それが、長岡、寺泊観光である。
寺泊は、シーズンオフ扱いで佐渡汽船が止まっていたが、寺泊海水浴場と市場は活況を呈していた。
市場街の一本裏が美味しかった。機会があれば再訪したいところだ。
長岡〜寺泊間では寺泊への信濃川用水分水点を見た。
新潟の街に流入する信濃川の水量の調整は必須であり、洪水などで増水した時は基本放流路に水を回すようだ。
長岡では山本五十六記念館、河合継之助記念館があり、米百俵祭りと回った。
但し、城下町にしては昔が残っていない。これは空襲のためとも、戊辰戦争にて賊軍扱いされた故とも思われるがそれを確認はできなかった。
米百俵祭りに関しては、三連休とあって進学・就職で土地を離れた人向けか10/8は三十路祭をするとあった。寺泊、山古志などを含んでも人口24万の長岡市は、先日まで住んでいた静岡 富士南東エリアと同じ課題を含んでいるように思えた。そう思うといい取り組みだと思うし、他の自治体でも検討してほしいと思う。
山本五十六・伊藤整一、彼ら開戦反対派の人間に現場の指揮を命ずる体制である時点で既に終わるべくして終わった気がしなくもない。
本当に反省すべきは、マリアナ敗戦からナチスドイツの壊滅までの約1年間に白旗を挙げられなかった事、挙げることを認めさせられなかった人々の責任に帰する。
これができていれば、沖縄戦も満州の悲劇も本土空爆もなかったのだから。
それはおいて置き、五十六語録は指導者もそうでない人も社会人ならば知っておいていいことが数多あると改めて感じた。
旗艦 長門の旗が返還された翌日に行けた縁を思う。
なお山行に関しては夜半まで雨が止まず、荒沢はリスクヘッジで止めとした。
これゆえ、山行自体へのやる気も失せ、結局中越観光のみになってしまった。
これはこれで楽しめたからいいと思うことにする。
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