遥かな山、遠い山、平ヶ岳


- GPS
- 32:00
- 距離
- 24.9km
- 登り
- 1,908m
- 下り
- 1,892m
コースタイム
2日目: 平ヶ岳キャンプ指定地 04:05 - 04:30 平ヶ岳 05:20 - 05:35 平ヶ岳キャンプ指定地06:35 - 06:50 池ノ岳 -07:40白沢清水07:45‐08:15台倉清水08:25‐08:40台倉山‐09:20下台倉山‐11:15台倉沢11:25‐11:30鷹ノ巣登山口
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2014年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
・銀山平から鷹ノ巣の登山口までは約30キロの山道を走行、たっぷり1時間ほどは掛かる。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
・登山口から10分ほどで、下台倉山までの標高差800mのヤセ尾根の登りがあり、危険個所は思ったほどではないが、体力的にいって、ここが最大の山場。特に下りが注意を要する。 ・下台倉山から平が岳までは、急登はないものの、小さいアップダウンを繰り返しながら、7キロを越える長い尾根歩きとなる。 |
写真
感想
30年ほど前に、「知られざる山 平ヶ岳」(北魚沼地区理科教育センター)という本を偶然手に取ったことがあった。本のタイトルに惹かれ、写し出されていた山上の風景に魅せられた。いつの日か登ってみたいと、その時思った。しかし、同じ県内にあるとはいえ、その山は余りにも遠く、時折、気にはなりながら、いつの間にか、30年の時が過ぎてしまった。
半月前に戸隠の高妻山に登り、下山中にあわやという転倒をしてしまい、体力の衰えを痛切に感じた。このあたりで登っておかないと、もう山頂を踏むことはできないと思い、気持ちを奮い立たせて、出かけることにした。
関越道小出インターを下りて、奥只見シルバーラインを抜け、銀山平を経て、登山口の鷹ノ巣に向かった。銀山平から鷹ノ巣までの30kmの樹海ラインは九十九折のヘアピンカーブが連続し、一刻も運転に気を抜くことができない。同じ県内なのに、自宅から登山口まで3時間近くも掛かってしまった。
できれば5時半には、登り始めたかったが、結局歩きだしたのは6時半近かった。
今回は、日帰りも考えたのだが、高妻山での下山時の転倒のことが頭にあって、最後のヤセ尾根の下りを考えると、上で一泊する方が安全だと思い、テントを背負って登ることにした。
台倉沢を渡ると直ぐに、「日本百名山平ヶ岳登山道・すぐやせ尾根です」の標識があり、山頂まで10.5kmとある。
どんな恐ろしい尾根かと心配したが、普通のヤセ尾根で、気を付けて登れば、そう危険な個所はない。ただ、登山口から下台倉山まで標高差が800メートル近くある上、ほとんど棒尾根状態で、これでもか、これでもかと急登が連続する。
空は晴れ渡り、立ちはだかる峰々の上には紺碧の空が拡がる。それだけに、盛夏の日差しが、容赦なく照り付け、汗が大量に流れ、さらにザックの重さが、次第に、体力を奪っていく。
ふと右手を見ると、燧ケ岳が意外な大きさで、堂々とした姿を見せている。少しほっと息が付ける。
下台倉山に近づいて来たあたりで、一人の初老の登山者が後ろからかなりのスピードで追いついて来た。道を譲る際に、言葉を交わす。昨日は何とかという小屋に泊まったが、出発が遅くなってしまい、登り始めたのが7時だという。日帰りですかと尋ねると、昔はテントを担いで、重い思いをして登ったものだけれど、年を取ったら、その日のうちにさっと登って、さっと下りてくる方が多くなってきました、と笑いながら話してくれた。
体つきはスリムそのものだ。こういう体型の人は、ほとんど例外なく健脚で、登るスピードも速い。話終わると、急な尾根をするすると登って行き、あっという間に姿が消えた。
9時、ようやく下台倉山にたどり着く。何とか最大の難関をクリアできた。
