御嶽山周回・美しき三ノ池、静謐の二ノ池 <3,000m峰全踏破>


- GPS
- 12:48
- 距離
- 15.8km
- 登り
- 1,857m
- 下り
- 1,859m
コースタイム
- 山行
- 3:01
- 休憩
- 0:29
- 合計
- 3:30
- 山行
- 6:28
- 休憩
- 2:20
- 合計
- 8:48
過去天気図(気象庁) | 2018年10月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
◆アクセスは、県道473号が途中でゲート閉鎖(崩壊のためと聞いた)しているため、御岳ブルーウェイを通って御岳ロープウェイ鹿ノ瀬駅に向かい、駅直前を右に入る。道は良好。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
・道はよく整備されている。 ◆開田頂上〜黒澤道八合目の巻き道(三ノ池道)は、途中崩落のため通行不可!(10/7) 三ノ池からは二ノ池方向へ戻らねばならず、一時間余計に見込む必要あり。 ・八合目〜六合目は木道続きで、雨後は大変滑りやすく要注意。 |
その他周辺情報 | ・黒澤館(黒澤口三岳)は石室山荘と同系列。風呂良く、食事豪華。1名\8,500税別。 ・周辺に日帰り温泉含め、多数の温泉あり。 |
写真
感想
プライベートな事情のため、今年初めての本格的な山行となった。
4年前に噴火した日は蝶ヶ岳・常念岳を歩いていたが、蝶ヶ岳の山頂から噴煙を上げている様子が見えた。4年が経過していま一体どのようになっているのか。9/26から10/8までの短い期間で頂上解禁と知り、登った。
【10/6】
黒澤口は四合目から登りたかったが、油木美林を通る道が崩壊して通れないと聞き、六合目中の湯から登った。台風が接近している日だったためか、駐車場の車は少なかった。(登山開始時にGPSを起動し忘れて途中からスタートしたため、出発点が変な場所になっています。)
六合目からは林の中を通る木道を登る。
七合目あたりまでは部分的に紅葉・黄葉がきれいだ。
七合目行場山荘は登山道の真ん中にあり、登山道が建物の中を通る。こうなると思わず休んでいきたくなる、うまく作ったものだと感心する。
八合目女人堂を過ぎると、霊神碑や立像・坐像が登山道沿いに増えてくる。さすが信仰の山だ。左に坐像・鐘がある辺りがだいたい森林限界で、風が途端に強くなってきた。雨も少し増え、霧に巻かれて見通しが効かない。
九合目石室山荘に着く。頂上までは30分だが、霧が深くなり雨も次第に強くなってきたので見通しが効かないと思い、この日はここでゆっくり過ごすことにした。
宿泊者は12人。うち6人は二ノ池山荘の再建工事を行なっている業者の方々だった。
5月から仕事を続けている方もおり。頭が下がる思いだ。
登山客の方々と語らったが多士済々だった。
ジャンダルムに登り、エベレストが見えるチベットの村まで行った方、富士山を基点に奥秩父、日光・尾瀬、新潟県境、北・中央・南アルプスを通って再び富士山登頂という周回をやっている最中の青年。3人組は王滝村役場の防災担当者&大学で工学を教えている先生たちで、噴石に耐える屋根を設営してその視察に来ているとのこと。噴石がいかに破壊力があるかについて、具体的で説得力ある話をしてくれた。
山小屋で時間に余裕があり、ゆっくり語らう機会があると、いろいろな方がいろいろな経験の話をしてくれて、本当に勉強になる。素晴らしいひと時だった。
夜になると、台風通過のため雨・風とも凄まじくなってきた。
【10/7】
日の出の4:45にはまだ少し雨が残り、雲に巻かれて小屋の周囲は真っ白だった。
天気の回復を待って8時に出発した。下界には雲がかかるが、上を仰げば青空の中に頂上の方が見渡せる。
剣が峰の稜線に出ると、天気は良いが猛烈な風が吹き荒れていた。その中をゆっくり進む。
登山道を歩いていると噴火被害の痕跡にあまり気付かないのだが、剣が峰頂上には被害の様子が部分的に今もはっきり残っている。倒壊した灯篭・鳥居、破壊された立像、屋根が破壊されたままの小屋跡・・・。
石段のたもとには、犠牲となった方々の慰霊碑が建立されていた。合掌する。
