(はじめに)
この章では、12−3,4章で定義した九州地方の地質区区分のうち、「中部九州地質区」にあり、登山対象として良く知られている主要な第四紀火山について、その形成史を中心に説明します。
特に名前が良く知られている、由布岳、くじゅう連山、阿蘇山についてはやや詳しく説明します。それ以外の山々は多少簡潔に説明します。
この「中部九州地質区」は、前述のとおり「別府―島原地溝帯」という、南北に開くような伸張場にあるとともに、地下から上昇してくるマグマの活動が活発な地域です。
なお12−3,12−4章で定義した「中部九州地質区」の中の火山性の山としては、雲仙岳(長崎県)、多良岳(佐賀/長崎県境部)、英彦山山系(福岡/大分県境部)があります。
ただ英彦山山系は12−5章で、雲仙岳、多良岳は12−6章にて説明済みなので、この章では説明を割愛します。
特に名前が良く知られている、由布岳、くじゅう連山、阿蘇山についてはやや詳しく説明します。それ以外の山々は多少簡潔に説明します。
この「中部九州地質区」は、前述のとおり「別府―島原地溝帯」という、南北に開くような伸張場にあるとともに、地下から上昇してくるマグマの活動が活発な地域です。
なお12−3,12−4章で定義した「中部九州地質区」の中の火山性の山としては、雲仙岳(長崎県)、多良岳(佐賀/長崎県境部)、英彦山山系(福岡/大分県境部)があります。
ただ英彦山山系は12−5章で、雲仙岳、多良岳は12−6章にて説明済みなので、この章では説明を割愛します。
1)由布岳、鶴見岳
日本最大級の温泉湧出量を誇り、温泉地として古くから有名な別府の市街地のすぐ西側には、鶴見岳(つるみだけ:1375m)がそびえています。現在はロープウェーが頂上付近まで通じており、登山対象というより観光地的な山になっていますが、例えば別府の沖合のフェリーの船上から望むと、かなり堂々とした山だということがわかります。
また、別府から西へ約15kmのところには、最近では別府をしのぐ人気温泉地(かつ観光地)として有名となった由布院(ゆふいん;注1)があり、その由布院の街の近くには、由布盆地を守るかのように大きくそびえる由布岳(ゆふだけ;1584m)があります。
この2つの火山は、距離も近く、伽藍岳(がらんだけ:1045m)などの隣接する火山とともに、ひとまとまりの火山群を形成しています。
また、鶴見岳、由布岳は、現在は火山活動が起こっていませんが、いずれも歴史時代に火山活動があり、(文献3)によるといずれも「活火山」と認定されています。なおこの2つの火山に隣接した伽藍岳は登山対象とはあまりなっていませんが、現在でも噴気活動などの火山性活動が確認されています(文献1−a)、(文献2−a)、(文献3−b).
以下、由布岳、鶴見岳の、火山としての形成史を、(文献1−a)、(文献2−a)、(文献3−a)、(文献3−b)などをベースに説明します。
元々、この2つの火山および由布盆地は、「別府―島原地溝帯」の一部であり、由布盆地もその地溝の一部で、(文献3−b)では、この一帯を「由布―鶴見地溝」と称しています。
(図1も、ご参照ください)
この一帯の火山活動としてまず、50−60万年前頃と推定されていますが、大規模火砕流を噴出する火山があったと考えられており、その時期の噴出物(流紋岩質の火山岩)は、「由布川火砕流」と名付けられています。
(なお、耶馬渓を形成している火山岩の元となった「猪牟田(いむた)カルデラ」火山も、場所的には近いのですが、こちらは約100万年前の活動であり、岩石学的検討においても、火山としては別ものとされています)。
その後、由布岳と鶴見岳がほぼ似たような時期に火山として成長したと推定されていますが、(文献1)、(文献2)、(文献3)では意外なことに、火山としての成長開始時期について具体的記載がほとんどありません。
(※ 私見ですが、おそらく古い火山体とその噴出物は現在の火山体の内側に埋もれており、古い噴出物が地表で確認されていないためじゃないかと思います)
(文献3−a)では、由布岳の活動開始時期を、阿蘇山由来のテフラを根拠として、6万年前より更に古い、としています。
一方(文献4)、(文献5)では、由布岳も鶴見岳も、「ほぼ同時期の約9万年前から活動を開始した」、との記載があります。しかしその根拠となる文献は明示されてないので、それが正しいのか、判断はできません。
地質学的に比較的最近の火山活動としては、(文献3−a)、(文献3−b)に詳しい記載があるので、由布岳、鶴見岳それぞれの活動状況を以下、説明します。
まず由布岳は、約2200年前に規模の大きな火山活動が起きました。活動の初期にはまずマグマの上昇に伴って山体が不安定となって山体崩壊が起こっています。それに引き続き頂上部の溶岩ドーム形成と、山の西側、南側の麓部への火砕流の流下が起こりました。
その後は顕著な火山活動は起きていません。
現在の由布岳の山頂部には大きく深い火口(爆裂火口?)があり、それを挟むように東峰と西峰の2つのピークがあります。この火口部分は新鮮な形状であり、おそらくこの時期の活動で形成されたものと思われます(この段落は私見を含みます)
続いて鶴見岳と、その北側に隣接した伽藍岳についてですが、過去1万年間での火山活動としては、約1.6万年前〜7300年前に、鶴見岳山頂部付近からのマグマ噴火(溶岩流流下を含む)が起きています。時代が下がって1900年前にも鶴見岳山頂部付近からのマグマ噴火(火砕流を含む)が起きています。
歴史時代においては、AD 8−9世紀に2回の水蒸気噴火の発生が起きていますが、噴火場所は鶴見岳山頂部ではなく、伽藍岳です。
20―21世紀での活動としては、火山性地震が起きており、潜在的には活動的な火山と言えます。
また、由布岳も鶴見岳も、やや粘性の高い溶岩流が分厚く積み重なってできた山であるためと思われますが、山容が急峻であり、そのために山体の崩壊も起こりやすいようです。由布岳の北側には大きな山崩れの跡である深い谷が刻まれています(文献1−a)。
また、別府から西へ約15kmのところには、最近では別府をしのぐ人気温泉地(かつ観光地)として有名となった由布院(ゆふいん;注1)があり、その由布院の街の近くには、由布盆地を守るかのように大きくそびえる由布岳(ゆふだけ;1584m)があります。
この2つの火山は、距離も近く、伽藍岳(がらんだけ:1045m)などの隣接する火山とともに、ひとまとまりの火山群を形成しています。
また、鶴見岳、由布岳は、現在は火山活動が起こっていませんが、いずれも歴史時代に火山活動があり、(文献3)によるといずれも「活火山」と認定されています。なおこの2つの火山に隣接した伽藍岳は登山対象とはあまりなっていませんが、現在でも噴気活動などの火山性活動が確認されています(文献1−a)、(文献2−a)、(文献3−b).
