土曜日の高妻山は水の城越えからの修行の道だった。
- GPS
- 09:18
- 距離
- 13.8km
- 登り
- 1,486m
- 下り
- 1,489m
コースタイム
- 山行
- 8:31
- 休憩
- 0:48
- 合計
- 9:19
天候 | 晴れ時々曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
高妻山に行かなければならないと思っていた。昨年後立山連峰から見た高妻山が素晴らしかった。また、今年の夏に八海山から見た高妻山も地面から飛び出しているようでかっこいい山だと思った。もっと早くに登っておく山だと思っていたがついつい伸びてしまっていたのだ。本当ならば戸隠山と一緒に行きたいと思っているうちに行く機会を失っていた。
今回、金曜日の午後からの職場内の会議参加者のうち3名が体調不良により会議が流れた。私は「じゃ!山行きます」と半日の休暇をもらい金曜日のうちに長野県北部の道の駅にたどり着いた。すると途端に雨が降ってきた、結構降る雨、でも夜中のうちに止むという予報、車内で見るテレビと予定の最終確認をして就寝した。
朝、セブンイレブンで飲み水や行動食などを買い込み戸隠キャンプ場にある登山者用駐車場に向かう、幸運にも空きスペースを見つけて準備に入り、準備が終わり次第スタートする。
今回は、戸隠山は外し高妻山に絞ることとした。コースは、一不動から十阿弥陀まで順番にたどりたい、そして帰りは弥勒尾根にて楽に帰ってこようというコースです。それでも、登り5時間半、下り3時間半、合計9時間というロングコースだ。
登山者駐車場は標高1170m程度で、高妻山は2300m台なので、標高差は1200m位だが、二釈迦から先の数字はすべてピークであるので、いったん下り登り返すことを繰り返す。勿論帰りも登り返しがあるということを頭の中に入れておかなければならない。
ちなみに、この各ピークで祀られている仏さまは以下のとおりです。簡単に書きますので、詳しく知りたければ調べてみて下さい。
なお、悟りを開いたものを「如来」、悟りを開こうとしているものを「菩薩」としている。また、密教由来の「明王」、護法善神で構成される「天部」、そしてそれらの信仰対象すべてを「仏」と言っている。
一不動 不動明王、密教特有の信仰対象で明王の中でも一番知られている。(初・七日)
二釈迦 釈迦如来、仏教の開祖である釈迦を仏として敬う名前である。(二・七日)
三文殊 文殊菩薩、普賢菩薩とともに釈迦如来の脇にいる、智慧を授けるとされている。(三・七日)
四普賢 普賢菩薩、釈迦如来の脇にいる、釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩のことを釈迦三尊という。慈悲にて人々を救おうとする賢者である。(四・七日)
五地蔵 地蔵菩薩、子供の守り神ということでお地蔵さまが様々なところに置かれている。釈迦の入滅後弥勒菩薩が表れるまでの時間六道をつかさどるとされている。(五・七日)
六弥勒 弥勒菩薩、釈迦如来が入滅したのち56億7000万年後に現れるとされる未来仏。(六・七日)
七薬師 薬師如来、大乗仏教における如来の一仏、医術に関しているとされている。(七・七日・・・四十九日)
八観音 観音菩薩、観音経、般若心経などに登場する菩薩。勢至菩薩とは兄弟とされている。中国では女性扱いになっている。(百か日)
九勢至 勢至菩薩、観音菩薩とは兄弟とされている。戦と迷いの世界に苦しむ亡者を仏道に導くとされている。(一回忌)
十阿弥陀 阿弥陀如来、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の3体で阿弥陀三尊とされる。浄土真宗などでは阿弥陀仏のみを信仰の対象とする。(三回忌)
十一阿閦 阿閦如来、揺るぎない、不動というもの。この如来の悟りが非常に硬いことをしめしている。(七回忌)
十二大日 大日如来、日本では平安時代に最高の仏として信仰を受ける。富士信仰なども大日如来の信仰である。(十三回忌)
十三虚空蔵 虚空蔵菩薩、知恵の菩薩とされ人々に知恵を授けてくれるとされる。(三十三回忌)
なので、一不動で不動明王にご挨拶し、次に釈迦三尊、釈迦が入滅してからを司る地蔵菩薩、その後現れる弥勒菩薩に挨拶し、阿弥陀三尊となる。乙妻山まで行くのであれば、さらに2人の如来、虚空蔵菩薩に挨拶することとなる。
で、この13仏は江戸時代に考えられた冥界の審理に関わる13人の仏さまとされている。死者はそれぞれの日数に応じて冥界の裁判官のもとに出向き裁判を受けるとされていたようだ。そう、この修行を1日で行くわけだ。
深田久弥は高妻山までしか登っておらず、乙妻山までは達していない。でも、登りたかったということも書いてある。もし彼が乙妻山まで達していたら「高妻山・乙妻山」として紹介されていたかもしれないなあと思いながら歩いていた。
そして、登り返しを繰り返してようやく山頂になりました。「日本百名山 高妻山」と書かれた棒の横には二等三角点がありました。ここで軽く食べ(お菓子程度)、キアゲハとクジャクチョウを撮影した。特にクジャクチョウは一瞬止まってまた飛び去った。その一瞬をよく切り取ったと思う。家でトリミングしてから載せているが、人生初チョウ、うれしくなった。(最初アカタテハかと思っていたが、次の日に訪れた昆虫博物館で似ているチョウと発見し同定した。)望遠が間に合わなくても撮影しておくべきだと思った。
