九千部山・朝日山 《九州百名山》


- GPS
- 06:57
- 距離
- 21.6km
- 登り
- 1,211m
- 下り
- 1,401m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
復路:新鳥栖駅まで徒歩 |
コース状況/ 危険箇所等 |
概ね整備された道 |
写真
感想
新鳥栖駅からタクシーで勝尾城遺跡の筑紫氏館跡まで乗った。広い駐車場があるが止められている車はなかった。谷沿いの道に九千部山登山道の案内があった。石段を上がると五社大明神(筑紫神社)で鳥居はあるがお寺のような雰囲気だった。此の一帯は勝尾城筑紫氏の居館跡で背後の城山を戦時の砦とし日常は、此の麓の居館で生活していたようだ。
鳥居の傍らから城山への登山道があり←が両方に向いているので、2ルートとも生きているようだ。左に向かう矢印に導かれ登山道に踏み出すと丸太階段が整備されているが一部草が被り余り歩かれていない雰囲気だった。河内町から来た林道に飛び出し50m程林道を西に行くと再び尾根道に取り付くことができた。P382を通り送電鉄塔に達したが余り展望はよくなかった。前方に岩の重なりが見えてくると物見岩で勝尾城の主郭の先端で物見をしていた場所だという。岩の先端部に行くとその名の通り展望が良く筑後平野、鳥栖の市街が望めた。此の位置に4等三角点の「城山」(484m)があり勝尾城主郭へと続いていた。城山(498m)山頂は勝尾城主廓の一番高いところで“山頂”標識は無く城跡の案内だけだった。
北東方面に下り大谷への分岐の鞍部を過ぎると西へトラバースして稜線に取り付いた。登山道は稜線の少し下を巻くように付けられていた。林道に飛び出すと50m程西に移動して再び登山道に取付いた。地形図には2本の道が絡まり合うように描かれているが交差地点の大岩の辺りに道形はなく、九千部山の南から登頂しようと目論んでいた道も確認できなかった。
九州自然歩道の稜線に達し九千部山(847m)山頂域に到ると電波塔群が犇めき、への字に折り返すようにして先端部に達すると2等三角点「田代山」が盛り土に乗ったような状態で設置されていた。三角点のすぐ傍には2層の展望櫓があり5人のパーティーが昇っていた。先端部まで行くと十分に素晴らしい展望が得られ筑後平野から古処山や馬見山などが霞の中に確認できた。テーブルが設置され数組のパーティーで賑わっていた。
来た道を引き返し城山からの合流点を通り越し南に進んだ。九州自然歩道の整備された道で福岡・佐賀県境稜線を行く。アップダウンの少ない道で木漏れ日の中気持ち良く歩くことができた。縦走路から外れてP819に立ち寄ると南西尾根に下ってしまいトラバースしてリカバリーをした。登山地図には「三国峠」と書かれていたが現地には「三領堺峠」または「三領境峠」と書かれた標識が設置されていた。福岡県那珂川市と佐賀県鳥栖市・みやき町の堺で九州自然歩道は西へ行ってしまった。その先には脊振山が控えている。南東に進むと広いなだらかな山頂に石谷山(754m)があった。展望はなく、3等三角点「石谷山」が設置され、写真を撮っているとトレランの男性が南から登ってきた。
稜線沿いに雲野尾峠を目指す予定だったが、指導標に再三出てきた御手洗の滝に立ち寄ることにした。雲野尾峠への稜線道と分れて沼川の谷間へ下り、沢沿いに進んだ。支流の水を集め水流が増してくると右岸を高巻き出した。地形図には左岸の道が滝を通っており、分岐を探したが見つからなかった。高巻きから急斜面を下ると御手洗の滝の滝壺付近に降り立つことができた。落差22mの滝で見応えがある。傍らには十二支に因んだ仏像が順に並んでいた。私の守護仏、阿弥陀如来に手を合わせた。案内によると室町時代、修験者がこの滝に立ち寄り手を洗い、身を清めたことから名付けられた。滝の断崖に如意輪観音は確認できたが、左手の洞窟に大日如来と不動明王が祀られているそうだ。
少し下ると第二の滝があり、これも絶壁の向こうに5m程の落差で美しい。傍らにキャンプ場があり7つのテントサイトがあったが今年はコロナで閉鎖されていたそうだが、500m川下に河川プールがあり例年は賑わうようだ。管理棟の直ぐ傍に登山道の分岐があり、雲野尾峠へと続いている。谷沿いから尾根道となり稜線直下で林道に合流し、稜線道と合流して雲野尾峠へと進んだ。雲野尾峠(400m)は"峠"ではなく“山”で3等三角点「雲ノ峠」が設置された静かな山頂だった。
林道合流地点まで引き返し、稜線道を辿り北上した。P447の南尾根を回り込むように走る林道に飛び出し、林道の尾根の西側部分を北上した。P447の西尾根に描かれた黒実線道を登ろうとしたが林道の支線が切通しとなり断崖で阻められた。此の荒れた林道支線を進むが尾根の北側で途切れてしまった。傍ら藪から強引に尾根に取り付くと何処から来たのかしっかりした道が出てきた。
P447は何もなく、東に登山道が続いていた。標高300mまで下るとしっかりした林道と交差しゲートのある支線へと下って行った。交差地点辺りに描かれていた送電線は今はなく、地図にない新しい送電線がP447の南側から続いていた。林道を下り、地図にない送電線(脊振鳥栖線)鉄塔線44号に到ったが確認せず尾根を下り続けると踏み跡が途切れ間違いに気付いた。正しい道の入口には「←脊振鳥栖線43号、44号→」の標識があったが藪に覆われて道とは分からなった。
藪を掻き分け入って行くと比較的明瞭な道となり、谷間へと続き軈て山浦町の集落に下り立つことができた。長崎自動車道の山浦SAの辺りで自動車道を潜り、九州新幹線の筑紫トンネルの出口から新幹線保線基地の傍を通り新鳥栖駅へと向かったが、予定時間まで1時間以上あり駅近くに横たわっている朝日山に足を伸ばすことにした。
朝日山(134m)は朝日山城の跡で東側は配水施設となっており一部樹木が切り開かれ眼下に新鳥栖駅を俯瞰することができた。折から新幹線や長崎本線の特急列車が通り写真を撮ることができた。稜線を登って行くと曲輪跡や明確な堀切の跡が見られ山頂の主郭には宮地嶽神社が祀られ、傍らに3等三角点「旭山」が設置されていた。朝日山城はWikipediaによると建武元年(1334年)少弐盛経の子で朝日氏の祖となる朝日資法が築いた城であり、天正14年(1586)島津家久に敗れ廃城となっている。南側に下山し観音堂を見て新鳥栖駅へと帰着した。
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