以下、由布岳、鶴見岳の、火山としての形成史を、(文献1−a)、(文献2−a)、(文献3−a)、(文献3−b)などをベースに説明します。
元々、この2つの火山および由布盆地は、「別府―島原地溝帯」の一部であり、由布盆地もその地溝の一部で、(文献3−b)では、この一帯を「由布―鶴見地溝」と称しています。
(図1も、ご参照ください)
この一帯の火山活動としてまず、50−60万年前頃と推定されていますが、大規模火砕流を噴出する火山があったと考えられており、その時期の噴出物(流紋岩質の火山岩)は、「由布川火砕流」と名付けられています。
(なお、耶馬渓を形成している火山岩の元となった「猪牟田(いむた)カルデラ」火山も、場所的には近いのですが、こちらは約100万年前の活動であり、岩石学的検討においても、火山としては別ものとされています)。
その後、由布岳と鶴見岳がほぼ似たような時期に火山として成長したと推定されていますが、(文献1)、(文献2)、(文献3)では意外なことに、火山としての成長開始時期について具体的記載がほとんどありません。
(※ 私見ですが、おそらく古い火山体とその噴出物は現在の火山体の内側に埋もれており、古い噴出物が地表で確認されていないためじゃないかと思います)
(文献3−a)では、由布岳の活動開始時期を、阿蘇山由来のテフラを根拠として、6万年前より更に古い、としています。
一方(文献4)、(文献5)では、由布岳も鶴見岳も、「ほぼ同時期の約9万年前から活動を開始した」、との記載があります。しかしその根拠となる文献は明示されてないので、それが正しいのか、判断はできません。
地質学的に比較的最近の火山活動としては、(文献3−a)、(文献3−b)に詳しい記載があるので、由布岳、鶴見岳それぞれの活動状況を以下、説明します。
まず由布岳は、約2200年前に規模の大きな火山活動が起きました。活動の初期にはまずマグマの上昇に伴って山体が不安定となって山体崩壊が起こっています。それに引き続き頂上部の溶岩ドーム形成と、山の西側、南側の麓部への火砕流の流下が起こりました。
その後は顕著な火山活動は起きていません。
現在の由布岳の山頂部には大きく深い火口(爆裂火口?)があり、それを挟むように東峰と西峰の2つのピークがあります。この火口部分は新鮮な形状であり、おそらくこの時期の活動で形成されたものと思われます(この段落は私見を含みます)
続いて鶴見岳と、その北側に隣接した伽藍岳についてですが、過去1万年間での火山活動としては、約1.6万年前〜7300年前に、鶴見岳山頂部付近からのマグマ噴火(溶岩流流下を含む)が起きています。時代が下がって1900年前にも鶴見岳山頂部付近からのマグマ噴火(火砕流を含む)が起きています。
歴史時代においては、AD 8−9世紀に2回の水蒸気噴火の発生が起きていますが、噴火場所は鶴見岳山頂部ではなく、伽藍岳です。
20―21世紀での活動としては、火山性地震が起きており、潜在的には活動的な火山と言えます。
また、由布岳も鶴見岳も、やや粘性の高い溶岩流が分厚く積み重なってできた山であるためと思われますが、山容が急峻であり、そのために山体の崩壊も起こりやすいようです。由布岳の北側には大きな山崩れの跡である深い谷が刻まれています(文献1−a)。
(注1)「ゆふいん」の名称について
「ゆふいん」の漢字表記は、「由布院」とも「湯布院」とも書きます。インターネットで調べると、元々の地名としての名称は「由布院」のようです。山の名前も「由布岳」、川の名前も「由布川」です。
「昭和の大合併期」の1955年に、いくつかの自治体が合併して新たな町制となった際、「湯布院町」という町名となり、その後は温泉観光地であることをアピールするためか、「湯布院」という名前が良く使われていました。
その後、「平成の大合併期」の2005年に、さらに周辺と合併して市制が施行され、その際の市の名称としては「由布市」となっています。なお観光地としては「湯布院」の名称もまだよく使われています。
「昭和の大合併期」の1955年に、いくつかの自治体が合併して新たな町制となった際、「湯布院町」という町名となり、その後は温泉観光地であることをアピールするためか、「湯布院」という名前が良く使われていました。
その後、「平成の大合併期」の2005年に、さらに周辺と合併して市制が施行され、その際の市の名称としては「由布市」となっています。なお観光地としては「湯布院」の名称もまだよく使われています。
2)くじゅう連山
九州本島における最高峰(中岳;1791m)を含む、「くじゅう連山」(注2)は、古くから九州岳人にとっての「ヘルツ・ハイマート」(心の故郷)とも呼ばれる山群です。
この火山群は直径約20kmの範囲に、1500mを超える多数の小型火山を持つ火山群であり、山群のなかには「坊がつる」や「北千里浜」のような湿原、平原もあれば、小型の火口湖や火口跡などもあって変化に富む地形です。
この山群を形成している山々は、それぞれ山容にも個性があり、また高木がほとんどないため展望も良く、どのピークに登っても満足いく山群です。
また初夏に咲くキリシマツツジの群生地としても良く知られています。
まさに九州を代表する山群と言えます。
なお、この山群のうち「硫黄岳」付近は噴気活動が以前から継続しており、1995−6年には噴火(マグマ爆発、マグマ水蒸気爆発)が起きました。(文献3−c)でも「活火山」と認定されています。
さて、この「くじゅう連山」の火山史について、(文献1−b)、(文献2−b)、(文献3−c)によると、12−4章、5章で少し触れた、約100万年前に活動した「猪牟田(いむた)カルデラ火山」の周辺の位置(南東部)に、約15万年前ころから形成された火山群です。
それ以降の火山史としては、少なくとも3回の大規模火砕流が発生、流出したことが解っています(文献2−b)。
1回目は「宮城火砕流」と呼ばれ、約14−12万年前に起きた火砕流です。2回目は「下坂田火砕流」と呼ばれ、約10万年前に起きた火砕流です。3回目は「飯田火砕流」と呼ばれ、約5万年前に起きた火砕流です。
特に1回目と2回目は、いずれも「くじゅう連山」から約10kmの位置において、現在でも堆積物の厚さが10〜30mもある、大規模火砕流です。
(文献1−b)によると「くじゅう連山」の一帯は、負の「重力異常(gravity anomaly)」が確認されていることから、上記の大規模火砕流に伴なって形成されたカルデラ地形が埋もれている可能性が指摘されています。
(※ 産総研の「地質図ナビ」のうち「重力図」を確認すると、くじゅう連山の南麓に負の重力異常領域が認められます)