山頂に人が増えてきたところで私は山頂を辞する。帰りは弥勒新道を行く。新しくできた道のようで、この道ができる前はあの水の城の道を下っていたのだと思うとぞっとする。
斜度はあるが基本単調な道だ。ただただひたすらに下り続ける。そうすると、戸隠牧場入り口に出る。3時を過ぎているので山はもう暗くなり始めている。でも、牧場入り口からはもう風景が違った。そこにはホッとする風景があった、動物と戯れている人たちの風景があった、そんな中今日一日の冒険をした私とは雰囲気が違った。私はそそくさと何も見ずに入口に向かう。明らかに泥だらけの下山者が歓迎される雰囲気ではなかった。
登山者用駐車場で服を取り換え私は、夕食とお風呂に向かう。
途中で見つけた戸隠そばの店にてそばを頂く、もうこの地域ではそばの収穫が終わり「新そば」となっているそうだ。食べた店は寛政年間創業の店、もう400年近くここで茶店を出し、後半からはそばを提供している店だったのだ。本当にしみじみとうまい、そばのうまさを伝える言葉って難しいなあと思うが、この店のそばはしみじみと旨かった。
温泉は長野市「ぶらっと」、長野市のJチームなどもここの温泉に来るのだそうだ。本日は露天風呂が低温風呂だった、入っても熱さを感じないのでただただだら〜んと湯船につかっていてしまう。結局長湯してしまった。
温泉の休憩所で私はタブレットで調べ始める。明日の日曜日は曇りだ、コースタイムが短い山に登ってそのまま帰宅する予定だ。いい山はないかなあ、と調べ、計画を立て、休憩のための道の駅に向かった。
aiさん こんばんは
帰ってこられて、早速長野遠征とは相変わらず感心させられます。
この夏は何県足を踏み入れたのでしょうか。
高妻山、日本百名山なのですね。登り甲斐のある山というのが伝わってきました。
19はジャコウソウのように見えますが、自信はありません。
hamburg
HBさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
前日の金曜日に会議が流れてしまったのでそのまま山に向かいました。長野県と新潟県の県境付近の山で、本来なら3連休で1日目移動、2日目登山、3日目帰宅という予定を組んでいましたが、前日の半休を使い土曜日に登りました。
水あり、花あり、チョウあり、信仰あり、登りがいがありましたよ。
ジャコウソウ、写真を検索しましたが、確かに似ていますね。
aideieiでした。
aideieiさん、こんにちは!
高妻山
ちょうど先日再放送があったグレートトラバース3で
田中陽希さんが雪の斜面を登っていましたね!
山の姿がきれいで印象的でした。
夏は夏で、水の城を超えてゆく難路なんですね。
戸隠とあわせて、修験の厳しい道なのですね・・・
最後の戸隠そば、美味しそうです!!
無事の下山お疲れ様でした。
sumihiyoさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
たくさんの「何だろう?」があった山ですね。なぜ13という数字で仏像が終わっているのだろう。なぜ、仏像の位(仏さまにはそれぞれ位があります。「菩薩」とか「如来」とか)がばらばらなのだろう。そういうことに疑問を感じたら調べなくてはならなくなってしまいます。そして、調べたらレコに載せたくなってしまう。こうしてレコが長くなってゆくのですね。
でも、昔どのように信仰されてきた山かということを深田久弥は大事にしていますから、百名山に登るからにはぜひ押さえたい知識だなあと思っています。
グレートトラヴァース、家にはBSなどがないので見たことがないのですが、北海道の実家で初めて見ました。面白いですね。そして自分が登ったところが出てくると「うんうん、そうそう」と同意してしまいます。YOUTUBEで見られるよという情報を得たので少しずつ見てみようと思っています。
aideieiでした。
aiさん 渡渉が、難しそうですね
水量が多いと頭使いますね
良く考えて行きたいです
高妻山、、良し
muttyann
muttyannさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
前半はいかに濡れないかでした。特に今回前日の夜に雨が降っているので水量は多かったようです。
高妻山は、10阿弥陀の山頂を見られるのは7くらいです。「ああ、あれが大ボスか!」と一気に高まります。延面300mで標高300m上げる角度45度の急登、しびれました。
ぜひ、登られて下さい。
aideieiでした。
拙者、個人的には23&24はとても怖かったです。
特に下山時が…。
当時はまだ弥勒新道がなかった(もしくは、一般的ではなかった)のか、ピストンでした。
隊長
半袖隊長、こんにちは。コメントありがとうございます。
確かにあの鎖場を下ることを考えるとゾッとします。一緒に話した人には弥勒新道ピストンという人もいましたが、せめて行きぐらいは一不動を越えてゆくのがよいのではないかと思いました。
aideiei@富山県でした。
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