行者還岳・山上が岳 周回
- GPS
- 31:33
- 距離
- 35.4km
- 登り
- 2,814m
- 下り
- 2,690m
コースタイム
- 山行
- 7:42
- 休憩
- 0:43
- 合計
- 8:25
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
K.Y先輩とK.Uさんと、行者還岳・山上が岳周回、避難小屋泊山行をしました。
一日目
0430 自宅発 K.Uさんの車で移動する。
行者還岳、大普賢岳、山上ヶ岳
途中コンビニで、更に夜の宴会鍋用、味付けゆで卵4個、焼き豚2パックを購入する。
K.Y先輩は豚ホルモンを購入していた。。
これで、予め準備していた、鶏肉、ウインナー10本と合わせると、十分な食材の大宴会である。
駐車場は、観音峰登山口駐車場
トイレ、東屋がありる立派な駐車場である。
みたらい渓谷を、白倉出会いまで歩く。
みたらい渓谷は非常に大きな渓谷である。
遡行すれば、登れない滝だらけである。
歩き始めて、直ぐK.Uさんが、車のトランクルームライト消してないと言って戻る。
白倉出会いから、国道309号を歩くが、山と渓谷の地図の行動時間以上かかる。
大川口を過ぎ直ぐに、沢を渡る。
この時、吊り橋が、ワイヤーが切れているので通行止めとなっていた。
渡河するため、沢に降りるが、水量が多く渡れない。
K.Uさんは、かなり上流まで歩き渡河した。
自分は、吊り橋を下から見て、踏み板(樹脂製)、ワイヤーがしっかりしているの確認して、吊り橋にある虎ロープをくぐって、慎重に渡る。
(私は渡河が苦手である。)
ワイヤーは対岸の、踏み板と、上側のワイヤーを繋げているのが2本切れていた。
この後、登り、最初は、杣道のようであったが、尾根道の急登となる。
K.Y先輩と、K.Uさんの二人はがんがん登る。
K.Y先輩は「さーんげさんげ(懺悔懺悔)、ろっこんしょうじょう(六根清浄)」の掛け念仏を唱えながら登るのである。
山と高原地図で破線であったが、踏み後がしっかりした良い登山道だと思っていたのだが・・・。
途中、コバのような所で昼食とする。
昼食は、コンビニおにぎり2個である。
急登を上がってきているのであまり食欲がない。
地図上で急登が終わると、トラバースとなった。
このトラバース、踏み後が崩壊して、超危険であった。
3回ほど危険なトラーバスがあった。
それとは別に、足場が無く、木の板があった所で、木の板が腐っていて、踏み抜いた。
なんだかんで、行者還避難小屋へ到着する。
この小屋は、立派である。
外側にトイレ2箇所
中は、洗面所 水は有るが、雨水のため直接飲めない。
大部屋は10にほど寝れる。2階にはロフトあり
小部屋、4人程度なら余裕に就寝可能である。
既に、1名、大部屋に居た。
我らは、小部屋に陣取る。
取り合えす、バックをデポ、エアーマットを敷いて、寝場所を確保する。
ただし、我ら3人だけ独占するのではなく、詰めて敷いて後一人は、就寝可能状態とした。
この後、最小限の荷物にて、奥駆け出合いまで行くことにする。
これは、K.Uさんのこれまで歩いた奥駆け赤線を繋ぐためである。
山と高原の地図で、片道2時間を半分の1時間で奥駆け出合いに到着した。
荷物がないと、本当に足取りが軽い、小走り出来る。
行者還避難小屋へ戻るとき、K.Uさんが前に吹っ飛んで転ぶ。
かなり速く歩いていたので、本当に前に吹っ飛んだのである。
この時、K.Y先輩が先行、K.Uさんが2番、自分が3番で
吹っ飛ぶ瞬間を見ていた。
K.Uさんの負傷の程度は、手のひらに擦り傷、それと後から、胸が痛くなり、肋骨にヒビ?となった。
この後は、自分が先行でスピードを落とす。
避難小屋に戻ると、我らが陣取っている部屋に一人入っていた。
我らは、体の手入れをして、夕食の準備とする。
明日朝食のため、自分は、行者雫水(湧き水)まで給水に行く。
早速、自分が持ってきたビールで乾杯である。
(350ml、3本を凍らして持参した。)
しかし、K.Uさんのビールはまだ凍っていて、泡が吹いた。
K.Uさんは、大鍋に野菜、タッパにも野菜を歩荷している。
昨日ラインでK.Uさんに鍋をするので、野菜を持ってきてほしいと話していた。
出汁は、棒ラーメン、プチだし、味付け茹で卵の汁、醤油など、今ある物で間に合わすことにする。
非常に美味しい鍋であった。
夕食を食べながら、一緒にこの部屋で寝る男性と話をする。
これが、山行の大先輩で、年に大峰山だけで90日は山に入るとあった。
自分は、K.Y先輩、K.Uさんより先の、20時に就寝する。
前回、雨飾山で飲み過ぎ、二日酔いでバテバテの散々な山行があったためである。
二日目
04時前に目が覚める。
K.Y先輩は、寝ているような、起きているような?