これらの大規模火砕流型の大きな噴火活動が起きたのち、現在の火山群の各ピーク(その多くは溶岩ドーム型で、一部は成層火山型)を形成するような、やや小規模な活動が起こっています。
全体的には西側の火山活動ほど古く、東側の火山活動ほど新しい傾向があります。以下、説明の都合上、この「くじゅう連山」を、「西火山群」、「中央火山群」、「東火山群」と分けます。
(※ 説明の都合上、筆者が独自に分割したものであり、オーソライズされたものではありません)
・「西火山群」;登山口の一つである牧ノ戸峠(まきのととうげ)付近の山で、黒岩山(1502m)、猟師山(1423m)、沓掛山(くつかけやま;1503m)が主な山です。
・「中央火山群」;中岳(1791m)、久住山(くじゅうさん;1787m)、星生山(ほっしょうさん;1762m)、三俣山(みつまたやま;1744m)など、くじゅう連山の中核部に位置し、良く登られる山々が含まれます。
・「東火山群」;「坊がつる」の東側の山々で、大船岳(たいせんだけ;1786m)、平治岳(ひじだけ;1643m)、黒岳(くろだけ;1587m)が主な山です。
以下、各火山群の活動史は、(文献2−b)をベースに説明します。
「西火山群」は、上記の大規模火砕流で形成された地層との関係から、2番目の「下坂田火砕流」(約10万年前)と、3番目の「飯田火砕流」(約5万年前)との間に起きた火山活動で形成された火山群と推定されており、具体的年代としては約9〜5万年前の活動と推定されています。地形的にはやや開析が進み、扇状地性や崖錐(がいすい)性の裾野が形成されつつあります(文献1−b)。
「中央火山群」は、約1.5〜1万年前の火山活動で形成された火山群です。比較的新しい火山活動なので、それぞれのピークもゴツゴツした溶岩が目立ちます。
「東火山群」では、北側の平治岳のみ、中央火山群の活動期と近い、約1.5〜1.0年前の火山活動で形成された火山です。
また大船岳は、5000〜3000年前のかなり新しい火山活動で形成された火山です。「米窪」と呼ばれる大きな噴火口(マグマ爆発およびマグマ水蒸気爆発による、と推定されている)が目立つ山です。
「くじゅう連山」のうち最も東側にある黒岳は、約1700年前に溶岩噴出によって形成された、この山群で最も新しい火山体(溶岩ドーム)です。
現在の「くじゅう連山」の明確な火山活動としては、星生山の北側、通称「硫黄山」で起きている噴気活動で、1995〜1996年にはこの場所で水蒸気爆発(一部はマグマ水蒸気爆発)が生じています(文献2−b)、(文献3−c)。
なお「くじゅう連山」の火山活動のうち、大規模火砕流型噴火を除く、現在のピーク群を形成している溶岩の岩石学的な種類は、ほとんどが安山岩質の火山岩です(図2)。
また、ここでいう「くじゅう連山」のさらに西方には、湧蓋山(わいたさん;1500m)という端正な姿をした成層火山状の山があり、登山対象としては「くじゅう連山」の一部とみなされますが、涌蓋山は、活動時期が約70−35万年前と、上で説明した「くじゅう連山」の各山々よりは、かなり古い火山です。
この火山群は直径約20kmの範囲に、1500mを超える多数の小型火山を持つ火山群であり、山群のなかには「坊がつる」や「北千里浜」のような湿原、平原もあれば、小型の火口湖や火口跡などもあって変化に富む地形です。
この山群を形成している山々は、それぞれ山容にも個性があり、また高木がほとんどないため展望も良く、どのピークに登っても満足いく山群です。
また初夏に咲くキリシマツツジの群生地としても良く知られています。
まさに九州を代表する山群と言えます。
なお、この山群のうち「硫黄岳」付近は噴気活動が以前から継続しており、1995−6年には噴火(マグマ爆発、マグマ水蒸気爆発)が起きました。(文献3−c)でも「活火山」と認定されています。
さて、この「くじゅう連山」の火山史について、(文献1−b)、(文献2−b)、(文献3−c)によると、12−4章、5章で少し触れた、約100万年前に活動した「猪牟田(いむた)カルデラ火山」の周辺の位置(南東部)に、約15万年前ころから形成された火山群です。
それ以降の火山史としては、少なくとも3回の大規模火砕流が発生、流出したことが解っています(文献2−b)。
1回目は「宮城火砕流」と呼ばれ、約14−12万年前に起きた火砕流です。2回目は「下坂田火砕流」と呼ばれ、約10万年前に起きた火砕流です。3回目は「飯田火砕流」と呼ばれ、約5万年前に起きた火砕流です。
特に1回目と2回目は、いずれも「くじゅう連山」から約10kmの位置において、現在でも堆積物の厚さが10〜30mもある、大規模火砕流です。
(文献1−b)によると「くじゅう連山」の一帯は、負の「重力異常(gravity anomaly)」が確認されていることから、上記の大規模火砕流に伴なって形成されたカルデラ地形が埋もれている可能性が指摘されています。
(※ 産総研の「地質図ナビ」のうち「重力図」を確認すると、くじゅう連山の南麓に負の重力異常領域が認められます)
これらの大規模火砕流型の大きな噴火活動が起きたのち、現在の火山群の各ピーク(その多くは溶岩ドーム型で、一部は成層火山型)を形成するような、やや小規模な活動が起こっています。
全体的には西側の火山活動ほど古く、東側の火山活動ほど新しい傾向があります。以下、説明の都合上、この「くじゅう連山」を、「西火山群」、「中央火山群」、「東火山群」と分けます。
(※ 説明の都合上、筆者が独自に分割したものであり、オーソライズされたものではありません)
・「西火山群」;登山口の一つである牧ノ戸峠(まきのととうげ)付近の山で、黒岩山(1502m)、猟師山(1423m)、沓掛山(くつかけやま;1503m)が主な山です。
・「中央火山群」;中岳(1791m)、久住山(くじゅうさん;1787m)、星生山(ほっしょうさん;1762m)、三俣山(みつまたやま;1744m)など、くじゅう連山の中核部に位置し、良く登られる山々が含まれます。
・「東火山群」;「坊がつる」の東側の山々で、大船岳(たいせんだけ;1786m)、平治岳(ひじだけ;1643m)、黒岳(くろだけ;1587m)が主な山です。
以下、各火山群の活動史は、(文献2−b)をベースに説明します。
「西火山群」は、上記の大規模火砕流で形成された地層との関係から、2番目の「下坂田火砕流」(約10万年前)と、3番目の「飯田火砕流」(約5万年前)との間に起きた火山活動で形成された火山群と推定されており、具体的年代としては約9〜5万年前の活動と推定されています。地形的にはやや開析が進み、扇状地性や崖錐(がいすい)性の裾野が形成されつつあります(文献1−b)。