ここから台倉山までは、樹林帯の尾根を小さなアップダウンを繰り返しながら行く。時折、左側が切れ落ちている個所があって、注意を要する。しかしながら、先ほどのヤセ尾根に比べれば、樹々によって日差しも遮られ、何といっても急な登りがないので、格段に楽である。
三角点の標柱のある台倉山を下るとすぐに、台倉清水の標識があった。水筒の水は頂上まで何とか持ちそうだが、ぬるくて、おいしくないので、水場まで下りてみることにした。登山道脇を10メートルほど下ると、沢があり、水量は多くはないが、清冽な水がさらさら流れている。冷たい水をたっぷり補給し、生き返った気分になった。
ここからはオオシラビソの樹林の中の平坦な道が続く。清水を過ぎてすぐに、年配の男性とすれ違う。昨夜は山頂で泊まったそうだ。登りはきついけど、山の上は最高だよ、といっていた。
しばらく行くと、今度は白沢清水にやって来た。登山道のすぐわきにあるが、ほとんど流れを感じない。澄んではいるが、小さなゴミが浮いている。手を差し込むと、意外に冷たい。手ですくって、一口飲んでみる。冷たくておいしい。いざという時は、十分使えそうな水場だ。
鬱陶しい樹林帯を抜ける頃から、次第に傾斜が急になり、前方に頂が見えてきた。さらに、その頂の左手に尾根が伸び、次第に高まり、お椀を伏せたような平ヶ岳の山頂に続いているのが見える。
池ノ岳への登りの途中で、若い登山者とすれ違った。山頂で、短縮コースを登って来た団体さんが大勢いたという。平ヶ岳に登るなら、この鷹ノ巣コースを登らなくては価値がない、といいながら元気に下って行った。続いて、朝、下台倉山の手前で、出会った痩身の人とすれ違った。あの見えている頂まで行けば、平ヶ岳はすぐだと教えてくれた。全く疲れた様子もなく、軽い足取りで下って行った。
12時10分、池ノ岳に到着。すぐに姫ノ池があらわれる。池塘が点在する広い平原のような風景が目の前に展開する。高原のような風景は苗場山と似ているようで、全く異なった独特の景観だ。長く、辛い登りが十分に報われるような素晴らしい景色だ。
キャンプ地はどこにあるのかよくわからないので、標識に従って、水場に下りてみる。そこには8畳ほどの板敷の空間があって、表示はまったくないが、どうもここがテント指定地であると推測した。
まずは昼飯を食べ、とりあえずテントを張ろうと、ザックから取り出す。ところが、何ということだ。本体はあるが、ポールを忘れてきてしまった。しばらく言葉が出ない。あれだけ荷物のチェックをしたのに、肝心な物が抜け落ちていた。動揺が走る。
今回は、たまたまストックを持ってきたので、それを使って何とかできないか、いろいろやって見る。焦っているので、なかなかうまくいかず、時間ばかりが経過する。
日帰りに切り替える選択肢もあった。しかし、これから玉子石に行き、さらに山頂を往復した後、重いザックを担いで、長い道のりを歩いた後、あのヤセ尾根を下るかと思うと、気持が萎えてしまう。
ここは覚悟を決めて、何とかなると、気持を切り替え、ビバークすることにした。そうなると、日没まではたっぷり時間がある。まずは玉子石に行くことにする。雪渓を横切り、15分も歩くと、あの何とも奇妙な玉子石が前方に見えてきた。想像したよりもこじんまりしている。もっと巨大な岩かと思っていた。しかしながら、どう見ても、現代アートの彫刻家が彫った作品にしか見えない。
玉子石の向こうには、楽園のような湿原が夢のように広がっている。どんな天才芸術家も、こんな見事な風景は作り出せないだろう。ここまで登って来た甲斐があったというものだ。
いったんテント場に戻り、今度は平ヶ岳山頂を目指す。樹林帯の中を緩登する。途中、登山道に低くおおいかぶさっている木の枝に頭を嫌というほどぶつけてしまう。途端に、ウグイスがホーホケキョと笑い出した。いつまでも笑い止まないので、少々腹が立つ。
平ヶ岳山頂にはだれもいない。広い気持ちのいい湿原の中に、池塘が点在し、周囲は山また山が取り囲む。会津駒ヶ岳、燧ケ岳、至仏山、越後駒ヶ岳、中ノ岳…、空気の澄んだ秋であれば、もっと多くの山々が見渡せるのだろう。しばらく山上の散策を楽しんで、再びテント場に下る。
