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ひょんなことから、こちらにお伺いすることがありました。
「箕輪町立箕輪中学校」の名前を聞いて、
うん???「聖職の碑」で読んだ学校名は…
ここだったような?
昇降口近くに、おおきな石碑があり近づいて見ると
修学登山隊のレリーフがあり、
裏に回ってみると、やはり聖職の碑で読んだ
遭難の様子が記されていました。
改めて、亡くなられた方々の冥福を祈り
その後の安全登山における、指針というか、
肝に銘じる思いを伝えるために
語り継がれていることの大切さを感じました。
桜が咲き始め、東に仙丈ケ岳、西に駒ケ岳の望める地の
中学校の歴史を感じながら
穏やかな天気の下、
有意義な時間を持たせていただきました。
aonumaさん、今晩はです。日本の近代登山が始まって久しいですが、西穂や唐松、薬師岳など、学生の山岳遭難は知っていましたが、駒ケ岳修学登山は知りませんでした。遠見尾根は地蔵の頭だったかな、テレキャビン山頂駅手前だが記憶はっきりしませんが、慰霊の碑多さに驚きました。柏原新道から2泊3日の縦走の最終日でしたが、当時は登山靴を忘れたり、山小屋への到着の時刻が19時をまわったりと、今では考えられないお粗末な山行だっただけに、慰霊碑には心にずしりと来るものが有りました、深く反省。
kintakunteさま、こんにちは。
映画化された新田次郎氏の「聖職の碑」の舞台ですね。
山岳文学ですが、やはり小説とされたもので、
地元の人のとらえ方とは若干違いがあるようです。
そもそも、駒ヶ岳登山で利用しようと思っていた、
山小屋。当時、石室と呼ばれていた小屋の設備には
諸説あり、下見登山の有無も問いただされる面もあるようです。
山の歴史を紐解くと、多くの方々の命が奪われていることを知ります。
同じ山でも想定外の天候の変化がもたらすことが大きな原因であったり
無茶な行動や装備の不備、ちょっとした油断が原因だったりと
考えさせられます。
集団登山、特に学校登山ではリーダーの判断が問われます。
今回の石碑を見ながら、考えさせられることが多くありました。
とはいえ、この学校は今もなお、ロープウェイを使わず、
先人たちの歩いたコースを登り、
慰霊をするといった話を聞きました。
ただただ、頭が下がる思いです。
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