記録ID: 4364204
全員に公開
ハイキング
近畿
交通機関による大阪低山3山めぐり(昭和山、蘇鉄山、茶臼山)
2022年06月04日(土) [日帰り]



体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 04:39
- 距離
- 15.8km
- 登り
- 33m
- 下り
- 21m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 7:43
- 休憩
- 0:22
- 合計
- 8:05
距離 15.8km
登り 42m
下り 48m
8:45
28分
スタート地点
16:50
ゴール地点
観光メインですので、コースタイムは参考になりません。
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
蘇鉄山:南海境東駅〜阪堺宿院駅 茶臼山:阪堺天王寺駅前〜JR新今宮 |
コース状況/ 危険箇所等 |
全て、市街の公園の中の低山で、安全 |
その他周辺情報 | 今回登った2山を除く大阪8低山、天保山、聖天山、帝塚山、御勝山、真田山、鶴見新山なども交通機関を使えば容易に登れる。 |
写真
博物館では自転車の歴史や技術を知ることができる。
写真はオーディナリー
19世紀後半に流行した自転車で前輪が多きく、前輪に直接ペダルがつけられている。
ロードバイクなみに速度が出る自転車であるが、不安定で転倒しやすい。
写真はオーディナリー
19世紀後半に流行した自転車で前輪が多きく、前輪に直接ペダルがつけられている。
ロードバイクなみに速度が出る自転車であるが、不安定で転倒しやすい。
堺市役所
堺市は室町時代・戦国時代に日明貿易の中継地として更なる賑わいを始め、琉球貿易・南蛮貿易の拠点として国内外より多くの商人が集まる難波津や住吉津などと同様、国際貿易都市としての性格を帯び、「東洋のベニス」といわれた。
安土桃山時代には貿易港としての地位を揺るぎないものとし、戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせた環濠都市を形成。会合衆と呼ばれる商人たちが自治的な都市運営を行い、中世の自治都市となるが、その価値に注目した織田信長、豊臣秀吉らの前に屈服その支配下(直轄地)に置かれた。
堺市は室町時代・戦国時代に日明貿易の中継地として更なる賑わいを始め、琉球貿易・南蛮貿易の拠点として国内外より多くの商人が集まる難波津や住吉津などと同様、国際貿易都市としての性格を帯び、「東洋のベニス」といわれた。
安土桃山時代には貿易港としての地位を揺るぎないものとし、戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせた環濠都市を形成。会合衆と呼ばれる商人たちが自治的な都市運営を行い、中世の自治都市となるが、その価値に注目した織田信長、豊臣秀吉らの前に屈服その支配下(直轄地)に置かれた。
展望ロビーでは丁度、さいとう・たかをの劇画の世界という展示をやっていた。(入場無料)
さいとう・たかをは堺市で育った。(堺市立福泉小学校、中学校を卒業、卒業は実家の理容店を手伝った。)ゴルゴ13のデューク東郷の名は堺市立福泉中学校の担任の先生の名前から取ったというのも有名な話だ。
さいとう・たかをは堺市で育った。(堺市立福泉小学校、中学校を卒業、卒業は実家の理容店を手伝った。)ゴルゴ13のデューク東郷の名は堺市立福泉中学校の担任の先生の名前から取ったというのも有名な話だ。
住吉大社宿院頓宮
住吉大社の御旅所として設置され、古くから夏の大祓日に住吉大社から神輿を迎え、境内西側にある飯匙堀で「荒和大祓神事」が行われてきた。明治以降、大鳥大社からも神輿の渡御が行われるようになり、国境の町「堺」を象徴する、摂津国和泉国両一宮の頓宮となった。現在は、7月31日に大鳥大社から、8月1日に住吉大社から神輿の渡御が行われている。
住吉大社の御旅所として設置され、古くから夏の大祓日に住吉大社から神輿を迎え、境内西側にある飯匙堀で「荒和大祓神事」が行われてきた。明治以降、大鳥大社からも神輿の渡御が行われるようになり、国境の町「堺」を象徴する、摂津国和泉国両一宮の頓宮となった。現在は、7月31日に大鳥大社から、8月1日に住吉大社から神輿の渡御が行われている。
千利休屋敷跡
千利休は大永2年(1522年)、堺今市町の商家の長男・与四郎として生まれた。北向道陳に茶の湯を学び、のちに武野紹鷗や辻玄哉に師事しわび茶を大成させた。茶の湯をもって信長に縁が出来、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど茶匠として活躍したが、後秀吉の怒りにふれ、天正19年(1591年)自刃した。現在の茶道千家の始祖であり「天下一の茶の湯者」と称せらた。
屋敷跡には椿の井戸が残っている。
正面の「さかい利晶の杜」の見学は後回しにする。
千利休は大永2年(1522年)、堺今市町の商家の長男・与四郎として生まれた。北向道陳に茶の湯を学び、のちに武野紹鷗や辻玄哉に師事しわび茶を大成させた。茶の湯をもって信長に縁が出来、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど茶匠として活躍したが、後秀吉の怒りにふれ、天正19年(1591年)自刃した。現在の茶道千家の始祖であり「天下一の茶の湯者」と称せらた。
屋敷跡には椿の井戸が残っている。
正面の「さかい利晶の杜」の見学は後回しにする。
大浜公園
