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更新日:2020年06月27日 訪問者数:141
ジャンル共通 技術・知識
日本の山々の地質;第2部 北アルプス、2−11章 立山 〜火山でしょうか?〜
bergheil
立山山域全体の地質図
・赤色;花崗閃緑岩(深成岩、ジュラ紀)

・薄い赤紫色;花崗岩(深成岩、ジュラ紀)

・濃いめのオレンジ色;安山岩、玄武岩質溶岩(第四紀 完新世(〜1万年前))

・薄いベージュ色;花崗岩(深成岩、白亜紀)

・青色;(片麻岩(飛騨変成岩類、トリアス紀)

・あずき色;はんれい岩(深成岩、ジュラ紀)

・ミントグリーン;手取層群(白亜紀、湖堆積層)
立山中核部の地質図
・雄山、大汝山、浄土山(赤色);花崗閃緑岩

・真砂岳、別山(薄い赤紫色);花崗岩

・室堂付近(オレンジ色);安山岩、玄武岩質溶岩(立山火山噴出物)
立山カルデラ部の地質図
・オレンジ色;安山岩、玄武岩質溶岩
(五色が原、弥陀ヶ原、立山カルデラ部)

・赤色;花崗閃緑岩(浄土山)
室堂から立山主稜部を望む
・手前の池はみくりが池(爆裂火口跡)

・立山主稜部(雄山〜大汝山〜富士の折立ピーク)は、ごつごつした稜線
左手はなだらかな真砂岳
富士の折立ピーク
花崗閃緑岩からなり、岩が多い稜線の一部
地獄谷の火山活動
雪に覆われてなお、噴気を出している硫黄のチムニー(地獄谷にて)
大日岳の稜線から見下ろす、弥陀ヶ原
なだらかに右手(西側)に下っている溶岩台地。
(遠景は薬師岳)
2−11章 立山 〜火山でしょうか?〜
2−11章 立山 〜火山でしょうか?〜

 立山は、古くは立山信仰(立山講)でにぎわい、現代では黒部立山アルペンルートにより、国内観光客だけでなく、海外の観光客も登る、手軽で大人気の山です。
 また北アルプスの中で、槍穂連峰以外に唯一となる3000m峰でもあります。
 まあ、ヤマレコユーザーには改めて細かい説明は不要なほどの名山ですね。


 さて、富山側からアルペンルートのバスに乗って室堂に向かう際、バスの案内で「ここ弥陀ヶ原は立山の噴火でできた溶岩で覆われています」などの説明がありますが、じゃあ立山は火山なのかどうか? 疑問に思われる方も多いでしょう。
 実は立山は、火山としての側面と、非火山性の3000m峰という側面の2つを併せ持っている、少しややこしい山です。それぞれの側面を見ていきましょう。

1.非火山性の3000m峰としての立山、その地質構造
 1−a)花崗閃緑岩ゾーン
 立山を構成している地質の多くが、地下でマグマが固まってできた深成岩の一種、花崗閃緑岩でできています。この地質の生成年代は、前期〜中期ジュラ紀(約2.0〜約1.7億年前)です。この地質は、黒部五郎岳、薬師岳の章でも出てきましたものですが、「立山山脈」の多くで、基盤岩あるいは表層の地層をなしています。
 その分布範囲を「地形図」で見てみると、立山の主稜部(雄山、大汝山、富士の折立)、室堂の南の浄土山(2872m)、さらに少し離れている奥大日岳(2606m)、大日岳(2498m)も含みます。また富山平野側(西側)の麓に近いところまで分布しています。稜線の東側、黒部渓谷に面する斜面も、この花崗閃緑岩と、後述の花崗岩でできています。
 これらの山稜を歩くと、いかにも北アルプスらしい、白っぽいザクの多い、明るい稜線を構成しています。
 この「地質図」を見ると基本的に立山は、第四紀における北アルプス全体の大規模な隆起により、地下深くの深成岩が表面にでてきて形成されていることが、良く分かります。