「中央火山群」は、約1.5〜1万年前の火山活動で形成された火山群です。比較的新しい火山活動なので、それぞれのピークもゴツゴツした溶岩が目立ちます。
「東火山群」では、北側の平治岳のみ、中央火山群の活動期と近い、約1.5〜1.0年前の火山活動で形成された火山です。
また大船岳は、5000〜3000年前のかなり新しい火山活動で形成された火山です。「米窪」と呼ばれる大きな噴火口(マグマ爆発およびマグマ水蒸気爆発による、と推定されている)が目立つ山です。
「くじゅう連山」のうち最も東側にある黒岳は、約1700年前に溶岩噴出によって形成された、この山群で最も新しい火山体(溶岩ドーム)です。
現在の「くじゅう連山」の明確な火山活動としては、星生山の北側、通称「硫黄山」で起きている噴気活動で、1995〜1996年にはこの場所で水蒸気爆発(一部はマグマ水蒸気爆発)が生じています(文献2−b)、(文献3−c)。
なお「くじゅう連山」の火山活動のうち、大規模火砕流型噴火を除く、現在のピーク群を形成している溶岩の岩石学的な種類は、ほとんどが安山岩質の火山岩です(図2)。
また、ここでいう「くじゅう連山」のさらに西方には、湧蓋山(わいたさん;1500m)という端正な姿をした成層火山状の山があり、登山対象としては「くじゅう連山」の一部とみなされますが、涌蓋山は、活動時期が約70−35万年前と、上で説明した「くじゅう連山」の各山々よりは、かなり古い火山です。
(注2)「くじゅう」の漢字表記について
この火山群の名前;「くじゅう」の漢字表記には、「九重」と「久住」と2種類があります。
(文献6)によると、江戸時代からある2つの寺院名(「九重山・白水寺」と、「久住山・猪鹿寺」)がその表記の元となっているようです。昭和時代の行政上の町の名前も、「九重町(ここのえまち)」と、「久住町(くじゅうちょう)」とがありました。(「久住町」は2005年に竹田市に編入され自治体としては消滅)
この火山群の名称も両町で長くもめ、一時期は、主峰は「久住山」、山群名は「九重山」で折り合いが付けられていましたが、最近ではひらがな表記の「くじゅう」に統一されています(文献6)。
なお、この章で引用する各専門書では、「九重山」、「九重火山」、「九重火山群」といった具合に名称が統一的ではありません。
この章では、この火山群の名称は「くじゅう連山」に統一しました。
(文献6)によると、江戸時代からある2つの寺院名(「九重山・白水寺」と、「久住山・猪鹿寺」)がその表記の元となっているようです。昭和時代の行政上の町の名前も、「九重町(ここのえまち)」と、「久住町(くじゅうちょう)」とがありました。(「久住町」は2005年に竹田市に編入され自治体としては消滅)
この火山群の名称も両町で長くもめ、一時期は、主峰は「久住山」、山群名は「九重山」で折り合いが付けられていましたが、最近ではひらがな表記の「くじゅう」に統一されています(文献6)。
なお、この章で引用する各専門書では、「九重山」、「九重火山」、「九重火山群」といった具合に名称が統一的ではありません。
この章では、この火山群の名称は「くじゅう連山」に統一しました。
3)阿蘇山
阿蘇山は言うまでもなく、登山対象としてとしてだけでなく、「火の国・九州」を代表する観光地としても良く知られています。
阿蘇山は、日本最大級のカルデラ式火山であり(注3)、外輪山にいくつかある展望台から望む中央火口丘群や典型的なカルデラ地形の眺めは雄大ですし、外輪山の裾野側もまた、伸びやかな広がりが魅力的です。また、いわゆる「中央火口丘」群のなかにある中岳火口は、いつも噴気を上げていて、いかにも「地球は生きている」、と感じさせてくれる山です。(図3)
一方でしばしば爆発的噴火も起きており、危険な火山でもあります。以下に詳しく述べますが、数万年〜数十万年前には、いわゆる「破局噴火」と呼ばれる巨大噴火も起こしています。
登山対象としては、阿蘇五岳(あそごがく)とも呼ばれる、「中央火口丘」の5つの山のうち、最高峰の高岳(たかだけ:1592m)と、それに隣接する中岳(中岳火口の東側に最高点あり;1506m)がセットで良く登られています。
残りのうち「草千里ヶ浜」の北側にある杵島岳(きしまだけ:1326m)と、「草千里ヶ浜」の南側にある烏帽子岳(えぼしだけ;1337m)はそれほど人気が高いピークとは言えませんが、「草千里ヶ浜」から登山道があり、比較的容易です。
また少し東に離れた根子岳(ねこだけ;1433m)は、かなり険しい山で、最高標高地点付近は、現在は登山禁止になっているはずです。なお東峰(1408m)は登れます。
さて阿蘇山の火山としての形成史として、(文献1−c)、(文献2−c)、(文献3−d)をベースに以下、説明します。
阿蘇山における過去の火山活動は、計4回の、巨大な火砕流を噴出した大規模火山活動が良く研究されています。
解っている最も古い大規模火山活動は約27万年前の活動で、「Aso-1」という名前がついています。のちしばらく大規模活動はなく、次は約14万年前の活動で「Aso-2」と呼ばれます。3つ目は約12万年前の活動で「Aso-3」と呼ばれます。
最後が約9万年前の大規模火砕流型噴火で、「Aso-4」(※)と呼ばれます。4回の大規模火山活動のうち「Aso-4」が最大規模で、噴出した火砕流の量は(ちょっとピンときませんが)80km^3以上と推計されています。その火砕流の広がりは、九州一円はもとより、瀬戸内海を隔てた山口県の宇部市付近にも確認されています。
また、上記の4回の大規模火山活動では噴出した火山灰などが広域テフラとして、西日本のみならず関東など東日本にも到達しています。
(※ 火砕流堆積物の名称も、広域テフラの名称も、一般的には、噴火活動名称と同じで、例えば「Aso-4」火山活動の火砕流堆積物も、その広域テフラも「Aso-4」と呼ばれます。)
上記4回の大規模火山活動では、その都度、カルデラとカルデラ湖が形成され、そのあとに中央火口丘が形成されたと推定されていますが、「Aso-1」から「Aso-3」火山活動までのカルデラや中央火口丘は、最後の「Aso-4」火山活動によって破壊され、後述の根子岳を除き、残ってはいません。
「Aso-4」火山活動が現在の阿蘇カルデラを形成したものですが、当初は一回りサイズは小さく、その後、カルデラ壁が徐々に浸食によって後退して、現在の形になったとも考えられています(文献1−c)。
