから取り出しておく。
カチッと押してみるもライトがつかない。
何度も押してみたり電池を入れ替えたりしてみてもやはりつかない。
これは厄介なことになった。
水はまだある。食べなかった菓子パンが一つ。
雨具はあるが、着替えはないしと思った瞬間から汗冷えが始まった気がする。
駄目だ。冷静になれ。立ち止まっているのだから当たり前だ。
冷静さを欠く前に現在地のあたりをつけられるところまで行かなくては。
いや。日が暮れる前に風にさらされないような場所を探すべきか。
いずれにしてもこの樹林帯は抜けたい。行こう。
歩けど歩けどどうにも景色が変わらぬような錯覚に陥る。
日はどんどん傾いていく。
握りしめた携帯電話の液晶画面の明かりがやけに暗く思える。
ヘッデンさえつけば。ビヴィでも持ってきていれば。
と考えても仕様もないことを考え始めた時、前方になにやら見えてきた。
あれは小屋…?作業小屋か?
「で、そこで雨も降ってくんの。もちろん小屋に入るでしょ?」
嫌だね。絶対入らない。低体温症になろうとも入らない。
だいたいにおいて怪談っていうのはそこからスタートするもんだろう。
「そんなこと言ったら話が進展しないでしょ。つまんない。
じゃ雪山!これが雪山だったら入るでしょ!?」
雪山なら入る。でもザックカバーかぶって玄関でうずくまって一歩も動かない。
「はあ?続けるよ。」
致し方なく入った小さい小屋の中は明かりをとる窓がないようだ。
扉を開け放した玄関を境に完全に日没していない外は少し明るく
中は自分の少し先も見えぬほどの暗闇である。
この玄関があの世とこの世の境じゃなきゃいいけどな。
などと幼稚な考えが頭をもたげた瞬間、奥の方からギシっという音が聞こえた。
家鳴りか?
小さい小屋なのだから探索してしまえばいいようなものなのだが
ヘッデンもつかないし、釘でも踏んだら困ると自分に言い訳をしてじっと玄関にうずくまる。
疲れて寝てしまいでもすればあっという間に一夜が明けるかもしれない。
そうだ。携帯の充電はまだある。
音楽でも聞いて気を紛らわそうと思った瞬間、人の声が聞こえた。
聞き覚えのある声である。
「で、小屋の奥の方から私にそっくりな声が聞こえるの。『痛いよお。助けてよお。』って。奥の方に行ってみる?」
嫌だね。絶対行かない。その場からどうしました?って呼びかける。
「呼びかけても返事はないの。で、しばらくすると『おいでよ。こっちは楽しいよお。ふふ。』って声が聞こえてくるの。どうする?」
ひーーーーーーーーーーっ!小屋から出る。逃げる。
遭難して野垂れ死んでもいいから逃げる。
「それが山屋の言うことなの?」
という怪談ごっこ?を姉と私が繰り広げていたのは数ヶ月前のことである。
ホラーゲーム好きの姉が「もし、この舞台が山中だったらどうする?」と
言いだしたのが始まりだったような始まりじゃなかったような。
姉も私も「お化けなんていないと思う。信じてない。でも数々の怪談話はあるし、魂とか霊魂が絶対にありえないと思うか?って聞かれたら自分が見てないだけかもという点で全否定はできないんだけれど。」
という考えでは一致している。
しかし異なるのは姉は滅法怪談に強い。大好きといっても過言ではない。
信じていないからか、よりリアリティのある怪談の出来を楽しむような節がある。
一方自分はとことん弱い。怖いもの見たさはあるらしく大勢でわいわい話しているうちはいいのだが、その後がもう小便垂れである。