雪渓でビールとウィスキーを冷やし、フライパンでウインナを炒め、カレーを主食に夕食とする。ビールは重い思いをして担いできた甲斐があった。旨いという言葉も出ない。直ぐ近くを流れる沢の冷たい水で割ったウィスキーに陶然となりながら、目の前の丘に沈んでいく夕陽を眺める。ダケカンバの白い幹が、落陽に照らされて、オレンジに染まっていくのを、何も考えずただ眺める。
テントは、内部の入口近くに、ストックを2本立て、張綱を石で固定して、何とか中に横になれるようにした。幸いその夜は、風もなく、雨も降らず、時折倒れそうなストックを手で支えながら、快適とはいかないが、まあまあ眠ることができた。
夜中、横になったまま、テント入口のジッパーを開けて、空を見上げたら、見事な星空が広がっていた。天の川の光の帯が、満天の星々の中に霧のように横たわっていた。夢なのか現なのか、区別がつかない情景に、しばらく瞬きをすることを忘れて、魅入った。
朝4時にテントを抜けだし、御来光を見るために、再び平ヶ岳山頂に向かう。山頂は霧の中だった。あたりを散策しながら待つこと30分、みるみる霧が晴れて、明るくなってきた。
ただ残念なことに、太陽が出るあたりに雲が掛かっている。会津駒ヶ岳から登る御来光を期待していたのだが、それは叶わなかった。雲の上に、太陽が顔を出し、燧ケ岳がオレンジに染まり始めたのを機に、山頂を離れる。
昨日、姫ノ池のあたりで、男性がひとりテントを張っているのが見えたが、既にテントはない。下山したのだろう。
6時半に下山を開始する。朝日に染まる平ヶ岳の姿を、振り返り振り返り、下る。すると、尾根をかなりのスピードで登ってくる若い登山者とすれ違う。まだ、7時を過ぎたばかりで、既に、ここまで来ているということは、いったい何時に登山口を出たのだろう。かなりの軽装だったので、あるいはトレランだろうか。
樹林帯に入ってしばらくすると、今度は、夫婦連れのパーティに会った。早いですね、と声を掛けると、4時10分に登り始めたという。こちらが、上で泊まったというと、日帰りできるかどうか不安だという。この時間で、ここまで登っていれば、大丈夫ですよというと、少し安心したように、笑顔で登って行った。その後、何人かの登山者とすれ違ったが、ほとんどの人が、この山の大変さを口にした。
樹林帯から下台倉山までは、登りの時よりも、アップダウンを感じた。特に、台倉山から下台蔵山までが長く、きつかった。
しかし、いよいよこれからが本番のヤセ尾根の下りだ。ここまで3時間余りの尾根歩きで、大分、体力も失われつつある。転倒、滑落だけは注意して行こうと、気持ちを引き締める。
ヤセ尾根に入り、遮るものがなく日光がまともに直射し、汗がしたたり落ちる。ここは、30分下って、5分休むという、ゆっくりのペースで行くことにする。
下り始めてすぐに、同世代くらいの男性に会う。昨夜、上でビバークしたという。ここはできれば登りたくなかったのだけれど、百名山を目指しているので、登りに来たそうだ。これで、96座目だという。残りは、飯豊と北海道の山だという。ここを登れれば、飯豊は行けますよというと、飯豊のためのトレーニングの意味もあって、今回登りに来たのだそうだ。
ゆっくり行くので、お先にどうぞ、というので、先行する。それにしても、この尾根、こんなにロープが多かっただろうか。やっかいな個所が終わったと思うと、またすぐ次の難所がやってくる、その繰り返しで、果てしがないという気持ちになってくる。
途中で、姫ノ岳を下り始めて直ぐにすれ違った、若い人が追い越していく。あっという間に、姿が見えなくなった。
若い時は、下りが好きだった。今よりもずっとリズミカルに速く下れた、あの若者のように。ところが、今は、悲しいことに、転倒することが多くなり、下りが苦手になってしまった。
長く、辛い急降下にも、終わりは必ず来る。ようやく、台倉沢まで下って来た。沢で顔を洗い、気持ちのいいブナの森を抜け、登山口に戻って来た。
遠く、険しい道のりを歩き切ってこそ、初めて目にできる、山上のあのたおやかな風景は、いつまでも記憶に残るに違いない。
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