隣の大先輩はイビキである。(ほとんど気にならない)
K.Uさんも寝ている。
当初、0430には起床と言っていたが、K.Uさんは起きる気配なし。
大部屋では、04時過ぎから人の出入りあり。
結局、K.Uさんが起きたのが0530であった。
耳栓をしているので、隣の部屋の扉の開け閉めが少し気になった程度で、まだ夜中の2時なのに五月蠅いなと思いながら寝ていたと事である。
我らが、起きると、大先輩も起きた。
朝食は、アルファー白米、松茸雑炊の元、みそ汁である。
コフェルにすべてを入れて、お湯を注ぎ、更に加熱する。
朝は、昨日の宴会の影響もあり、あっさりさっぱり系がよい。
0630過ぎ、避難小屋を出発する
クロックスと昨日使用した靴下を、メッシュの袋に入れ、ザックの後ろに縛着したのだが・・・。
この時、メッシュの袋の紐をザックに繋げなかった。
昨日は、繋げていたが、縛着が外れることもなく、油断したのである。
(大普賢岳を越えて無いのに気が付く。あああ〜、後の祭りである)
まずは、行者雫水にて、水を補給する。
ペットボトル含め、2リットル弱だと思う。
行者還岳へは、分岐点にて、ザックをデポして上がる。
残念ながら、ガスっていて、展望無し。
七曜岳、国見岳(ピークは行かず)
大普賢岳はトラバースとも考えたが、登ることにする。
ここまでの登りは結構きつかった。
途中奥駆けを踏破中の男性が、カセットボンベを譲ってほしいとあり
K.Uさんが、手持ちを譲った。
阿弥陀が森を経由して、小笹の宿に昼食
良い水場があると言っていたが、湧き水ではない。
しみ出した水が沢となりそれである。
テント場にて、昼食
自分はアルファー米(牛飯)(以前八ヶ岳の残り)、レトルト牛丼を入れて加熱する。
レトルト牛丼が安物なので、今一であった。
山上ヶ岳で少し休憩し、山頂、日本岩を見て、レンゲ辻へ降りる。
ここは、木や鉄製の階段があり、登りは大変と思う。
レンゲ辻からは、レンゲ坂谷を下る。
K.Y先輩が先頭なので、ハイペースで下る。
余りの、ハイペースで付いていけない。
休憩の後は、自分が先頭で、ゆっくり下る。
舗装林道になってからも、K.Y先輩とK.Uさんはどんどん歩く。
もっとゆっくり歩けよと思うのだが。
林道に降りてから、K.Uさんがタクシーを呼ぶ
清浄大橋駐車場、トイレ前ベンチでザックおろす。
右肩が異常に痛い、見るとアザもある。
シャツを着替えようとしても、腕が上がらず、着替えるのに難儀した。
タクシーは2400円(一人800円なり)であった。
観音峰駐車場に戻るまで、途中、旅館街は物凄い人であった。
さすがはシルバーウィーク
旅館街は、立派な旅館がたくさんあった。
帰りがけ、天の川温泉によるが、入場制限405分待ち
このまま帰ることにする。
ガソリン代一人あたり 800円也
この山行記録は、
令和元年(2019年)7月7日
ヤマレコデビュー以前に歩いた山行を
「全ルートを地図で見る」の赤線つなぎ
&
「ヤマレコマイレージ」のクラスアップ
&
私の山行記録日記の充実
のため既に作成した山行記録に写真を追加、感想を追記した
手抜きモードです。
(*^-^*)
m(__)m
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