まず1人になるのが怖い。家に帰る道中が怖い。
トイレのドアも開け放し、風呂では髪を洗うのも鏡を見るのも怖くなる。
家じゅうの電気をつけて音楽などをかけまくる。
ホラーもののCMなどを見ないために夏場1人の時はテレビをつけなかった時期もあった。
信じてはいないくせに見てしまったらどうしようと思うのか怖いのだ。
山中においても怖いものは怖い。
どうにも怪談の常套というのには人間が絡む気がする。
人が死んだ場所。人口工作物など。
動物の幽霊話も往々にして飼い猫や飼い犬ではないか。
野生の熊の事例などは聞いたことがない。
なので熊はお化け的な観点では大丈夫?ということになる。
が、有人小屋の飼い猫ミーちゃんが一年も帰ってこないとなると話は別だ。
他にはただの川ならいいがそれに橋が架かるともういけない。
橋を渡るとやれ別世界だの橋の袂に髪の長い女だのが現れそうだ。
神社だの無人のダム管理施設だのに至っては夜は見ないようにしている。
それがない場合はいい。山と川だけならお化けが出る隙はない(?)。
が、人工物皆無という山はそう多くはないし不便や危険がともなったりすることも多い。
避難小屋→なんかでそう。夜中にノックとかされたら心臓止まりそう。
でも荷物軽いし、荒天時は外より安心。
テント→ちょっと重いけどこんな狭い所にお化けは出なさそう。
でも起きたらテントの周りに足跡がなんて怪談もあったし…
ビヴィ→虫や悪天はやっかいだけどこれはノーお化けでしょう。
という非常に理論的でない安全度とお化け率からその日の幕営地を算出したりしている私だがこれはよくないと自覚している。
この山中お化け話については以前ツイッターでも書いたことがある。
返事をくれたフォロワーさんの話はだいたい二分した。
「お化けなんてナンセンスなこと言ってる場合じゃないでしょう。
山で怖いのは天候とか熊とか質の悪い人間ですよ。」派と
「怖いよね。私は○○山のテン場でこんな体験をしました。」派である。
これがまた自分には悩ましい。
前者の言うことは尤もで自分もいざとなったら生命の安全を優先する行動をとるとは思う。
が、日ごろ理論的でつまらない嘘などつきそうもない人達が話す後者談を一笑にふせない。気のせい…見間違いですよね?
と自分を納得させるのがせいぜい。
なので避難小屋を背に沢沿いにツェルトを張るなどという訳のわからない折衷幕営スタイルをとったりすることになるのだ。
現在、単独幕営で怖い話を思い出してしまった時は
「職場のあの人よりマシと思えば、お化けも怖くないよ。」
「カップルだったら性的なことをすればお化けは回避できるかもしれないけど
シュチュエーション次第ではジェイソンが来るよ!」
という実にユーモラスなフォロワーさんのアドバイス?を思い出して怖さをしのいでいる。
お化けが全く怖くなくなる薬はどこかにないものだろうか。
fooさん こんばんは。
実は怪談はあんまり得意じゃないです。
でも嫌いでもない。という矛盾だらけの性格です。
でも、怪談なら猥談の方が好きかなぁ
nightsさん こんばんは☆彡
怪談嫌いじゃないんですが聞いた後がもう駄目です。
猥談はどんと来いかなあ(笑
nightsさんは1人でホラー映画とか
いわくありげな避難小屋とか平気ですか?
ゲキさん(デコデコてっぺん の作者)によれば、子供を産んだら
まったく怖く無くなった。らしい・・・
出産は脱皮か?
