東根温泉〜船形山(御所山)〜定義 長谷川末夫・トリビュート【かもしか山行】
- GPS
- 15:53
- 距離
- 48.2km
- 登り
- 2,045m
- 下り
- 1,843m
コースタイム
天候 | 晴れ、5-15℃。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
山形駅22:37発・奥羽本線「新庄」行 東根駅23:06着 宇治沢バス停15:22発・仙台市営バス「仙台駅」行 |
コース状況/ 危険箇所等 |
●長谷川末夫 長谷川末夫さんは、高名な登山家ではなく、一般ハイカーです。ただし、ただのハイカーではなくスーパーハイカーです。関東・東北地方を中心に、枯木山や博士山など、今となっては垂涎ものの山行をこなしています。長谷川末夫著『汽車が好き、山は友だち』(草思社)によると、船形山には昭和14年と15年に1回ずつ登っており、前者では東根〜熊ヶ根の約45キロを約17時間、後者では定義温泉〜東根温泉の約30キロを約12時間半、という日帰り山行をしています。特に昭和14年のロングコースは、現在は廃道となった仙交小屋跡分岐から大倉川(鬼口沢)沿いに定義へと辿るルート(当時は「御所山林道」と呼ばれ、後白髪コースのほうが「船形林道」と呼ばれていたらしいです)を利用しており、当時の雰囲気を詳細に伝える貴重な記録になっています。これは以下のサイトでwebでも読めますので、興味ある方はご確認下さい。 http://mokkiriya.at.webry.info/201206/article_3.html ●大倉ダム 大倉ダムができたのは1961年(昭和36年)ですから、戦前にはダムはなく、大倉川の深い渓谷には、高さ50メートルほどの、奇勝で有名な旧天狗橋が掛かっていました。菅野照光著『30年のドキュメント 沈んだ村』によると、そもそも大倉ダムの建設にはトラブルがあったようです。十里平(約10戸)にダム建設を推進しようとする仙台市と、大倉(約60戸)に大きなダムを作ろうとする宮城県との争いがあり、最終的に国の支援を受けた県が勝ち、大倉が水に沈むことになりました。このとき、旧天狗橋も、近くにあった天狗茶屋(ところてんで有名でした)も一緒に消えています(昭和48年頃、ダムの水位が下がったとき、天狗橋が久しぶりに往事の姿を現した、という記述もあります)。陸前落合・赤坂方面からの定義街道や熊ヶ根からの道を進んできた定義参詣の人々は、急峻な高柵山のトンネルを抜け、天狗橋に至って天狗茶屋で一服し、橋を東から西に渡って定義如来を目指したようです。ということで、長谷川さんが旧大倉集落のどこを通ったのかは分かりませんが、西側を通って昔の天狗橋を渡り(ところてんで有名な天狗茶屋がありました)、高柵山隧道を夜盗沢のほうに抜けてから、熊ヶ根へと至ったと考えられます。1/25000地図には旧道もまだ残存しています。 ちなみに、高柵山隧道道については以下のサイトが詳しいです。 http://www.geocities.jp/hkdo2/ro/jok/01.html |
写真
感想
船形山のオールドコースに挑戦してきました。
前回の黒伏山のナイトハイクは、実のところは偵察で、今回が本番です。戦前に東根温泉から船形山に登った長谷川末夫さんの記録をなぞるのが目的です。ただし、昔と現在とでは道が異なる部分もあり、完全な再現ではありません。長谷川さんは仙交小屋跡分岐からの廃道(ただし、長谷川さんが登った当時は仙交小屋すらなかったかもしれません。旧仙南交通ができたのは1959年=昭和34年でした)を利用して定義に降りていますが、私は後白髪コースを利用することにします。また、定義から熊ヶ根への道も大きく変わってしまいました。
道路が整備される以前は、船形山の登山基地として東根温泉は有力だったようです。ということで、東根温泉から歩きます。東根駅でJR奥羽本線を降りて、東根温泉方向にいったん北上し、29号線を南下するルート。温泉はそれなりに賑やかでしたが、歩き出せばアッサリ漆黒の世界になりました。この日はほとんどお月様が出ず(早朝日の出前に細い三日月が見えた程度)、電灯も控え目で寂しい気持ちになること請け合いです。「東根の大けやき見てみたいな」と思いながら、三日町の信号を東へ行くと、旧街道の趣きが滲み出てきます。しかし橋を渡って十八夜供養塔を見届けると、人気はもっと深刻に薄くなりました(ちなみに、長谷川さんは早朝4時に宿を出て、途中の高崎までバスに乗っているようで、そんなに早い時間帯にバスが走っていたことが不思議です)。