立入禁止のロープが張られているため、頂上からは噴火口は覗き込めない。今の静かな山の様子からすると、噴煙が見えるわけでもなく、本当に大噴火があったことを想像するのが難しい。しかし被害の痕跡を見ると、凄まじい破壊があったことは確かなのだ。犠牲になった方々も、どうしてこんなことになったのか納得できなかったのではないか。
二ノ池は火山灰によってほとんど埋もれたと聞いた。その水はかつて石室山荘まで引かれていたが、噴火後は引けなくなったとも聞いた。在りし日の姿を知らないのであえて言うのだが、青みがかったグレーの灰に覆われた今の池面は、背景の剣が峰の黄土色と相まって、荒涼とした乾いた美しさがあると感じた。それは噴火被害後も池のほとりに黒い鬼子母神像が静かに立っているから、そう感じたのかもしれない。何だか中央アジアの砂漠の風景のようで。
たくさんの地蔵が立つサイノ河原を過ぎて、摩利支天山には崖沿いに道が続く。頂上からは剣が峰の姿が間近に望める。
次の継子岳へ向かう途中から雲が出てきて、周囲の風景は見えなくなってしまった。飛騨頂上から継子岳へ向かう道は、ほとんど人がいない。継子岳に着いたものの、凄まじい烈風が吹く雲の中にいて足元以外何も見えず、誰もいない。
早々に頂上から少し下った高天ケ原の祠で風を避けて、ゆっくりと食事した。その間トレランの女性が一人通過していっただけ(それもすごいのだが)、食事中に少しだけ下界が見える瞬間があって、風景独り占めだった。
継子二峰から下ると、四ノ池の窪地が見えてくる。池と名付けられているが、窪の中には無数の水の流れがある。こんな火山のど真ん中にこれだけ水の流れがあることが驚きだった。
四ノ池のコルから登り返すと、三ノ池が見えてきた。
驚きの水色…。
いくつもの池が御嶽山中にあるが、これだけの水量と鮮やかさを持つ池は他にない。
見ていていつまでも飽きない。池の畔の道を開田頂上まで下りながら、何度も足を止める。
開田頂上から黒沢口八合目への三ノ池道は崩壊して通行不可のため、二ノ池経由で戻らないといけない。二ノ池まで戻ると、逆光の中に剣が峰と二ノ池、そこに鬼子母神像が立ち、何とも言えず美しかった。
石室山荘からは一気に下る。往路と違って少し天気が良かったので、紅葉・黄葉を楽しみながら下った。八合目から下の道は前夜の台風の影響でぬかるみ、木道は大変滑りやすかったので慎重に下りていった。
御嶽山は独立峰で複数の火口(跡)がある火山だからかもしれないが、北にある乗鞍山と山の雰囲気として通じているものがあると感じた。
********************************************************
今回の山行で、国内3,000m級峰を踏破した。ヤマレコで記録をつけ始めた時、体力のあるうちに3,000m峰を登りきれたらいいなと思っていたが、数年かけて達成できたのは、山で出会った人たちに聞いたいろいろな話、ヤマレコに記録された情報や経験など、多くの人たちの助力や励ましなどがあったからこそだと思っている。
無事に達成できたことについて、出会った多くの人たちに感謝したい。
そしてこれからも自分のペースではあるが、登り続けたい。
ichiさん、ご無沙汰しておりました。3,000m峰全登頂達成、おめでとうございます。凄いなぁ・・・私も登れるうちにチャレンジしたいです。しかし私もですがichiさんも今年はなかなか登れずな年になってらっしゃるのですね。お互い先はまだまだ長いです。ノンビリやりましょう
御嶽山登って来られたんですね。私もいつか一度足を運ばなければと思っています。お写真の数々、まさに霊峰の名に相応しい荘厳さがありますね。祠や鳥居、石碑に鬼子母神像など1つ1つが、古来から人々が山と共に生きてきた証であり、悠久の歴史を感じられたかと思います(もちろん新しいものもそれなりにあるでしょうが)。そして小屋での同宿者さんたちとの語らいも良かったですね。ホント、山へ行くとそこらじゅうにとんでもない事を成し遂げている人たちが居て、侮れないなぁと思います
あの噴火から何年も経ってしまいましたが、自然とは穏やかでその美しさを存分に堪能できたかと思えば、またある時は怒り狂ったようなその恐ろしさをまざまざと見せつけられてしまったりと極端な両局面があることを改めてあの事故で知らしめられたような気がします。亡くなられた多くの方々の御霊が安らかになられるよう願いつつ、これからも私たち登山者は最大限の準備と注意の元で安全登山をしてゆきたいですね。
