北アルプス霞沢岳


- GPS
- 32:00
- 距離
- 21.8km
- 登り
- 1,466m
- 下り
- 1,463m
コースタイム
4日 テン場4:15ー6:00K1ー6:40霞沢岳ー8:20テン場9:00ー9:30徳本峠ー11:30上高地
天候 | 3日 晴のち曇時々雨 夕方以降強風 4日 晴時々曇 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
◯明神分岐から2〜30分で雪道 ◯徳本峠への登り、白沢は雪渓となっていたが、旗が所々立っている。 ◯徳本峠小屋営業中 ◯ジャンクションピークから先日中は雪がもろく踏み抜き頻発 ◯K1への詰めが急だが、特に問題なし |
写真
感想
GWは北アルプスへ行こうかと以前から決めていたが、その中でも手軽に一泊で行けそうな霞沢岳を選択した。北アルプスの山は目ぼしい所もすべて行き尽くしていたが、この霞沢岳は手付かずに残っていたという事情もあった。年末以来の山行であったが、本業が中々忙しく事前の準備もままならず、5月2日の夜にドタバタと家を出た挙句、アウターのジャケットを忘れるという大失態をやらかしてしまった。他にも登山地図、デジカメ、象足(テントシューズ)、携帯枕などもまとめて忘れた。今の時期の北アルプスでアウター無しのテント泊はさすがに無謀だろうということで、松本市内の深夜営業量販店(ドンキホーテのこと)で5千円ほどの雨合羽を購入し、急場を凌ごうと試みた。気づくのが長野県内に入ってからだったので、さすがに家に引き返すのは無理だった。
それはさておき、霞沢岳は想像以上にスケールの大きい登り甲斐のある山だった。
5月3日 晴のち曇時々雨
前夜のうちに沢渡へ到着。目覚めると4時30分を過ぎており、周囲は既に薄明るくなっていた。始発バスは事前調べによれば6時のはずだったが、もう既に客を収容して次々と出発しているのが見えた。今日明日の2日間で霞沢岳を往復して帰ってくるだけの行程なので、時間は余裕たっぷりあるはずと高を括っていた。そういう訳でのんびりと支度をし、5時20分頃のバスに乗り込む。上高地は6時ちょっと過ぎでも既に売店が営業しており、ここで無事に地図を調達。明神分岐までの3.7キロをゆっくり歩くが、穂高や涸沢 方面へ向かうと思われるパーティーに次々と抜かれた。幸い天気が今のところは良く、明神岳の頂きが頭上にくっきりと聳えていた。明神分岐を過ぎてしばらくすると雪道となり、やがて雪渓が現れた。白沢の登りの始まりだ。はるか上方まで続くこの雪渓登りは、針ノ木雪渓か飯豊の石転び沢を連想させる。登っているうちに暑くなるが、汗だくになる前に徳本峠小屋に着いた。小屋は営業しているようだが、周囲に人の姿が全く見えない。来た道とは反対側を覗くと島々谷が目に入ってきた。何年か前に台風被害に逢い道が荒れていると聞くが、歴史のある登山道ということでいつか歩いてみたいと思う。ところで、この峠の読み方を最近まで「とくもと」だと思っていた。そういえば以前法政の箱根ランナーに同名の選手がいたなーなど関係ないことを考えてしまった。正しくは「とくごう」とのこと。
ジャンクションピーク目指して急坂を登る。この辺りから陽も高くなってきたこともあり、雪がもろくなり出した。
ずぼずぼ踏み抜く機会が増え出したが、今の時期の雪山であればやむを得ない。ジャンクションピークには10時になる前に到着したが、上空に白いものが目立つようになってきた。ここはオオシラビソの樹林帯であるが、南東方向に視界が開けており、中央アルプスや八ケ岳、ならびに常念、大滝山なども見える。絶好のロケーションなのでここにテントを張ることにした。どうせなら間近にある穂高連峰を望める方角がとも考えたがそちらの方向は視界が効かなかったので諦めた。テントを張り終えてまだ10時半なので、もう少し先まで行くことに。あわよくば今日のうちに頂上へと。しかし、この先道が分かりにくく、何度か迷う羽目に。そもそも霞沢岳とはどのような形状の山かが良く分かっていなかった。