大森山公園を左折してから原宿までが長いストレート。トラックが行き交う中をテクテク歩くと右脚付け根がジンワリ痛みます。「前途多難だな」と思いますが、仕方ありません。ただ、登山道よりも脚に負担の掛かるアスファルトは、今回のロングコースの鬼門となりました。原宿からジャングル・ジャングルまでは先々週に通った道ですが、今回は真っ暗なのでプレッシャーを感じました。ラジオをつけますが、NHK第一の電波が強くなったり弱くなったり。アテにならないので、舗装道が砂利道に変わるあたりで熊鈴を手に持ち、「ほーい。ほーい」と熊よけの発生をしながら進みました。柳沢小屋と観音寺コース登山口の間で車2台に追い抜かれましたが、登山口から進み出したのは私のほうが先でした。落ち葉が敷き詰められ、ところどころかなりぬかるんだ道を粟畑に至ると、空が白んできました。始まりを遅くしたので、前回のように山林の中で長い夜を経験せずに済みました。
粟畑からのコース、圧巻は仙台カゴです。この山は船形山の山頂から見ると、楠峰や白髪山に囲まれ、その良さが分からないと思います。このロックガーデンは近くで見れば貫禄充分。観音寺黒伏や沢渡黒伏に並んで、御所山の五箇所参りに選ばれるだろうと思いました。遠く荒神山を見ながら仙交小屋跡に至りますが、ここから定義への廃道はいずれは歩いてみたい道です。遠景では、大倉川の支流が十里平のほうへ集まっていくのが窺われました。
今回の核心部は、仙交小屋跡分岐から船形山への400-500mの登りです。船形山が少しずつ近づいてくることを感じながら、ペースを落とさないようにロープ場を上がっていくと、森林限界を越えたときに素晴らしい展望が待っていました。早く山頂に上がった方がいいと判断します。
8時頃の船形山山頂は、風がほとんどありませんでした。気温は5℃くらいなのでやや寒いのは仕方ないですが、こんな展望は初めてです。鳥海、月山、栗駒山、神室連峰、早池峰、以東岳、大朝日岳、飯豊連峰、蔵王、太平洋。なにからなにまで見えました。条件が良ければ、日本海も見えるのかと。船形山が奥羽山脈の真ん中にあることが実感できます。大滝から登ってきたというご夫婦と立ち話をして、名残惜しく山頂を去りました。
残りは蛇ヶ岳と後白髪山を辿るいつものコース。長谷川さんが2度目に船形山に登ったときに使ったコースです。後白髪山の北にある円錐形のポコポコは、その昔「南宝森」と呼ばれていたとか。途中、後白髪山の下空沢と水茶屋の間で小さい熊に遭遇するアクシデントもありましたが、4km地点まではスンナリでした。が、ヤブ漕ぎを必要とする後白髪登山道は現在伐採作業中のため、道路がドロドロになっています。途中で出会った男性2人に話は聞いていたのですが、想像以上の悪路で大変な目に遭いました。ココは使えないと思った方が良く、定義林道を使うのがベターです。
定義まではだいたい予定タイム通りだったのですが、泥を落とすために30分ほどロスしてしまいます。再びアスファルトの歩きになり、流石にそろそろ怪しくなってきます。「行けるところまで」と思って熊ヶ根を目指して歩き始めましたが、約1時間歩いたところで小指の圧迫感が極まり、右脚鼠径部、左足の膝関節が痛み出し、宇治沢バス停で山行を終了することとしました。長谷川さんのように熊ヶ根までは無理でしたが、長谷川さんのバス区間を歩いているので、だいたい同じくらいの距離になったのではないかと思います。
振り返って、40km overはおそらく今回が初めてでしたが、いつものように、終わってみればあっという間でした。登山口から登山口まで、過ぎてしまえばいつも一瞬、長い一瞬です。出会ったのは車中の方々を含めて7人。困難でも古人に思いを馳せる静かな長駆けと極上の展望。こんなにぜいたくな時間を過ごせたことを、幸せに思いました。
帰ってyomeが一言。
「ていうか、ドン引きだよね」
雰囲気壊すんじゃないよ、ゴルァ(ヽ゜ω゜)ノ
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
前夜から不眠で16時間・48kmって孤高の変態プレーですね ドMとかそんなレベルじゃ無いです。
誰も真似しようとも思わないし、「お気に入り」に登録するのも躊躇します
参りました。この先更にエスカレートするのでしょうか?くれぐれも安全登山でお願いします。
お疲れ様でした。
コメントありがとうございます。ドン引き間違い無しで、放置プレイされるのを覚悟していました(爆)
夜寝ないで歩くコトを「かもしか山行」と呼ぶらしいです。土曜日の夜に歩き始めて、月曜日の朝までに帰るスタイルのことを意味するのだとか。
http://hwm7.gyao.ne.jp/mima/info/k_essay.htm
戦前の一時期、中村謙さん(ペンネーム加茂鹿之助)さんが考案したもので、昭和14年6月、谷川岳から仙ノ倉岳を通って三国山、法師温泉まで歩いているのですが、土合駅を前夜午後10時20分に出て、法師に着いたのが翌日夕方の6時15分。これが最初の「かもしか山行」で、時間的に制約のある社会人向けの山行形態として、中村さんの山岳会だけでなく、一般の山岳会の中にも広くブームを引き起こすことになったそうです。(中村謙「私の山岳生活」から)。