ryoさん、お久しぶりです。ご無沙汰していました。
コメントありがとうございました。今年はryoさんもあまり登っていなかったのですね。
山だけに時間を割いていられない事情が、お互いにあったということですか。
自分が登っていないと、なかなかヤマレコも開かなくなってしまいまして…
3,000m峰踏破は、おそらく槍・穂高を歩いたあたり頃から意識し始めたかと思います。
毎年何峰かずつしかできませんでしたが、今の段階で達成できて良かったと思っています。
ryoさんは乗鞍岳は登ったことがあったと思いますが、御嶽山も乗鞍岳と同じ独立火山ということもあって、山の稜線に出てからの雰囲気が似ているなと思いました。乗鞍岳も地元の信仰厚い山だと感じましたが、御嶽山は麓からの雰囲気がそれ以上でした。やはり富士講と並んで「御嶽講」が古くから盛んだったことが大きかったのかなと思います。王滝口から登るのが古来からの代表的ルートのようで、話を聞くとそちらの麓の方は今回使った黒澤口以上に雰囲気が残っているのではないかと思います。
子供の頃に1979年の噴火があって、当時ニュースで盛んにやっていたことを覚えています。下山後に泊まった宿にその時の写真がありましたが、その時の衝撃を思い出しました。今回山頂まで登りましたが、火口の様子が見えなかったせいもありますが、今の様子は本当に4年前の惨事があったことが想像できないような静けさだったです。
ryoさんの言うとおり、これからもぼちぼちと歩いていきたいですね。
これからどのような山を歩くのか、ryoさんのご活躍・足取りも見ていきたいです
コメントが遅くなってしまい、すみません💦
百名山踏破はよく聞きますが、3,000m峰踏破という方法もあるのですね!最後に残っていた3,000m峰の御嶽山が短い期間でしたが登頂解禁になって良かったです!来年以降はどうなんでしょう?
私も御嶽山はいつか登って、自然の厳しさを感じたり、山で眠っている方達に手を合わせたいと思います。
でも3,000m峰踏破はしない予定です😅山の登り方は人それぞれだと思いますが、私は登頂よりも山と山を繋ぐ稜線が好きで、名前がついた道を歩きたいです❤今年は今月に歩いた谷川岳主脈、8月末に歩いた栂海新道が目標でした♪来年も歩きたい道があり計画中です😊
だからichiさんと会った時に歩いてた丹沢主脈も、あの時は大変でしたが(笑)達成感のある歩きになりました。
ichiさんは、これからどんな山歩きをするのでしょうか?楽しみにしています😊
popieさん、コメントありがとうございました。
今年の御嶽山頂解禁は、9/27の慰霊のためという意味合いが大きかったのだと思います。
被害を受けた場所の復旧は継続していますし、来年以降は徐々に普通に入山できるように準備を進めているはずです。遠望すると、御嶽山は独立峰ゆえにとても見応えがあり、それゆえ信仰の山として仰がれて古くから多くの人々が参詣登山してきた山ですし、それを迎え入れて生活してきた地元の暮らしもありますから。
3,000mの意味合いは…きっと、何とかと煙は高い所に登りたがるという、そういうことなのかもしれませんね
popieさんの稜線歩きスタイルは私も好きですし、山行の名に値するものと思います。(山ごはんは私はなかなか真似できないけど。)栂海新道を歩くなんて、なかなかできないですからね。ピークハントを目標としなければ、本来は気に入った場所を見つけたら、先に進まずにとどまっていたいし。それでは稜線歩きにならないか…(笑)。
まだまだ登りたい山はたくさんあります。大体、八ヶ岳も中央アルプスもまだ行っていないですし、時間をがっつり作れれば裏銀座・雲の平を行きたいですし。体力あるうちにできるだけ高い所は行きたいですね、なにせ"何とかと煙"なもので。
popieさんの山登りスタイルはどんどん進化しているなと感じます。私はそこまで進化できないようですので、ぼちぼちとやります。
どれだけpopieさんのバリエーションが増えていくのか、楽しみです
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する