進行方向左手側に何やらでかい山があるなとは薄々気づいていたが、これが実は霞沢岳だったのだが、最初は不覚ながら穂高か乗鞍などと思っていた。だからという訳でもないが、ジャンクションピークから一旦下っていく尾根を見誤り、明神方面へ降りて行きそうになった。実際トレースに沿って進んだ結果そうなったのだから、同じ間違いを犯した登山者がいたのだろう。早い段階で気付いたので事なきを得たのだが、正しい方向へ戻る途中の斜面で、突然地響きのような気味の悪い物音がしたと同時に、足元の地面が震えるかのような感触を覚えた。一瞬雪崩かと思ったが、そのような気配もない。この後頻繁にこの薄気味悪い現象が起こるようになるのだが、実はこれがこの日岐阜長野県境付近で頻発した地震との最初の遭遇だったのだ。気持ち悪いが何事も起こらないので先に進む。最低鞍部を過ぎるとアップダウンが始まる。この頃からずっと登ってきた疲労がたまり出し、天気も悪くなってきた。それに先程から例の地響きが続いている。今日中に山頂へ行くモチベーションが一気に下がり、「P2」と木のど真ん中に赤いペンキで書かれていた小ピークで引き返すことにした。テントに戻ってもまだ1時過ぎ。1時間ほど篠笛を吹いて、その後は酒を飲んで温まった。気づくと周囲にテントが増え出し、ガスが出て雨も降ってきた。早々と引き返して正解だった。その日、宵の口まで断続的に揺れ続けていた。
5月4日 晴時々曇
目覚めると時計は3時をとうに過ぎていた。またしても寝坊だ。といっても例によって眠ったかどうかも分からず朦朧とした状態で一晩を過ごしていた訳だが。目覚し時計を2時半にセットした筈だが、どういう訳か不発に終わったようだこれ程早く起きようとした理由は、明るくなる前に出発しようとしたため。湯を沸かしコーヒーを飲んで素早く出発しようとしたが、何だかんだで既に明るくなってしまった。携帯の電波はばっちり繋がっていたので、昨日のJ1の結果をチェック。贔屓のチームが浦和レッズに負けたと知ってがっかりする。今日の行程は、霞沢岳を往復して上高地へ下山するということに尽きる。すっかり天気も回復し、宵の始め頃から続いていた暴風もすっかり収まった。いつの間にかテント銀座となったジャンクションピークを、テントの合間を縫うようにして進む。昨日偵察で通ったとき、確かピーク付近で直角に登山道が曲がっていたはずと記憶していながら、誤って直進するトレースに釣られてそちらに向かってしまい、5分程時間をロスするが、すぐに正しいトレースに合流。昨日1時間以上かかって辿りついた「P2」と木にスプレーで書き込んであった小ピークまで30分程度で着いてしまった。早朝で雪も締まって歩き易いため、サクサクと先に進む。森林限界が近づき樹木が疎らになると、いよいよ急登の始まりだ。遠くから眺めるとえらい急勾配に見えるが、実際近づいてみると大した登りでもなく、あっさりとK1へ到着。まだ6時を少し過ぎたばかりであり、周囲の雪に覆われた白い山々がオレンジ色に染まり、さながらカルピスオレンジのようだ。K1からの下降が微妙だったが、短い区間だったので問題なし。それよりも稜線の雪庇に所々クラックが入っており、多少気を使う場面もあった。そして6時40分頃山頂到着。穂高はもちろん、焼岳や乗鞍、笠ヶ岳などもはっきりと目の前に迫り来る大パノラマだ。どこかで誰かが言っていた「穂高を望むなら霞沢岳からが一番」というのは偽りではないなと思った。なお、ここからは南アルプスや八ケ岳なども結構間近に望まれた。
帰り道、K1からの下り道で後続パーティー男女2人組に遭遇。挨拶がてら立ち話したところ、彼等も自分と同じ箇所で道間違いを犯した模様。その後次々と後続パーティーとすれ違うが、JPのテント泊組以外に、小屋泊まりのパーティーも結構いたようだ。自分のテントに戻るまで、都合30人近くの登山者とすれ違ったと思う。
徳本峠からの下山路では、正面に穂高明神がまさに分厚い壁のごとく聳えていた。
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