 1−b)花崗岩ゾーン
 「地質図」によると、立山主稜部のうち、真砂岳、別山付近だけは、「花崗岩」でできています。前にも説明しましたが、「花崗岩」と「花崗閃緑岩」とは兄弟のようなもので、同じく地下深くできたマグマだまりが冷え固まってできたものです。
 両者は見た目でもほとんど区別はつきませんが、分布域を見ていると、微妙な性質の違いが、山容に現れているように思われます。
 具体的に言いますと、一の越のコルから先、雄山〜大汝山〜富士の折立ピークまでの立山中核部は、岩稜帯となっています。その先、富士の折立ピークから急な道を200mほど下っていくと、急に稜線は幅広くなり、真砂岳、立山別山まで、白っぽいザクが続く、のびやかな稜線となります。実はちょうど、富士の折立ピークと真砂岳との間に、花崗閃緑岩ゾーンと花崗岩ゾーンの境目があります。
 花崗岩も花崗閃緑岩も、同じ深成岩で、また生成時期も同じジュラ紀なのですが、おそらくは、真砂岳、立山別山あたりを構成している花崗岩は、鉱物の粒子径が大きいなどの理由により、立山中核部を構成する花崗閃緑岩よりも、風化が早く進んでいるのではないか?と思われます。
 地質が地形、山容にどの程度影響しているかはまちまちですが、ここでは地質のちょっとした違いが、山容に影響している事例の一つではないか、と思います。


2.火山としての立山
 火山としての立山は、その活動領域の中心が、弥陀ヶ原の南側にある、大きな半円状のくぼ地です。この場所は「立山カルデラ」と呼ばれていますが、弥陀ヶ原の南のヘリに行かないと見れない場所なので、意外と気が付かない方も多いのでは、と思います。私も以前は、室堂近くの地獄谷あたりが火山の中心部かと勘違いしていました。

 さて立山火山の歴史は、結構複雑です。
 ここでは(文献1)の内容に基づいて、立山の歴史を見ていきます。

 立山火山の活動歴は、3つの活動期に分けられています。

 2−1) 第一活動期;約22〜20万年前に立山火山の活動が始まりました。溶岩を噴出しながら成層火山が成長しました。その後、約15-11万年前には、成層火山(この成層火山の標高は不明ですが、3000m前後と思われます)ができあがるとともに、その時期に噴出した溶岩流は、立山の南 約10kmのあたりにある「五色が原」をも形成しました。五色が原の東側に緩やかに傾いた平たんな形状は、溶岩台地であることをよく表しています。また、アルペンルートの美女平と立山駅との間のロープウエー沿いに、「材木岩」という柱状節理が明瞭が溶岩がありますが、これも、この時期の溶岩と推定されています。

 2−2)第二活動期;約11〜10万年前には、第一活動期にできた成層火山の場所で爆発的な噴火が起こったとみられ、大規模火砕流(「称名滝火砕流」)が発生しました。この時の火砕流噴出物は、弥陀ヶ原に幅広く広がりましたが、一部は第三活動期の溶岩で上から覆われています。第一活動期にできた成層火山は、この爆発的噴火により、山体の多くが崩壊したと推定されます。またこの時の爆発的噴火により、中部地方〜北関東地方までの広い範囲に、火山灰が降り積もりました(広域テフラ;名称「立山Dテフラ」)。

 2−4)第三活動期;約9万年以降、新たな成層火山の形成が始まるとともに、溶岩流が周辺に流れていきました。弥陀ヶ原の主に上部は、称名滝火砕流の上を覆うように広がったこの時期の溶岩流で覆われました。室堂あたりも、この時期の溶岩で覆われています。第三活動期は約4〜3万年前には弱まりました。

 2−4)現在;「立山カルデラ」の場所は、第三活動期にできたはずの成層火山は跡形もなく、逆に深い凹地となっています。この場所は本来の意味の「カルデラ」(大噴火により地下のマグマが抜け出ることによって、空洞ができ、山体上部が沈下することによる鍋底状の地形)ではなく、成層火山の山体崩壊によってできた凹地だと考えられています。現在もこの凹地を囲む崖部分は浸食、崩壊が続いており、1858年の「安政飛越地震」の際には、大崩壊(「鳶崩れ」(とんびくずれ))が起きたことが知られています。凹地の中央部はこの時の崩壊物で覆われています。
  また、それ以外の活動としては、室堂付近での「みくりが池」(爆裂火口)の形成や、地獄谷での噴気活動など、小規模な活動が続いています。


文献1)町田、小泉ら 編、「日本の地形 5 中部」、東京大学出版会 刊
    (2006)
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