日本アルプス縦断


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- 距離
- ---km
- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
過去天気図(気象庁) | 2014年08月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車
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コース状況/ 危険箇所等 |
栂海新道入り口には登山ポストがあって驚いた。 木曽福島Bコースの入り口にもある。 仙丈ヶ岳の地蔵尾根の入り口には多分なかったので駒ヶ根の郵便局から計画書を各署へ郵送提出した。 |
写真
装備
個人装備 |
計画書参照
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備考 | ガス缶は、プリムスの500G一つ、250T1つ、を完全に使い切り、500T1つと、JETBOIL用の250T相当のもの1つをほとんど使い切った。250Tが一つ余った。 医薬品の中で、虫さされの薬がは一番良く使った。 長期だと手の油がどんどん抜けていきささくれたり皮が剥けてくるので、ハンドクリームおよびオロナインを中央アルプス前に購入。 |
感想
山行目的:日本海から太平洋まで、乗り物を使わず、実力に応じて山をたどり、踏破する。
親不知海岸を出発した時間:2014年8月28日午前6時20分
大浜海岸に到着した時間:2014年9月30日午前1時34分
行程記録
8/28 1日目
4:00起床5:00親不知駅出発
6:00登山口6:50出発
8:25入道山
9:57尻高山
10:45坂田峠
12:20シキ割水場
14:45白鳥小屋
ほとんど寝られないまま出発した。自分では出来っこないことを無理やりやろうとしている感じが否めず、ただ義務感に任されて支度をした。これほど山への出発が嫌だったことはない。でも朝の海はおだやかで、僕の心をなだめてくれた。登山口では一旦荷物を置いて海岸まで降りた。坂田峠より先ではペースが落ちる。最後には雨にも降られたりしたが、白鳥小屋からの眺めは良好で良い場所だと思った。
8/29 2日目
4:40起床 6:46出発
8:59黄蓮の水場
11:48栂海山荘
ぐっすり寝て、出発する。距離が短いのでのんびり行った。水場からは荷物が重くて辛かった。夕方からはソロの3人と談笑して盛り上がり、夜更かしをしてしまう。
8/30 3日目
5:00起床 6:29出発
7:05水場
9:11黒岩山
11:37アヤメ平
12:25長栂山
13:15吹上のコル
14:28朝日岳
15:26朝日平
今日下山の二人に別れを告げ、朝日小屋へ向かう。ペース良く進み、ようやく鬱陶しい樹林帯から解放される。アヤメ平はすごくいい場所。朝日岳に着く頃にはすっかりクタクタ。夜ご飯は300gのパスタの半分を茹でたはずがちょっと少なかったらしくめちゃくちゃ腹が減ってお姉さんにクッキーを分けてもらう。ぐっすり寝れた。
8/31 4日目
3:30起床 5:58出発
10:04雪倉岳
13:22白馬岳
15:53白馬鑓ヶ岳
16:36天狗山荘
時間があったため天狗山荘まで進んだ。途中でハラが減ってごはんのことしか考えられなくなった。出発前ねぼう&のんびりでおそくなる。雪倉岳までは割とかかる。白馬岳は意外と人もまばらだった。
9/1 5日目
3:00起床 5:58出発
7:47不帰I峰
8:52不帰II峰北峰
9:55唐松岳
10:40唐松岳頂上山荘
13:03五竜山荘
小屋のおばちゃんとともに出発。大下りが一番面倒な箇所だと思う。おばちゃんと抜きつ抜かれつで唐松岳に至る。山頂で太平洋まで向かう話をしたらみんな驚いていた。前の2日間に比べて余裕のある行程となり半沈殿っぽくできた。
9/2 6日目
2:40起床 4:50出発
5:43五竜岳 30分滞在
9:30キレット小屋
11:30鹿島槍ヶ岳南峰
13:10冷池山荘
14:45爺が岳南峰
15:17種池山荘
大盛りご飯+キーマカレーを10分足らずで平らげた。はらへってる。朝のテント撤収でポールの袋を風に飛ばされて紛失してしまった(クスン)。キレット小屋前で扇沢から親不知を目指す大学生パーティーと会う。五竜岳では6日目にして最高の天気。なかなか長くつかれたものの、天気予報を見て翌日は2日分の行程を歩くことに決定する。
9/3 7日目
2:20起床 4:15出発
5:56新越山荘
7:45赤沢岳
9:16スバリ岳
10:06針ノ木岳
10:47針ノ木小屋 コーラを飲む
12:03蓮華岳
14:37北葛岳
16:32船窪小屋 “おねえさんがやさしくてかわいい!!” 記録ノートより
16:55テン場
とにかく長い1日だった。蓮華岳までは快調だったが、大下りの下部から苦労した。この辺はキレットよりこわい。非常に疲れてしまった。
9/4 8日目
4:40起床 7:34出発
8:12船窪岳
9:28第二ピーク
12:01不動岳
13:36南沢岳
15:18烏帽子小屋
昼ぐらいから雨がぱらつき始めた。稜線は風をしのげる場所がない。烏帽子岳は疲れていたからカット。テン場は5張ともライペン、しかも3つは僕と同じミドリ色。テントを張る途中で油断して飛ばされてしまい、フライに穴があいてしまった。米がビックリするほどうまく炊けた。
9/5 9日目 風雨にさらされた日
3:45起床 雨風強し一時待機 7:10出発
9:41野口五郎小屋
12:55水晶小屋
14:45黒部源流標
15:15三俣山荘
出発時は風雨が弱まったものの、野口五郎から再び強くなる。稜線上で風雨をしのげる場所はなかったので頑張って進む。ノートやシュラフが水没、靴も水没、雨具を着ているのにズボンもシャツも水没して散々。疲れていて膝が痛く、身体が冷えてつらかった。精神的にもこれまでで一番きつい日となった。テントではずっとガタガタ震えていた。しかし、夕方には綺麗に夕焼けが出て、鷲羽もよく見えた。チクショー!
