安達太良山


- GPS
- 32:00
- 距離
- 9.6km
- 登り
- 749m
- 下り
- 750m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
初の福島遠征、安達太良山へのチャレンジ。当初計画では前夜中に千葉県の自宅を出発し、朝方から登り始めるつもりでいた。
だが、日和った私は結局、日曜の朝7時に妻の出勤と同時に出発し、東北道二本松IC目指して車を走らせた。
安達太良山という、私からすれば結構な遠出になる山を敢えて選んだのに、大した訳は無い。だいぶ前に買った山岳雑誌をめくっていたら、何となく挑戦しがいのありそうなコースを見つけたからだ。高速をひたすら北上する道中、佐野SA、那須高原SAでの途中休憩と、眠くなったら大声で歌うという従来のやり方で、何とか二本松迄たどり着き、そのままぐんぐんとゲレンデへ続く国道を登り、果たしてあだたら高原スキー場の広大な駐車場に到着した。10時半。結果、3時間半で来られた訳だ。
ここ数回の私の山行の中では、中々の大荷物だった。というのは、そろそろテント泊をしておかなければ、テントの張り方すら忘れてしまいそうな気がしたから。3年前の夏に行った北岳縦走以来、山中泊と言えば避難小屋のお世話になるのが専らだった(本来、避難小屋を宿泊計画に入れる事自体が間違ってはいるのだが。)。
だが、奥岳登山口から反時計回りで山頂をさらって戻るだけのルートに、テント泊の必要性も適した場所も無さそうだった。道中に、くろがね小屋なる立派な山小屋があり、そこでは温泉まで浸かれるとの事で、たいそうな人気だそうだ。前日に電話で尋ねてみると、「地図でお分かりの通り、テント場の開設は行っていません」との事。
仕方なく、事前計画で幕営場所は定めず、私は時間次第でビバークするという打算的な登山に肚を決め、中・大ある中の方のザックに、シュラフ、テント、シュラフカバー諸々詰め込んで来た。マリモ羊羹の如くパンパンに張ったザックは、当然それなりの重量はあったが意外と背負い易かった。この、コース不相応な重荷を背負って山を登る事もまた、私が求めていた久々の苦行だ。
目指す安達太良はゲレンデを擁する山塊。ただ、ヤマレコ諸先輩によればアイゼンはもはや不要という事のようなので、持参した軽アイゼンは車中に残した。ピッケルだけザックの脇にくくりつけて携行した。
山行の良否は9割方天気で決まる、というのは父の座右の銘であり、私も真実だと思っている。2年前のこの時期に強行した武尊山の時は、正に9割最悪、1割の充実感の山行だった。その真逆の天候が、正に今だった。程良く、時に暑く照らす日差し。風はそよ風。カメラを手放せないくらいに雄大な景色が眼前に広がり続けた。
10:40登山開始
山に向かって右方向に登山道を入ると、緩やかな登りが暫く続いた。駐車してあった車の台数にしては、行き交う人は少なかった。それだけ私の出発が遅かったのだろう。多くの人はもっと早く登り始めるか、或いは前日から入りくろがね小屋で至福のひと時を過ごして今日下ってくるというのが普通だ。
情け無い事に、私は地形図とコンパス、高度計付の時計を持参したにもかかわらず、自分の位置が中々把握出来ずにいた。それもその筈、私は地形図を印刷する時点から完全にスタート地点を見誤っていた。私が登山を開始した地点は地図から外れた所にあった。それでも、道標と人気のお陰で迷うような場所は無かった。
くろがね小屋に向かう間に、馬車道と旧道とが選択できる。言葉の響きで馬車道を選んだのは結果的に正解だった。比較的重い荷物を背負った今回の私にとっては、ジグザグであろうともラバにも歩き易い緩やかな馬車道の方が適していた。旧道はみるからに急登で、言葉の響き抜きにしても足が進まなかった。
雪は所々残っており、穏やかな気候や鳥のさえずりと相俟ってこちらを爽やかな気分にさせてくれた。たまに会う人は全てすれ違い、つまり下ってくる人のみだった。やはりかなり遅いスタートだった事は確かなようだ。この中途半端な時間で、どこまで歩けるだろうか?
