剣山から三嶺縦走(備忘録)〜若かりし頃の四国への山旅(その2)〜
- GPS
- --:--
- 距離
- 20.6km
- 登り
- 1,681m
- 下り
- 2,144m
コースタイム
天候 | 1日目:晴れ 2日目:晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
名頃 8:55=(タクシー)=9:55 かずら橋 10:00=(四国交通バス)=11:45 阿波池田 11:57=(急行「土佐4号」)=13:07 坂出 13:19=(快速「マリンライナー22号」)=13:58 岡山 14:50=(特急「やくも9号」)=17:15 米子(その日の宿が取れず、伯耆大山登山を断念)18:09=(寝台特急「出雲2号」)=6:30 東京 |
コース状況/ 危険箇所等 |
剣山、次郎笈間は明瞭な山道。 三嶺に進むにつれ、草深くなった。 |
その他周辺情報 | 国民宿舎「剣山荘」で前泊(1泊1食付き5450円) 縦走中、三嶺ヒュッテ(避難小屋)で1泊 |
写真
感想
1989年GWを利用しての四国の山旅の備忘録。
石鎚山に続いて、剣山から三嶺の山紀行。
石鎚山から下山した当日は、その日のうちに剣山山頂まで登る予定にしていた。
しかし、移動に時間がかかり、天気も悪いので国民宿舎「剣山荘」に泊まることにした。
従って、剣山・三嶺の縦走は諦め、剣山往復のみに留めようと考えた。
翌日は打って変った上天気。
宿舎を早朝に出発し、剣山に7時過ぎには登頂した。
剣山から見た次郎笈の美しさに見とれて、
そこまで往復してみることにする。
次郎笈は草原の素晴らしい頂上であった。
人工物のない次郎笈は剣山よりも数段居心地の良い頂上であった。
朝食を取って三嶺までの縦走路を見ていると、むらむらと登高欲が湧いてきた。
天気は大丈夫か、時間は大丈夫か、食糧は大丈夫かと検討を始める。
問題は食糧であった。
剣山往復の予定だったから、十分な食料を用意していない。
カップラーメン、パン、チーズ、お菓子少々。
どう見ても2食分である。
「え〜い、どうにかなる」と、三嶺に向けて縦走を開始した。
丸石までは快適な縦走路、その先は一転して草深い歩きにくい道となった。
展望の良いピークで、せんべい、チーズの貧弱な昼食をとり、
白髪分岐の避難小屋では30分くらい昼寝をした。
途中、関西から来たという男性2人組と知り合う。
「ダイエット登山をしている」というと、
「山を登るときは腹をすかしてんじゃだめだ!これを食べなさい」と笹団子を差し出してくれた。
私はありがたく、その好意に甘えることにした。
三嶺の登りはきつかった。
喘ぎながらその絶頂に立つと、草原の広がる気持ちの良い頂であった。
三嶺ヒュッテは、頂上から草原の中を10分ほど下った池のほとりにあった。
広々とした清潔な小屋で、快適な1日を過ごすことができそうだ。
夕食を食べた後、小屋前の草原に横たえ、夕景の中に浮かび上がる山々を堪能する。
剣山と次郎笈が遠くに霞む。
落日を見に、もう一度三嶺の頂に立つ。
翌朝は6時前に出発。
関西の男性2人組と一緒に、名頃に下りる。
下りはあっという間で、8時前には名頃集落に到着した。
タクシーを相乗りして、かずら橋でバスに乗り換え、阿波池田駅に出た。
名頃集落から3時間もかかった。
次は、伯耆大山に登ろうと思い米子へ向かった。
夕方の米子駅は混雑していた。
早速、観光案内所に行って、今宵の宿を予約しようとしたら、どこも一杯であった。
野宿でもしようかと考えたが、そこまでの根性はなかった。
後ろ髪を引かれる思いで、奇跡的に切符が取れた寝台特急で東京送還と相成った。
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