9/6 10日目
3:30起床
8:28出発
10:36双六小屋
11:20樅沢岳
14:07千丈乗越
15:20槍ヶ岳山荘 のち槍ヶ岳をピストン
シュラフも濡れていてあまり寝られぬ夜を過ごす。朝は沈殿の気持ちでいたが晴れてきて外で荷物を全て干してからゆっくり出発。巻道を使う。ここからは一ヶ月前の縦走の記憶が蘇る。今は荷物が軽くいくらかスイスイ進む。双六小屋では水をたくさん汲む。千丈乗っ越しからは最後のファイトで槍の肩につく。テントを張ってから穂先へ向かう。穂先でははるか北の白馬あたりまで見渡すことができ、感慨に浸る。とともに南を見れば奥穂高、はるか向こうに乗鞍岳も見え、まだ道のりの遠いことを知る。
9/7 11日目
5:00起床 雨風、疲れから沈殿を決定
朝は天気が良くなく、大キレットへ消極的な気持ちになっていた。昼寝から覚めると暖かく、晴れていた。結局沈殿していたテントは僕の一張りだけ。かねてからの空腹により、小屋のご飯の誘惑に負け、カレーを食べる。ラジオを聴いたりしながらのんびり過ごす。
9/8 12日目
3:00起床 あまりの寒さに二度寝
5:57出発
7:46南岳小屋
9:00Hピーク
10:42北穂頂上
12:50涸沢岳頂上 30分滞在
13:35穂高岳山荘
朝はうんと冷えていい天気を約束されるも二度寝した。大キレットは初めてで緊張したが、膝が痛くて大きな段差が辛かった他には問題はなかった。涸沢岳手前ぐらいで、朝からずっと前方を歩いている人に頑張って追いつくと、彼(Dくん)も大学生で、この後小屋でも一緒にご飯を食べたりして楽しい時間を過ごした。ぜんざいやガス缶をくれて本当に助かりました。夜は夕焼けと月が綺麗だった。翌日はヤバいと言われる奥穂から西穂で緊張のまま眠りにつく。
9/9 13日目
3:00起床
5:20出発
5:55奥穂高岳6:18出発
7:18ジャンダルム
8:37天狗のコル
11:15西穂高岳
13:30西穂山荘
最高の1日だった。朝は緊張からか3時に起きられたがやはり寒い。Dくんを待たせてしまうが、奥穂へ。頂上ではお互いに写真をとり、2人の写真もとってもらう。そしていざ西穂方面へ。最初の馬の背では、先行パーティーが非常にかっこよく見えた。そのうち東北大の3年生と助教のネーチャンとの4人パーティーとなり進むことに。ジャンの頂上で写真をとり、下ってD君と握手し、別れる。ほとんどねーちゃんがトップを行き、僕ら3人はその先も進んでいく。足場が細かい(一般道ではあるからマーカーも鎖もあるが)。天狗のコルで少し休む。ちなみに東北大の彼はハシゴ段乗越から劔に入り、縦走9日目だそうだ。ねーちゃんは中房温泉から入山し4日目という。最後は徐々に西穂のピーク標が見えてくる。西穂山頂ではちょうど今来た尾根がガスに包まれようとしていた。二人は先に下山し、僕は気合が抜けてのんびり西穂山荘へ向かう。独標でねーちゃんに追いついて(東北大の彼は駆け下りるように上高地へ下山して行ったらしい)、西穂山荘までおしゃべりをして別れる。テントでは昼寝ののち卵スープ3つと米1合の雑炊(+ねーちゃんにもらった味付き魚)というすさまじくひもじい飯を食う。小屋の飯も食いたかったが明日の一時下山を思い出し我慢する。夕方にはガスが晴れ、霞沢岳も見ることができた。
9/10 (14日目)
3:30起床 6:03出発
6:58槍見台
8:22焼岳山荘
9:40焼岳北峰
11:44中の湯登山口に(一時)下山
15:20平湯オートキャンプ場
最初は「もう下山したい!」という想いを強く抱きつつの山行であったが、いつの間にやらずっと山に抱かれていたくなっていた。とはいえ、一時下山を前にはやる気持ちを抑えつつ、焼岳へ登りに行く。最後は駆け下りたかったが膝が痛くてもどかしい。2週間ぶりに自動車の行き交う音を聞いたときは感動した。親に連絡すると弟が高山付近をバイクで旅行しているという。予想外の補給ができそうなので早速連絡を取り、コンビニやスーパーで買ってきて欲しいものを伝える。中の湯から平湯までのアスファルトの道は長く、すぐにくじけそうになったが頑張って歩く。16時過ぎにバイクに乗った弟によるサポート隊が到着。大量の物資をもらう。一緒にひらゆの森で入浴後、レストランで食事。久しぶりの下界の飯は身体に染み渡った。キャンプ場のコインランドリーで2週間着た服を洗濯する。