歩いている最中は色々な事を考えた。先ずはどこぞでビバークするか否か。そもそも、久々の重荷を背負った自分の体力が最後まで持つか、下界での事・・・家族の事、会社の事、重篤の大叔母の事など。
静かな山を一人で歩く時は、くだらない事で頭が一杯になる事もあれば、瞑想に近い深遠な時間もある。その間を行ったり来たりする。その間に、悩ましい事は考えないようにした。
12:20勢至平
樹林帯を抜けて勢至平に着いた頃には、時計は正午を回っていた。彼方を見上げると、安達太良山頂の“乳首”と呼ばれるピークがあった。名前負けしている人名や地名の多い昨今、ここまでそのまんまの命名は久々だった。それは清々しいほどに乳首そのものだった。ついつい記念撮影に時間を割いてしまった。一本道の上からは、高校生と思われる団体が下ってきて、元気良く挨拶をくれた。お互いに何気なく交わす挨拶も、意外と印象に残るものだ。
勢至平からくろがね小屋の間は、視界を遮る木々は少なく、尾根を歩いている雰囲気がある。同時に、地面はほぼ赤土交じりの雪で覆われるようになり、硫黄の臭いもずっと漂うようになった。ほんの少しトラバース気味の道を経て、温泉関係の何らかの設備(釜状の箱に木製の蓋がしてあり、中からゴウゴウと流れる温泉の音と、湯気が漏れ出ている。)を通り過ぎると、彼方にくろがね小屋が見えた。傾斜のせいか、何となく全体が傾いて見えるが、立派な営業小屋との事だ。一寸寄ってみたいという気はあったが、入り口に進むには数歩でも雪道を下る必要があった。私の足はそちらへ向かなかった。私は代わりに、くろがね小屋を通り過ぎようとする道すがら植えられていたちょっとした丸太に腰を下ろし、くろがね小屋でくつろぐ人々と、来た道、行く道先を眺めながら行動食と水で小休止をとった。
地形図によれば、ここくろがね小屋からが急登となる。私は丸太から腰をあげ、下りてくるペアを先に通してから、いざ急登にとりかかった。ところが、よほどキツいイメージを自分自身に植え付けてしまったせいなのか、くろがね小屋から先、山頂に至るまで、結果としてどうって事なかった。
おそらく、素晴らしい眺望の助けもあっただろう。左手に広がる雪渓はまるで砂丘のようにうす黄色に光っていた。その中央を下っていく人も見える。私自身の行く道も、斜面をトラバースする雪の細道一本。空は丁度良い日差しと雲の割合だった。そういう歩行環境において、実際の傾斜も想像程でないように思われて、汗はかいたものの体は全く悲鳴を上げなかった。
峰の辻分岐に辿り着くともうほんの少しの急登で山頂である。ここで尾根伝いに安達太良山頂へ行くコースもあったが、私は直登コースを選択した。さすがに、少し急な斜面だった。
14:15
果たして、開けた安達太良山頂に到着した。
安達太良山頂の標を写真にとったが、その奥に聳える小高い岩塊、それが真の山頂“乳首”だった。(実はその時点ではそれがさっき下から見上げた“乳首”だとは知らなかった。)
私はふもとにザックを下ろし身軽になって、カメラ一つを手に、ジャングルジム感覚で岩塊を駆け上り、真の頂上の鎮座する祠に対面した。手を合わせて、大叔母の安息を願った。そこからの見晴らしは、正に360°のパノラマだった。空気は冬ほどに澄んではおらず、町の方面はそれほど明瞭ではなかった。それでも十分見事な景色を見て、やはり全ては天気のお陰と、天に感謝した。
そこから先は、南東方向へ薬師岳を経て下るだけなのだが、後はシリセードをしたり、出来ないグリセードまがいの下り方をして失敗したりと、好き放題なペースで降りた。あっという間に樹林帯に入り、時に雪解けの水溜りに覆われた道に登山靴を沈める箇所もあったが、段々とゴンドラ山頂駅への看板も見え始めるくらいまで高度を下げた。
薬師“岳”、という程にも思えなかったが、少し谷方面に進むと、目下を見渡せる眺望スポットがあり、脇に祠と銅鐘があった。銅鐘を鳴らす為の木槌は残念ながら割れていた。割れを手で修正して、銅鐘を打ってみた。木槌の軽さのせいだろうか、鐘の響きは、すぐ近くのゴンドラ乗り場から聞える子供の声にもかなわなかった。
それから雪、泥、水溜りが交互に現れる細い道をひたすら下ると、池の子分・水溜りの親玉のような場所に出て、なおかつその先は背の高い藪に覆われており、先に進めるのか分からなかった。登山靴は今の所十分に浸水を食い止めてくれている。だがこの池もどきを進めば、おそらく浸水は免れないだろう。おまけにその先の藪を越えられるのか…私は前に進まず、左手の藪に隠れた小段差を駆け登った。すると何の事はない、そこは既に広大なゲレンデ地帯で、枯れ草と土の露出した斜面がひたすら下に続いていたのだ。私はゲレンデを下った。時計は16:00手前だった。開始時間の遅さを気にかけてはいたが、結果として日没前には余裕を持って戻れる時間だった訳だ。
