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30年前、日和大橋ができて間もない頃?は
その波打ち際で桜貝が拾えるくらいきれいな浜でした。
友は岩切へ引っ越していたため難は逃れましたが、
生まれ故郷をなくしてしまった悲しみは計り知れぬものでしょう。
復興のために現地でおみやげを売っている方々にお話を聞きましたが、
まさかここまで被害が広がるとは誰も思っておらず
ほとんど手ぶら状態で、日和山へ登ったそうです。
テレビ画面で見た状況は、現地の方々は停電でまったく見ておらず、
ラジオだけが頼りだったそうです。
日和山へは車で行けますが、もちろん狭い坂道。

皆さん歩いて登ったのでしょう。
多くの方の命を奪った津波。その後の火災。
日和山へ避難した人はその光景をまざまざと見ていたようです。
それでも、ここまで逃れた方々は皆無事だったのでしょう。
海沿いの小高い丘のような山も命を守る素晴らしいお山なのですね。
身近なお山を大切にしていきたいものです。


ちなみにこの日、8月4日、石巻にいる時に
震度5強の地震に遭いました。
その揺れの大きさは・・・驚くばかりのものでした。
このような余震をずっと感じていた方々が多かったのですね。
ただただ信じられないことばかりでした。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。



aonuma1000さま、こんばんわ。
1か月たって、山行以外の
3、4か月前だったか、テレビをつけたら、全日本綱引き大会をやっていました。私も以前この大会の運営に携わり知り合いの審判仲間が映っていました。
宮城の七が浜というとこに住んでいた方です。
震災後電話したら、やはり自宅が流されたと言っていました。
テレビで元気な姿を見て、久しぶりに電話したところ、まだ仮設の住宅住まいとのこと。
ご本人は、「もう馴れた」と言ってはいましたが、まだまだ復興には時間がかかるのだな。と感じました。
設備、インフラの問題もさることながら、大事な家族、知人を亡くし悲しい気持ちを抱えて頑張って生きている人たちもたくさんいるのでしょうね。
日々普通に生活でき、山にも行って楽しめる事は、普段はあまりなにも感じませんが、幸せな事ですね。
ご無沙汰しております。飯豊連峰の山行ワイルドですね。
宮城県へもっと早く行かなければと思っていたのですが、
ここまで伸ばしてしまい、懺悔の思いを持ちながら出かけてきました。
石巻出身の友達が複数おりましたが、皆無事でした。
しかしながら、友の親戚や同級生へと幅を広げると
やはり亡くなられた方も多く、単純に良かったと言えない現状です。
更地になった土地は少しずつ、
開発が進もうとしているようですが、ほんの僅かな場所の感じです。
仮設住宅が至るところにあり、まだまだ復興は先の感じです。
現場に行くと、自分の力なさがよくわかります。
何ができるかわかりませんが、
こうやって発信することで、震災被害はまだまだ
続いていること。忘れてはいけないこと・・・・etc。
長い年月をかけて、気持ちをつなげていこうと思います。
がんばろう東北、ではなく。
共にがんばろう!日本。の気持ちを大切にしたいと思いました。
こんばんわ
行ってみたいと思ってますが、山と違って遠い東北です、いえ茨木も行ってません。
軽はずみに行ってはいけないような気もします。
東北自動車道のPAで何か買うくらいです。
やっぱり行って来なくてはですね、マスコミと違って近い人の写真をみると現実味が伝わってきます。
震度5ってすごいでしょう。あの日私の所は5弱でした。
yumesouf様、いつもコメントありがとうございます。
また、昨日はご同行ありがとうございました。
こちらのコメ気づかず遅コメすみません。
時が経つことは、いろいろな思いを軽減してくれるものですが、
忘れてはいけないこと、風化させてはいけないことも
たくさんあるものです。
被災地の方に対して何ができるかわかりませんが、
一時の募金だけではなく、長期にわたって
心にとめた活動をしていかなければいけないと感じました。
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