また「Aso-4」火山活動では、カルデラ内にカルデラ湖が形成され、その湖成堆積物が確認されています。いつの時代かは不明ですが、カルデラ壁の西側が一部削られてカルデラ湖の水は排水され、現在ではカルデラ内の川は西側から緑川となって熊本平野へと流れています。
約9万年前の「Aso-4」火山活動ののち、カルデラの中央部に再び火山活動が起こって、高岳や中岳を含む「中央火口丘」群が形成されました。火山活動の詳細は少し細かすぎるので省略しますが、現在も活動中の「中岳火山(中岳火口)」の他、草千里と呼ばれる円形の部分も比較的新しい火口の跡です。他に中央火口丘の北側山腹には「米塚」と呼ばれる超小型の火山(比高 約100m)がありますが、これは非常に新鮮な地形をしており、かなり新しい火山活動(少なくとも6千年前より新しい)で形成されたものです。
なお、阿蘇山を構成するピークのうち、一番東側の根子岳は他の中央火口丘の山々と比べて、険しい山容をしています。最近の研究によると、根子岳は「Aso-4」火山活動よりも前の火山活動(約15−10万年前)で形成された火山です。そのために浸食が進んで他のピークと山容が異なるということになります。
最後に、地質学的には、阿蘇山の噴火活動による地質は、(文献2−c)によると、長い火山活動の歴史の中で、安山岩質が中心の時代と、珪長質(デイサイト/流紋岩質)が中心の時代とがあり、供給されてきたマグマの性質がいろいろだったことを伺わせます。
但し産総研「シームレス地質図v2」によると、根子岳以外の中央火口丘の各山々の地質は、玄武岩質溶岩とされています。(図3)
阿蘇山は、日本最大級のカルデラ式火山であり(注3)、外輪山にいくつかある展望台から望む中央火口丘群や典型的なカルデラ地形の眺めは雄大ですし、外輪山の裾野側もまた、伸びやかな広がりが魅力的です。また、いわゆる「中央火口丘」群のなかにある中岳火口は、いつも噴気を上げていて、いかにも「地球は生きている」、と感じさせてくれる山です。(図3)
一方でしばしば爆発的噴火も起きており、危険な火山でもあります。以下に詳しく述べますが、数万年〜数十万年前には、いわゆる「破局噴火」と呼ばれる巨大噴火も起こしています。
登山対象としては、阿蘇五岳(あそごがく)とも呼ばれる、「中央火口丘」の5つの山のうち、最高峰の高岳(たかだけ:1592m)と、それに隣接する中岳(中岳火口の東側に最高点あり;1506m)がセットで良く登られています。
残りのうち「草千里ヶ浜」の北側にある杵島岳(きしまだけ:1326m)と、「草千里ヶ浜」の南側にある烏帽子岳(えぼしだけ;1337m)はそれほど人気が高いピークとは言えませんが、「草千里ヶ浜」から登山道があり、比較的容易です。
また少し東に離れた根子岳(ねこだけ;1433m)は、かなり険しい山で、最高標高地点付近は、現在は登山禁止になっているはずです。なお東峰(1408m)は登れます。
さて阿蘇山の火山としての形成史として、(文献1−c)、(文献2−c)、(文献3−d)をベースに以下、説明します。
阿蘇山における過去の火山活動は、計4回の、巨大な火砕流を噴出した大規模火山活動が良く研究されています。
解っている最も古い大規模火山活動は約27万年前の活動で、「Aso-1」という名前がついています。のちしばらく大規模活動はなく、次は約14万年前の活動で「Aso-2」と呼ばれます。3つ目は約12万年前の活動で「Aso-3」と呼ばれます。
最後が約9万年前の大規模火砕流型噴火で、「Aso-4」(※)と呼ばれます。4回の大規模火山活動のうち「Aso-4」が最大規模で、噴出した火砕流の量は(ちょっとピンときませんが)80km^3以上と推計されています。その火砕流の広がりは、九州一円はもとより、瀬戸内海を隔てた山口県の宇部市付近にも確認されています。
また、上記の4回の大規模火山活動では噴出した火山灰などが広域テフラとして、西日本のみならず関東など東日本にも到達しています。
(※ 火砕流堆積物の名称も、広域テフラの名称も、一般的には、噴火活動名称と同じで、例えば「Aso-4」火山活動の火砕流堆積物も、その広域テフラも「Aso-4」と呼ばれます。)
上記4回の大規模火山活動では、その都度、カルデラとカルデラ湖が形成され、そのあとに中央火口丘が形成されたと推定されていますが、「Aso-1」から「Aso-3」火山活動までのカルデラや中央火口丘は、最後の「Aso-4」火山活動によって破壊され、後述の根子岳を除き、残ってはいません。
「Aso-4」火山活動が現在の阿蘇カルデラを形成したものですが、当初は一回りサイズは小さく、その後、カルデラ壁が徐々に浸食によって後退して、現在の形になったとも考えられています(文献1−c)。
また「Aso-4」火山活動では、カルデラ内にカルデラ湖が形成され、その湖成堆積物が確認されています。いつの時代かは不明ですが、カルデラ壁の西側が一部削られてカルデラ湖の水は排水され、現在ではカルデラ内の川は西側から緑川となって熊本平野へと流れています。
約9万年前の「Aso-4」火山活動ののち、カルデラの中央部に再び火山活動が起こって、高岳や中岳を含む「中央火口丘」群が形成されました。火山活動の詳細は少し細かすぎるので省略しますが、現在も活動中の「中岳火山(中岳火口)」の他、草千里と呼ばれる円形の部分も比較的新しい火口の跡です。他に中央火口丘の北側山腹には「米塚」と呼ばれる超小型の火山(比高 約100m)がありますが、これは非常に新鮮な地形をしており、かなり新しい火山活動(少なくとも6千年前より新しい)で形成されたものです。
なお、阿蘇山を構成するピークのうち、一番東側の根子岳は他の中央火口丘の山々と比べて、険しい山容をしています。最近の研究によると、根子岳は「Aso-4」火山活動よりも前の火山活動(約15−10万年前)で形成された火山です。そのために浸食が進んで他のピークと山容が異なるということになります。
最後に、地質学的には、阿蘇山の噴火活動による地質は、(文献2−c)によると、長い火山活動の歴史の中で、安山岩質が中心の時代と、珪長質(デイサイト/流紋岩質)が中心の時代とがあり、供給されてきたマグマの性質がいろいろだったことを伺わせます。
但し産総研「シームレス地質図v2」によると、根子岳以外の中央火口丘の各山々の地質は、玄武岩質溶岩とされています。(図3)
(注3)阿蘇カルデラの大きさについて
観光ガイドブックや登山ガイドブックなどでは、しばしば阿蘇山のことを「世界一のカルデラ式火山」と書いてあることがありますが、実はこれは正しくはありません。
阿蘇山のカルデラの大きさ(外輪山壁のサイズ、以下同じ)は、(文献1−c)及び(文献7)によると、南北(長径)が約25km、東西(短径)が約18kmです。