ということで、両側が切れ落ちているような危険なコースは歩かないようにしていますし、体力的な限界があるので、コレ以上のエスカレートもないと思います。というか、自分の限界を知りたかった、というのもあります。もう少しアップダウンのあるコースなら、もっと早く膝が笑い始めて終了ではないかと。
最近、下野と南会津の国境に特に惹かれます。単に山に登るのではなく、炭焼きとか、生活の跡があったというのが、さらに魅力的ですね(ヽ゜ω゜)ノ
お疲れ様でした。
かもしか山行、こんな事が出来る人は希少価値があります。
プレミアものです
夜の魑魅魍魎、百鬼夜行、恐れを知らず歩けるとは大物の器ですね〜
観音寺コース、いつか歩いてみたいですね〜
2日は午後1時前後に後白髪山にいました。
お会いできなくて残念です
derakkumaさん、こんばんは。
「お、日程二日間!、derakkumaさんも遂に山泊まりか・・・・」またも夜駆けでしたか。しかも48km !Mな長駆けも、遂にフルマラソン越えですか 。
「かもしか山行」、懐かしい響きです。身近な唯一の山の先輩が結構やってました。先輩曰く、
「日曜”しか”休めない、でもこれなら長く歩ける”かも” 」
関東近場では、丹沢全山縦走とか、長沢背稜から雲取・石尾根周回とか。odaxも、ライトな笹尾根全縦走はやりましたが、チキン者なので夜目が効かないのか(?)、夜駆けは苦手でした 。
しかし、一般舗装道は距離は稼げるのですが、山靴だと足に来ますよね。一般道が長いのが予め分かっているならジョギシュとか履き替えを用意した方がいいですよね。
derakkumaさんのとは比べものになりませんが、2年前、泉ヶ岳から降りた時、少年自然の家発13:05(だったかな)のバスにすんでで行かれ、「次のバス(約2時間後)より早くいずみ中央に着く!」とばかり、仙台中心部の仮住まいまで(20km位?)山靴で歩いて帰ったことがありました。でも、足にまめができて、後半ペースがた落ち、ゴール寸前で次のバスにかわされてしまいました 。
にしても、
「ていうか、ドン引きだよね!」
レコの最後にyome様のきつい一言、これからderakkumaレコの定番となるのか ?odaxの"自爆"日記も霞みそうです。
derakkumel司令「yomeが私の最後の決め手だよ!(ゲール君!)」
昔アニオタのodaxでした
darakkumaさん、お早うございます。
長谷川末夫さんですか。寡聞にして存じませんが、昔からすごい人がいたものです。
歴史ものに挑戦ですか。それにしても全48km、凄い記録です。東根からの24km、定義からもの街道歩きはともかく、山に関しては粟畑過ぎ辺りで夜明けなら、前回の真夜中の黒伏山よりずっとノーマルですよ。ドン引きではありません。2日は天気も良く素晴らしい船形の早朝だったでしょうね。
ナイトハイク、怖いのは熊だけですが、熊鈴鳴らし続けていればまず近寄って来ません。さらに腹から野太い声で「ほーい」と言っていれば、「ガウガウ」とか言いながら、向こうから逃げてくれます。出会い頭さえ避ければOKで、基本的には熊よりも人間のほうが危険かと。
ニアミス残念でした。天気が良かっただけに尚更。meikenさんに山座同定のレクチャーをして頂ければと思ったこの日の展望でした(ヽ゜ω゜)ノ
師匠の仰るとおり、ジョギング・シューズは必携と思いました。ただ、そうなると登山靴をリュックに入れて歩かなければならず、それはそれで面倒だなと思った次第です。え、そんなこと気にしちゃいけないんでしょうけど。靴交換ありならもう少し行けそうな気もします。が、それだと昔の人に対してフェアじゃないような気がして、今回は登山靴で通してみました。
アスファルトは本当にキツイので、田んぼのあぜ道とか、歩けるなら土の上を歩いた方が良いかもしれませんね。師匠も登山靴で20kmだとかなり参ったことと思います。足首がロックされているのがマズイのでしょうか、最後はペースがガタ落ちで一般人に追い抜かれ、ストック頼りになったので諦めました。
泉ヶ岳だと、青葉区北山の輪王寺からかつての根白石街道を通って登るプランがあります。おかげさまで、靴交換ありで快適にやる踏ん切りが付きました(ヽ゜ω゜)ノ
ミッドナイトin黒伏山で反省し、今回は時間調整をして挑みました。ナカナカの山行だったと思います(ヽ゜ω゜)ノ
長谷川末夫さんは全然有名な人ではないですが、たまたまyomeが見つけてくれたあの本は、驚きと感動に満ちていました。栗駒山から荒尾岳への4泊5日の縦走とか、下北半島で死にそうになったりとか、戦前の不自由な時代の様子が分かると人生観が変わります。