ゴキブリや熊の幽霊はいない。人間も同じで、生き物は死んだらそれで終わりです。でも、人間は何かそこに意味をもたせたり、死に行く人も、失うまいとする側も、なにがしかの存在やつながりを願ったりする。そういうもろもろのことの、一つの結果が、幽霊です。
理屈で考えれば、人間だけのこんな特別視は、なりたたないものです。
そういう事情から、幽霊は、想定の範囲内でしか話に出てきません。
でも、よくよく考えると、人類は地球にすでに数百万年の世代を重ねています。世界の山、日本の山野では、どの場所でも、無数の人間が亡くなったり、殺されたりしています。
だから、もし幽霊がいるのだったら、彼らは、人間が典型的に怖がる場所や状況だけでなく、繁華街でも、どこにでも出てくるはずです。
しかし、だいたいにおいて、人が怖がるような場所で、幽霊は想像される。山には、なぜか登山者の幽霊が出たがる。
また、何も現代人だけでなく、戦国武者とか、縄文人とか、ネアンデルタール人のお化けだって、出てきていいはずです。人間だけに、幽霊として再登場できる能力がもしあるのだったら。
でも、それも想定外の登場人物は、出てこない。
私たちは、人、家畜と野生動物、魚や昆虫たち、そして森の植物やきのこなど、あらゆる生命たちが生きて、死んでいった場所で、生活し、行動しています。
人間にかぎって幽霊を想像できるのは、人間の特権ですが、それはやはり想像でしかありません。
人間の命だけが、特別なものではない。原理はみな同じで、たまたまこの地球の現瞬間に、生命世界の頂点にいると誤解しているだけです。
実際のところ、先もわからない。
きっとどこかの惑星では、別の高等生物が、同種の仲間の範囲の幽霊に怯えているかもしれません。
一人ぼっちで山に入ったら、一人ぼっちでないと味わえない感覚を大いに楽しみたいと、私は思ってきました。一人で山ですごすのは、貴重な体験です。
幽霊は、それを想像するから、出てきそうなだけです。
はじめまして。
怪談。強くないけどかなり好きです
とってもわくわくして読んでしまいました
京極夏彦さんの小説も大好きで
幽霊というよりも人間の怨念が凝り固まった妖怪の方を想像してしまうんですね。
私も山に行って、何も見えないけど「なにかいるんじゃないか?」と思うだけで、
背筋が冷えることがよくあります
お盆の終わりということは
しばらくしてこんなシチュエーションに出会っちゃう人がヤマレコの中にもでてくるかも?
お母ちゃん達はお化けなんぞに怯えてる暇なさそうですからねえ(笑)
出産はもっとも自分には難しい解決方法です…orz
「人間を頂点化しないと幽霊は成り立たない」というお話とても心に残りました。
日ごろの自分はどんな生物も死ねば土に還るし、自然界から見れば生物に優劣はないと思ってきました。
葬式も死者の霊を弔うというより残された人のためにあるものだと。
だからこそ幽霊・怪談噺は人が絡まないと絶対発生しない人の文化だとも頭では考えてきました。
しかし、いわゆる出そうなシュチュエーションになると聞いた心霊体験というのか曰く霊感話を思い出したりしてああいう良識ある人が真剣に言うのだからいてもおかしくないのか?いたらどうしよう?と怖くなったりもします。
例えば山の神や森の精霊というのは人が頂点でないと思うからこそ人が作ったものだと自分は考えます。
本当は山も森も唯あるだけだと。
山頂の社にある木像もただの木材なので遭難しかけたら有難く火にくべさせてもらいます。
でも、木像を燃やしたり宗教画を踏んだりはできませんという人の心理には人が頂点ではないという人ならではの畏れがあるようで大事にもしたいのです。
ゆえに自分の見えないものはいないと思うのは自分の驕りではないか→
山の神や酒の神がいるなら幽霊もいたっていいだろう→
いたらどうしましょう!ひーっ!という訳のわからない三段論法が自分の人生で今までまかり通ってきたわけなのですが。
逆だったんですね…
tanigawaさんの処方箋確かに頂きました。
ありがとうございます。
調剤薬局は山で探します。
怪談お好きなんですね!
怪談ではないのにこんな釣るような題名と出だしの文章でがっかりさせてすみません^^;
ただ姉とした怪談ごっこが面白かったので読んでいただく山屋さん達にも想像して欲しかったんです。
人によって全く選択肢と反応が違ったものですから。
以前、読んだ京極堂シリーズ面白かったです。。
ゲゲゲの鬼太郎ですら怖かった自分が妖怪好きになれたのはまさに彼が言うところの憑き物落としですね(笑)
背後が怖くなってしまった時、振り返りさえすれば幽霊の正体見たり枯れ尾花ですむんでしょうが見れない小心者でして、いやはや。
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