世界にはもっと大きなカルデラ(式火山)があり、(文献7)、(文献8)によると、世界最大のカルデラは、インドネシアのスマトラ島にある「トバ・カルデラ」です。これは細長い形をしたカルデラで、長径が約100km、短径が約30kmです。このカルデラの内側はトバ湖という湖となっており、その中に中央火口丘が、大きな島を形成しています。
トバ(カルデラ)火山も阿蘇山と同様に、超巨大噴火をいくども起こした火山です(詳細は「文献8」をご参照ください)。
また細かく言えば、阿蘇カルデラが「日本一」というのも微妙です。
(文献7)によると、サイズ的には屈斜路湖を内に持つ「屈斜路(くっしゃろ)カルデラ」(北海道)が、長径約26km、短径約20kmであり、わずかながら阿蘇カルデラより大きく、「日本一」とされています。阿蘇カルデラはそれに次ぐ第二位のサイズとされています。
阿蘇山のカルデラの大きさ(外輪山壁のサイズ、以下同じ)は、(文献1−c)及び(文献7)によると、南北(長径)が約25km、東西(短径)が約18kmです。
世界にはもっと大きなカルデラ(式火山)があり、(文献7)、(文献8)によると、世界最大のカルデラは、インドネシアのスマトラ島にある「トバ・カルデラ」です。これは細長い形をしたカルデラで、長径が約100km、短径が約30kmです。このカルデラの内側はトバ湖という湖となっており、その中に中央火口丘が、大きな島を形成しています。
トバ(カルデラ)火山も阿蘇山と同様に、超巨大噴火をいくども起こした火山です(詳細は「文献8」をご参照ください)。
また細かく言えば、阿蘇カルデラが「日本一」というのも微妙です。
(文献7)によると、サイズ的には屈斜路湖を内に持つ「屈斜路(くっしゃろ)カルデラ」(北海道)が、長径約26km、短径約20kmであり、わずかながら阿蘇カルデラより大きく、「日本一」とされています。阿蘇カルデラはそれに次ぐ第二位のサイズとされています。
4)万年山(はねやま)とその周辺の山々
ここでは、由布盆地の西側、玖珠(くす)盆地と呼ばれる地域の火山性の山々について説明します。
玖珠盆地の南側にある万年山(はねやま:1140m)は、名前も変わっていて難読な山ですが、形状的にもかなり変わった山です(イメージ的には関東の荒船山に、その姿が似ています)。玖珠盆地側から望むと屏風状の山に見え、東西に延びる頂上稜線は1km以上にわたっています。一方、その両側は切り立った崖状となっており、東西の方向から見ると薄い壁のように見えます。
またその前衛峰のような位置にある切株山(きりかぶやま;685m)は、その名の通り、大きな樹の切り株のように、平坦な頂上部と急峻な山腹部を持つ山です。
その他、玖珠盆地の北側や東側にも、例えば青野山(851m)など、同じような、平坦な頂上部と急峻な山腹部を持つ山々が多数あります(図4もご参照ください)。
これらの奇妙な形をした山々は、地形学的にはメサと呼ばれるものの一種です(文献1−d)。
これらの山々は火山岩で出来ていますが、(文献1)(文献2)には、その火山活動に関しての具体的な記載がありません。
そこで産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、第四紀のカラブリアン期〜チバニアン期(約180万年前〜12万年前)の安山岩質及び、デイサイト/流紋岩質の火山岩で形成されています。
形成当初は溶岩台地となっていたものが、その後徐々に周辺部から浸食が進んで、現在のような奇妙な形状となったと推定されています。
なお、(文献1−d)によると、この万年山一帯も「別府―島原地溝帯」の一部であり、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、特に万年山やその南側には東西走向の正断層が多数走っています(図4もご参照ください)。
これら正断層の活動も、特に万年山の形状に関与しているようです。
玖珠盆地の南側にある万年山(はねやま:1140m)は、名前も変わっていて難読な山ですが、形状的にもかなり変わった山です(イメージ的には関東の荒船山に、その姿が似ています)。玖珠盆地側から望むと屏風状の山に見え、東西に延びる頂上稜線は1km以上にわたっています。一方、その両側は切り立った崖状となっており、東西の方向から見ると薄い壁のように見えます。
またその前衛峰のような位置にある切株山(きりかぶやま;685m)は、その名の通り、大きな樹の切り株のように、平坦な頂上部と急峻な山腹部を持つ山です。
その他、玖珠盆地の北側や東側にも、例えば青野山(851m)など、同じような、平坦な頂上部と急峻な山腹部を持つ山々が多数あります(図4もご参照ください)。
これらの奇妙な形をした山々は、地形学的にはメサと呼ばれるものの一種です(文献1−d)。
これらの山々は火山岩で出来ていますが、(文献1)(文献2)には、その火山活動に関しての具体的な記載がありません。
そこで産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、第四紀のカラブリアン期〜チバニアン期(約180万年前〜12万年前)の安山岩質及び、デイサイト/流紋岩質の火山岩で形成されています。
形成当初は溶岩台地となっていたものが、その後徐々に周辺部から浸食が進んで、現在のような奇妙な形状となったと推定されています。
なお、(文献1−d)によると、この万年山一帯も「別府―島原地溝帯」の一部であり、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、特に万年山やその南側には東西走向の正断層が多数走っています(図4もご参照ください)。
これら正断層の活動も、特に万年山の形状に関与しているようです。
5)両子山(国東半島)
大分県の北東部、瀬戸内海に大きく突き出し、直径約30kmもの円形の形状をもつ国東(くにさき)半島は、両子火山という大型火山によって形成された半島です。
標高が低いので登山対象としてはあまり著名ではありませんが、古くから独自の山岳仏教文化が栄えた場所としても知られています(文献9)。
両子山の火山としての形成史は、(文献1−e)によると、約150−120万年前の火山活動で形成されたものであり、火砕流を噴出してカルデラを形成したり、溶岩流を流出したりと複雑な活動を行い、最後には両子山ピークなど多数の溶岩ドームが形成された、という形成史のようです。
標高が低いわりに広い裾野をもっていますが、裾野の一部は火砕流によって形成された部分、及び、浸食、開析によって形成された扇状地状の地形です。