昔は、山中では熊よりも野犬が怖かったそうです。現代人は決して思いつかないですよね。昔よりも、遥かに環境の良い山を歩いているのだと、自覚した次第です(ヽ゜ω゜)ノ
derakkumaさんから6時間遅れで観音寺コース入りしました。
天気最高でしたね。
それにしても、すんごい距離
恐れ入りました。
仙交小屋跡から定義までの廃道レポート期待してます
仙交小屋跡から定義までの廃道、webでもいくつか情報があるのですが、かつての定義森林鉄道とカブっている部分もあるらしく、資料不足でルートを確定しかねています。通常歩きで4時間かかったらしいので、探索しながらだと倍以上は必要でしょうし、実質沢登りになりそうなので、やるなら夏のほうが良いかと思うのですが、夏だとヤブ漕ぎが酷そうということで、残雪期にやったほうが良いのかと悩んでいます。
この日の船形界隈はホント良かったですね。特に西側の景色が良く、仙台カゴや楠峰など周囲の山々にも登ってみたい、と思わせるに充分でした。solo-soloさんの軽いフットワークで、五箇所参りを期待しています(ヽ゜ω゜)ノ
驚愕黒伏山ナイトハイクはこれの伏線だったんですね。
それにしても凄い。
私も今回、derakkumaさんのレコを参考に泉ヶ岳から船形山行って定義に降りました。ただし小屋1泊です。
derakkumaさんはそれを日帰りでしたから。私からみたら怪物です。尊敬を込めて!
黒伏山ナイトハイク、実は船形山まで行くつもりだったんですが、ヒヨリました。ヒヨったと言えず、ナイトハイクなんてことで誤魔化しただけでした(爆)
私も70リットルに15-20kgくらい背負うと、たぶん15キロも歩けないと思います。斤量が上がると、大腿四頭筋の疲れ方が違うんですよね。もっと鍛えないとマズイとは思うのですが、結局35-45リットル10-12kgくらいで突撃するのが最もバランスが取れているようです。個人差があるので、自分にとってイチバン良いスタイルを見つけるのが肝腎だと思います(ヽ゜ω゜)ノ
この記録はちょっと唖然としますね。
普通、東根駅から歩こうとは思いません。並の者はジャングルジャングルまでが無駄と思ってしまう。
その辺が只者ではありませぬな・・・。
はじめまして。10月の月山レコから拝見させて頂いております。
私も、つい最近までは東根駅から歩こう、などと考えたこともありませんでした。でも、昔は東根から歩いた人がいた、御所山登山とはそういうものだった、ということを知ると、俄然、何かメラメラと燃えるものが湧いてくるのでした(爆) やってみると、肘折温泉から月山まで行く感覚とほとんど変わらず、御所山はかつては秘境の山だった、ということが納得できました。
ジャングル・ジャングルまではウォーミング・アップで、定義に降りるまでは普通の山歩き、最後の散歩は惰性、そう考えると決して無茶なコースではありません。かもしか山行も、終わるとドッと疲れが出ますが、歩いている間はアドレナリンが出ているのか案外疲れも眠気も感じませんでした。イーブンペースを維持すれば、案外夜駆けの長歩きは可能なのだと確信するに至った次第であります(ヽ゜ω゜)ノ
はじめまして。
こちらに辿り着きました。
長谷川さんの記事が気になります。ゆっくり読みたいと思います。
また仙交小屋跡のことが分からないのですが、仙台交通とか、そういう会社さんが管理していた山小屋なのでしょうかね。
もうちょっと調べてみたいと思います
HOYA_taroさん、はじめまして。私も正確なところは知らないのですが、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E4%BF%9D%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93
こちらのwikiをみて頂きたいのですが、かつて「仙南交通」と呼ばれた鉄道会社が秋保にありました(現在の仙南交通とは異なります)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E6%A3%AE%E6%9E%97%E9%89%84%E9%81%93
船形山はかつて1960年頃まで定義森林鉄道(林野庁青森営林局仙台営林署の管轄)を使って登られていた時期があり、この縁で(?)登山道の途中に仙南交通小屋を建設したのではないかと推測しているのですが、真実は分かっていません。
この程度ですみません(ヽ゜ω゜)ノ
ありがとうございます。
興味深く拝見しました。
山の歴史のほうからも調べてみたと思います!
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する