ゲレンデの味気ない道を下りながら私は考えていた。このまま駐車場まで戻り、近隣の宿を探すか。はたまた、せっかく意気込んで来たビバーク覚悟の登山。装備を解いてこの辺りでテントを張って一泊するか。
私は初心に帰って後者を選んだ。
シーズンオフで稼動していないリフト乗り場。そこは私にとっては下山中の道すがらと言えど便利な人工物そのものだった。万が一の雨天に備えて、雨を避けられるリフト支柱のふもとを選べば、下は土。屋根は無いが、幕営が格段にやり易いのは、近くにあるリフト降り場の板間。私は後者、板間を拝借する事にした。スキー場のご厄介になるので、当然立つ鳥跡を濁さぬ誓いで。
テントを組み立てるのは3年ぶりくらい。安物一人用テントは、五竜山荘での強風による倒壊等を経て、既にポールが少し曲がっていた。しかし、底が板間という大きな恩恵により、思いの外手早く組み立てる事が出来た。万が一、「シーズンオフでも一日一度はリフトを試運転する」等の事態に死なないためにも、リフトの動作範囲は避け、オペレータ室に沿う様に設置させて頂いた。
16:30幕営完了
テントに入り込んでからの時間は、ただただ体と脳みそを休めるだけだった。ラーメンを沸かして食べ、妻に無事幕営の連絡を入れた後は、横たわってラジオを聞いていた。地元ラジオでは、どこかの施設イベントをレポーターが紹介していたと思うが覚えていない。じきに、外の鳥のさえずりと風の音の方が心地良さそうなので、ラジオを消した。
段々と風が強くなってきて、気温も下がってきた。幕営してすぐは暑く、シュラフすら出さずに済むかと思った程だがそうもいかず、結果的には寒くてツェルトまで上から被せる始末だった。
2Lペットボトルを自分の頭の形に潰し、その上に丸めたヤッケを敷いて枕にした。今思えば雨具をそのまま使った方が低反発枕みたいで良かったのだが、忘れていた。
夜中、雨音の様なラップ音がしたので遂に来たかと思ったが、風がフライシートを叩いていただけだった。ついでに暗闇の外に出てみた。これまでの大体の山中泊では、正に筆舌に尽くし難い星空にたくさん感動してきたので、今回も期待していた。ところが、標高1000m足らずのこの場所ではまだまだだったのか、晴れ渡った空に散らばる星の輝きは、私の期待ほどでもなかった。
テント泊にしてはまずまず快眠だった方だとは思うが、それでも2-3時間くらい毎に目覚めて、また眠る度に違った夢を見た。下界で見る夢と比べて、登場人物も様々で場面も多岐にわたった、色とりどりの夢の夜だったように思う。
28日4:00起床
既に十分明るかった。ラーメンを食べて、散らかしたものをザックにまとめた。テントを撤収し最終パッキングを終えた頃にはオレンジ色の朝日が木々の間から差してきた。板間にゴミや忘れ物が無い事を確認し、おもむろにゲレンデを下り始めた。果たして、ほんの15分足らずでふもとの登山口=スキー場入り口に着いてしまった。そこの水道をお借りし、靴の泥を落として車に戻った。
その頃には、これから登山に向かう人々がちらほらと、昨日私が向かった方向へ散って行った。
帰りに通った岳温泉街はまだ起床前だった。私は美しい桜並木(何と今頃満開だとは驚いた)を見るや車をUターンして停車し、周辺を20分ばかり散策した。綺麗な桜並木の奥には、日本庭園風の鏡ガ池公園がある。その道すがらの電柱に堂々とデリバリーヘルスのチラシが貼ってあり、周辺の景観に仇花を添えていた。
各地の温泉街に共通の状況かも知れないが、町に点在する廃屋、廃墟も目に留まった。それだけが少し痛ましく思えたが、私は車に戻りこの美しい温泉街を後に、千葉まで車を走らせた。
実は昨夜のテントの中で、最新技術iモードを使って、福島県、栃木県の献血ルームを調べていた。見知らぬ土地で献血をするのが私の趣味だ。せっかくの遠征、道すがらでどうかと思いながら車を走らせたが、如何せん時間が早過ぎた。献血ルームが開くのを1時間も待ち呆ける程の余裕も無い。私は結局まっすぐ千葉に帰り、それからスタッドレスタイヤをノーマルに戻し、地元近く津田沼献血ルームで献血を行い(脱線するが、成分献血を希望して行っても、血液の状態が良好なら全血献血でお願い出来ないか、と言われた時に、皆さんは我を通せるだろうか?私は泣く泣く全血に妥協した。)、その日のしまいにジムのプールで泳いで風呂に浸かって帰って寝た。我ながら充実した2日間だった。
ハプニングが無さ過ぎて物足りないというのは、甘やかされた状況で無事山行を終えられた身分に陥り易い贅沢な考え方だ。もちろん、計画段階で危険な登山などこれから先もしないし出来ない。だが、万が一のハプニングにも対応出来るよう、知識と経験を積み重ねて行きたい。そしてハプニングを後で笑い飛ばすのが、登山の最高の醍醐味だ。強いて言えば、そんなハプニングは皆無の登山だった。
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