形状や形成過程は、佐賀/長崎県境にある多良岳に似ている山です。
なお地質学的には、産総研「シームレス地質図v2」を確認すると、国東半島の南部にはわずかながら、白亜紀の花崗岩、変成岩が分布しています。(文献2−c)によると「領家帯」に属する地質体と考えられています。両子火山の活動の前には、この一帯には「領家帯」の岩石類が分布していたと思われます。なおこの地域は、瀬戸内海の南北両岸や近畿地方にも分布する「領家帯」の西端部になります。
標高が低いので登山対象としてはあまり著名ではありませんが、古くから独自の山岳仏教文化が栄えた場所としても知られています(文献9)。
両子山の火山としての形成史は、(文献1−e)によると、約150−120万年前の火山活動で形成されたものであり、火砕流を噴出してカルデラを形成したり、溶岩流を流出したりと複雑な活動を行い、最後には両子山ピークなど多数の溶岩ドームが形成された、という形成史のようです。
標高が低いわりに広い裾野をもっていますが、裾野の一部は火砕流によって形成された部分、及び、浸食、開析によって形成された扇状地状の地形です。
形状や形成過程は、佐賀/長崎県境にある多良岳に似ている山です。
なお地質学的には、産総研「シームレス地質図v2」を確認すると、国東半島の南部にはわずかながら、白亜紀の花崗岩、変成岩が分布しています。(文献2−c)によると「領家帯」に属する地質体と考えられています。両子火山の活動の前には、この一帯には「領家帯」の岩石類が分布していたと思われます。なおこの地域は、瀬戸内海の南北両岸や近畿地方にも分布する「領家帯」の西端部になります。
(参考文献)
文献1)町田、太田、河名、森脇、長岡 編
「日本の地形 第7巻 九州・南西諸島」 東京大学出版会 刊 (2001)
文献1−a) 文献1)のうち、
2−2章「別府―島原地溝帯」の、
2−2−(1)―3)項 「由布川火砕流と鶴見・由布火山群」
文献1−b) 文献1)のうち、
2−2章「別府―島原地溝帯」の、
2−2−(1)―2)項 「九重火山群」の項、及び
図2.2.4「九重火山群溶岩ドームの形成年代別分布と形成史」
文献1−c) 文献1)のうち、
2−2章「別府―島原地溝帯」の、
2−2−(2)節 「阿蘇火山」の項
文献1−d) 文献1)のうち、
2−2章「別府―島原地溝帯」の、
2−2−(1)項 「玖珠盆地周辺の豊肥火山群」の項
文献1−e) 文献1)のうち、
2−3章「別府―島原地溝帯周辺の古い火山」の、
2−3−(2)項 「両子火山と姫島火山」の項
文献2) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第8巻 九州・沖縄地方」 朝倉書店 刊 (2010)
文献2−a) 文献2)のうち、
第5章「(九州地方の)火山」の、
5−2−2節「由布岳、鶴見岳、伽藍岳」の項
文献2−b) 文献2)のうち、
第5章「(九州地方の)火山」の、
5−2−3節「九重火山」の項、
表5.2.1「九重火山の層序と噴火史」、及び
図5.2.6「九重火山の地質図」
文献2−c) 文献2)のうち、
7−3−1節「(九州地方の)領家変成岩」の項
文献3) インターネットサイト
「気象庁ホームページ」のうち
「日本 活火山総覧 第4版」
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
文献3−a) 文献3)のうち、
No,81 「鶴見岳・伽藍岳」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/81_Tsurumidake_and_Garandake.pdf
文献3−b) 文献3)のうち、
No.82「由布岳」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/82_Yufudake.pdf
文献3−c) 文献3)のうち、
No.83 「九重山」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/83_Kujusan.pdf
文献3−d) 文献3)のうち、
No.84 「阿蘇山」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/84_Asosan.pdf
(文献4) インターネットサイト
ウイキペディア 「由布岳」の項
2022年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B1%E5%B8%83%E5%B2%B3
(文献5) インターネットサイト
ウイキペディア 「鶴見岳」の項
2022年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E8%A6%8B%E5%B2%B3
(文献6) インターネットサイト
ウイキペディア 「九重山」の項
2022年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%87%8D%E5%B1%B1
(文献7) インターネットサイト
ウイキペディア 「阿蘇カルデラ」の項
2022年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%98%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%A9
(文献8)インターネットサイト
ウイキペディア 「トバ湖」の項
2022年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%90%E6%B9%96
(文献9) インターネットサイト
「両子寺」のホームページ
2022年5月 閲覧
http://www.futagoji.jp/
「日本の地形 第7巻 九州・南西諸島」 東京大学出版会 刊 (2001)
文献1−a) 文献1)のうち、
2−2章「別府―島原地溝帯」の、
2−2−(1)―3)項 「由布川火砕流と鶴見・由布火山群」
文献1−b) 文献1)のうち、
2−2章「別府―島原地溝帯」の、
2−2−(1)―2)項 「九重火山群」の項、及び
図2.2.4「九重火山群溶岩ドームの形成年代別分布と形成史」
文献1−c) 文献1)のうち、
2−2章「別府―島原地溝帯」の、
2−2−(2)節 「阿蘇火山」の項
文献1−d) 文献1)のうち、
2−2章「別府―島原地溝帯」の、