幕末の黒船来航に備えて築かれたお台場で明治12年大浜公園として開放された堺市営で最も古い公園
野球場、屋外プール、体育館、テニスコート、相撲場、猿飼育舎などがあり、スポーツ・レクリエーションの場として利用されている。
幕末の黒船来航に備えて築かれたお台場で明治12年大浜公園として開放された堺市営で最も古い公園
野球場、屋外プール、体育館、テニスコート、相撲場、猿飼育舎などがあり、スポーツ・レクリエーションの場として利用されている。
旧堺灯台と巨大壁画
堺灯台は明治10年(1877年)堺の⼈々の寄付などにより築造された。灯台はおよそ1世紀にわたって堺港に出⼊りする船の航海の安全を守ってきたが、周辺の埋め⽴てが進んだ昭和43年(1968年)にその役割を終えた。今なお堺のシンボルの⼀つとして保存され、現地に現存する⽇本最古の⽊造洋式灯台の⼀つとして国の指定史跡になっている。
バックの巨大壁画「浪漫やさかい」は堺旧港に立地している大規模な工場壁面を利用して、南蛮貿易で栄えた当時の堺の港を彷彿とさせる、幅155メートルの日本最大級の壁画。
堺灯台は明治10年(1877年)堺の⼈々の寄付などにより築造された。灯台はおよそ1世紀にわたって堺港に出⼊りする船の航海の安全を守ってきたが、周辺の埋め⽴てが進んだ昭和43年(1968年)にその役割を終えた。今なお堺のシンボルの⼀つとして保存され、現地に現存する⽇本最古の⽊造洋式灯台の⼀つとして国の指定史跡になっている。
バックの巨大壁画「浪漫やさかい」は堺旧港に立地している大規模な工場壁面を利用して、南蛮貿易で栄えた当時の堺の港を彷彿とさせる、幅155メートルの日本最大級の壁画。
龍女神像
像の高さ10m、台座の高さは16m。
実はこの龍女神像は二代目で、初代龍女神像は明治36年(1903年)に開催された第5回内国勧業博覧会の際に近代彫刻史上に名を留める竹内久一により作られ、博覧会の第二会場となった大浜公園の水族館前に設置された。博覧会終了後も「乙姫さん」の愛称で市民から親しまれたが、昭和49年(1974年)、水族館が廃館となるとこの像も共に撤去されることとなった。しかし、平成12年に市政110周年記念事業において現在の場所に復元され、平和と繁栄のシンボルとして再び蘇ることとなった。
像の高さ10m、台座の高さは16m。
実はこの龍女神像は二代目で、初代龍女神像は明治36年(1903年)に開催された第5回内国勧業博覧会の際に近代彫刻史上に名を留める竹内久一により作られ、博覧会の第二会場となった大浜公園の水族館前に設置された。博覧会終了後も「乙姫さん」の愛称で市民から親しまれたが、昭和49年(1974年)、水族館が廃館となるとこの像も共に撤去されることとなった。しかし、平成12年に市政110周年記念事業において現在の場所に復元され、平和と繁栄のシンボルとして再び蘇ることとなった。
呂宋助左衛門之像
まるで女神に手を振っているようだ。
呂宋 助左衛門(るそん すけざえもん)は、戦国時代の和泉国堺の伝説的貿易商人
安土桃山時代にルソンに渡海し、貿易商を営むことで巨万の富を得た堺の大富豪
まるで女神に手を振っているようだ。
呂宋 助左衛門(るそん すけざえもん)は、戦国時代の和泉国堺の伝説的貿易商人
安土桃山時代にルソンに渡海し、貿易商を営むことで巨万の富を得た堺の大富豪
与謝野晶子の生家「駿河屋」の復元
与謝野晶子は、ロマン主義文学の金字塔といえる短歌集『みだれ髪』を著し「情熱の歌人」と呼ばれ、日本文学史上屈指の業績を残した女性。
「海こひし潮の遠鳴りかぞへつゝ少女となりし父母の家」と謳われた和菓子屋
与謝野晶子は、ロマン主義文学の金字塔といえる短歌集『みだれ髪』を著し「情熱の歌人」と呼ばれ、日本文学史上屈指の業績を残した女性。
「海こひし潮の遠鳴りかぞへつゝ少女となりし父母の家」と謳われた和菓子屋
天王寺公園 河底池
和気清麻呂が上町台地を横断する横断する堀川を掘った際の名残と言われている。池の向こうの森が茶臼山で河底池を掘り出した際の土を積み上げたものとされている。赤い橋は和気清麻呂の名にちなみ「和気橋」
池からは通天閣が見える。
和気清麻呂が上町台地を横断する横断する堀川を掘った際の名残と言われている。池の向こうの森が茶臼山で河底池を掘り出した際の土を積み上げたものとされている。赤い橋は和気清麻呂の名にちなみ「和気橋」
池からは通天閣が見える。
装備
個人装備 |
Tシャツ
ズボン
靴下
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
レジャーシート
筆記用具
ガイド地図(ブック)
時計
サングラス
タオル
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感想
膝蓋じん帯炎(ジャンプ膝)のため1月足らず、階段も昇降できなかったのですが、少し回復しリハビリもかねて交通機関利用で大阪の低山に行きました。
ですから、決して登山とかハイキングではなく、観光、乗り鉄目的の小旅行です。
昭和山は、とにかく景色がよかったです。大阪の町中にこんなに緑があることに改めて気づかされました。
蘇鉄山は、山よりも旧堺灯台など旧境港の臨海風景が良いです。
茶臼山は、あんなに天王寺には行く機会が多かったのに寄ったことがなかったのですが、初めて訪れました。大阪と真田幸村のつながりを知ることができよかったです。
また、渡船やチン電などハイキングと組み合わせるのも面白いですよ。
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