大文字山《京都百名山》
- GPS
- 02:41
- 距離
- 9.4km
- 登り
- 485m
- 下り
- 490m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
山科駅から京阪京津線の線路に沿って歩き、毘沙門堂の参道を北へと進むと盛りを迎えた紅葉が美しく、石段に真っ赤な楓の葉が落ち静かな美しさを演じていた。7:30だというのに沢山のカメラマンがこの風景を撮っていた。山科聖天の参道も同じ風景を醸していたが此方はカメラマンの姿なし。安祥寺川の分岐点に後山階陵があった。任明天皇女御で大皇太后の尊称を奉られた藤原順子を祀る御陵で参拝して上流へと林道を辿った。
昨年の台風21号による倒木が凄まじくまだ全てを処理できずに残っていた。歩く人の少ない登山道で木を跨いだり潜ったりで歩き難い。それでもレスキューポイントの標識があり体制は取られているようだ。「安祥寺山」の表示があるので右岸のP400が其れではないかと目星を付けるが確証はない。この斜面は特に倒木が酷く然も這い上がれそうな傾斜ではない。それに今日は余り時間を掛けていられないので林道をそのまま進んだ。
道端にホコリタケを見つけた。花のない季節でもキノコが頑張っている。奥に進んでも踏み跡はしっかりしていて山頂に導いてくれそうだ。まっすぐ本流を突き上げるルートもあるがより大文字に近い明瞭な道を辿って行くと水流が途絶え谷が二つに分かれ右側に入って行った。軈て地図に無い林道に飛び出し、横断して地形図にある水平道の登山道に合流した。暫く行くと京都トレイルのメジャーな道に飛び出すともう一息歩いて大文字山(465m)山頂に到った。天気は快晴、先月京都百名山シリーズで来た時と同様遠望が利き大阪のビル群、生駒山、紀泉山脈、大嶺山脈の山々を見ることができた。先客は大阪から来た熟年のご夫婦だけだった。
展望を楽しんだ後火床へは行かず、直接霊鑑寺の谷に下るで、すぐに分岐がある筈だがそれらしい道がないまま火床へ向かってしまいそうなので無理やり南西に斜面を下りだした。下草はなく何処でも歩けそうなので下って行くと何となく踏み跡らしいものが出てきた。尾根の先端まで下ると谷に収束するところで明瞭な道に合流した。登山道を進むと“俊寛僧都忠誠の碑”があった。昭和10年(1935)に設置されたものでこの地に平家打倒の密議が行われた鹿ヶ谷山荘があったとされているが凄い傾斜地で相当疑わしい。俊寛は密議が露見し平清盛によって薩摩鬼界島に流され客死した。忠誠の碑の隣には楼門の滝があり、落差10mとこの山域にしては規模の大きい滝だった。
対岸に黒い動物が動いている。熊かと思ったが何と犬だった。急な斜面を滑落もせず走り降りている。こんなところに何故? 首輪をしているので飼い犬なのだろうか? 纏わり付かれては面倒なので急ぎ足で進んで行くと浪切不動に到った。奥の方に小さな石仏があり滝行ができるように設えられていた。すぐ下流には矢留鬼不動があった。「やるき」と読むのだろうか何か居酒屋みたいで面白い。長い坂を下って霊鑑寺門前に達した。南側にノートルダム女子中学・高校があり今日は校内の“和中庵”が一般公開されているようで時間があれば見たかった。和中庵は繊維製造販売を手掛けた藤井彦四郎が築いた邸宅で昭和24年にノートルダム教育修道会が取得し修道院として使用され平成20年にノートルダム女学院中学高校に移管された。
京都疎水を越えて真正極楽寺(真如堂)に立ち寄ると紅葉真っ盛りで椛の赤が伽藍に溶け込み将に京都の秋を彩っていた。山門を出ると真正面が吉田山山麓にある宗忠神社で先月の吉田山山行を思い出し立ち寄った。あのときは吉田山の三角点(3等105m)を見損なったので足を伸ばし立ち寄ると公園の傍らに設置されていた。吉田神社の鳥居から近衛通りに出て荒神橋へと急いだ。橋は渡らず鴨川の流れに置かれた飛び石を渡って河原で行われる装備点検会にジョインした。
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