2−2−(1)項 「玖珠盆地周辺の豊肥火山群」の項
文献1−e) 文献1)のうち、
2−3章「別府―島原地溝帯周辺の古い火山」の、
2−3−(2)項 「両子火山と姫島火山」の項
文献2) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第8巻 九州・沖縄地方」 朝倉書店 刊 (2010)
文献2−a) 文献2)のうち、
第5章「(九州地方の)火山」の、
5−2−2節「由布岳、鶴見岳、伽藍岳」の項
文献2−b) 文献2)のうち、
第5章「(九州地方の)火山」の、
5−2−3節「九重火山」の項、
表5.2.1「九重火山の層序と噴火史」、及び
図5.2.6「九重火山の地質図」
文献2−c) 文献2)のうち、
7−3−1節「(九州地方の)領家変成岩」の項
文献3) インターネットサイト
「気象庁ホームページ」のうち
「日本 活火山総覧 第4版」
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
文献3−a) 文献3)のうち、
No,81 「鶴見岳・伽藍岳」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/81_Tsurumidake_and_Garandake.pdf
文献3−b) 文献3)のうち、
No.82「由布岳」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/82_Yufudake.pdf
文献3−c) 文献3)のうち、
No.83 「九重山」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/83_Kujusan.pdf
文献3−d) 文献3)のうち、
No.84 「阿蘇山」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/84_Asosan.pdf
(文献4) インターネットサイト
ウイキペディア 「由布岳」の項
2022年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B1%E5%B8%83%E5%B2%B3
(文献5) インターネットサイト
ウイキペディア 「鶴見岳」の項
2022年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E8%A6%8B%E5%B2%B3
(文献6) インターネットサイト
ウイキペディア 「九重山」の項
2022年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%87%8D%E5%B1%B1
(文献7) インターネットサイト
ウイキペディア 「阿蘇カルデラ」の項
2022年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%98%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%A9
(文献8)インターネットサイト
ウイキペディア 「トバ湖」の項
2022年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%90%E6%B9%96
(文献9) インターネットサイト
「両子寺」のホームページ
2022年5月 閲覧
http://www.futagoji.jp/
このリンク先の、12−1章の文末には、第12部「九州地方の山々の地質」の各章へのリンク、及び、「序章―1」へのリンク(序章―1には、本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第12部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第12部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
・初版リリース;2022年5月11日
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
ベルクハイルさんの記事一覧
- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質;7−9章 奥羽山脈(3)奥羽山脈の非火山の山々、及び奥羽山脈の隆起について 10 更新日:2024年01月27日
- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質、7−8章 奥羽山脈(2) 奥羽山脈南半分の火山群 11 更新日:2024年01月15日
- 日本の山々の地質 第1部 四国地方の山々の地質、 1−10章 香川県の山々;讃岐山地、香川県の山々の地質と地形 19 更新日:2023年03月18日
※この記事はヤマレコの「ヤマノート」機能を利用して作られています。
どなたでも、山に関する知識や技術などのノウハウを簡単に残して共有できます。
ぜひご協力ください!
やはり九州は「火の国」との印象を受けました。
学生の時に一度阿蘇に遊びに行き、どこから見たかは記憶していませんが、熱湯の火口湖を覚えています。
社会人になって鹿児島出張時に桜島を見ました。
二つとも活火山も活火山、見てわかる活火山でした。
九州旅行をしたいです。
時間に追われずにゆっくりと。
山だけでなく、海や、別府などの温泉巡りが完全退職後の夢の一つです。
活火山が一つも無い四国に長く住んでますが、四国と比べると九州は火山だらけ、温泉だらけですね。
fujikitaさんが見られた「熱湯から湯気がでていた火口」は恐らく阿蘇の中岳火口でしょう。
九州は観光 兼 山歩き に向いた山が多いです。
私、じつは九州生まれ、九州育ちなのですが、ぜひ九州の山と温泉巡りを楽しんでくださいね。
湯布院の名称は、湯平町と由布院町が合併したときに、それぞれの文字を使用したそうです。
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E5%B8%83%E9%99%A2%E7%94%BA
私は九州生まれ、九州育ちなので、由布院(湯布院)は、馴染み深い場所ですが、名前の詳しい由来は良く解っていませんでした。
昭和の合併前に、「湯平町」というのがあったのですね。勉強になりました。ありがとうございます。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する