9/11 (15日目)
沈殿
昨日は2週間分の疲れが一気に出たため、確信犯的に二度寝をすることで沈殿を決定しのんびりする。山は寒くてぐっすりとは寝られなかったがここなら快眠だ。かなりの食べ物を持ってきてもらったのにどんどん食べられる自分に驚く。松本へ向かう弟にもう一度寄ってもらい、もう一度温泉に入りご飯を食べる。平湯はいいところだ。
9/12 (16日目)
4:40起床 8:25出発
12:13鳥居
14:50畳平
15:58乗鞍岳山頂
16:58肩のバス停の小屋
今日も停滞したら間違いなく先の旅程に進めないので、気は重かったがテントを乾かしてから出発する。スキー場のどこを歩けばいいのかよくわからなかったが、適宜進んでいく。電気柵が怖かった。2400mくらいからは風が吹いていて寒い。スカイラインは立派なアスファルトの道で、草原の真ん中にずっと続いていて不思議だった。バスの他にも自転車が多数いた。山頂を踏んだ後は、ヘッデン行程をして下山を目指すも、少し降りたところに綺麗なしっかりしたバス停の小屋があり、そこへ間を借りた。
9/13 (17日目)
4:30起床 6:33出発
7:16位ガ原山荘
9:20スズラン橋 下山
10:25湯けむり館 13:15出発
14:40しらかば橋
16:26白樺峠
18:12奈川温泉料金所跡
19:06JA前
19:45市役所支所
朝は非常に寒かった。車道と登山道を行ったり来たりしながら下り、最後はスキー場の中を降りた。北アルプスに別れを告げた。また温泉へ入り、まったりしすぎたが、奈川までは今日中につきたいと思ってスーパー林道をひたすら歩いた。山と比べて、ロード区間は絶望的に距離が長いし飽きる。暗くなってからは肝試しのような道を行き、市役所支所の駐車場を借りて幕営。へろへろになった。
9/14 (18日目)
5:00過ぎ起床 7:48出発
10:03そばの里吉川?
11:45境峠の先
13:48栃の木バス停
15:36スーパーまると18:05出発
18:45藪原駅
停滞した分を取り戻すべくロード区間をなるべく片付けたいなと思いながら出発。午前中は暑さが厳しい。人家のない峠道は音楽を聴きながら、歌いながら歩いていくが、通りがかる車はみな窓を開けていて、僕の音痴な歌を聞かれてしまうことに気づく。だんだん疲れて歩けなくなり、午後は休憩が多くなってしまった。まるとスーパーでは中央アルプスを超えるまでの食料を買い込んだ。このスーパーは縦断をする人たちの間で有名らしく、アイスを食べていたら店長さんをはじめとして店員さんに親切にしていただいた。また、数日前ここを通過した日本海→太平洋の縦断をしている大学生がいることを聞いた。非常に速いペースで進んでいるそうで、僕には及びもつかないが、それでも似たことをしている人がいるのはモチベーションが上がり嬉しかった。かなりゆっくり過ごしてしまったのでこの日は薮原駅どまり。久しぶりに牛乳を飲み、米を炊き、人参とジャガイモと缶詰でシチューを作って贅沢気分。
9/15 (19日目)
4:00起床5:20出発
6:25地図に載っていないセブンイレブン
7:50サークルK
8:35セブンイレブン
一度ドラッグストアを通過するも、もう一度戻る
11:00国道19号線を離れる
13:41登山口
どんどん進めなくなる日だった。まるとの店長さんに教えてもらった新しいセブンイレブンで文明と流通のありがたみを感じた。その後順調にコンビニに寄り道して国道19号から離れようとしたときに、ハンドクリームとオロナインを買いにドラッグストアへ戻る。そこから先は、なぜかきつく全然進めなかった。七合目小屋まで行かず、登山口で泊まることにする(水は近くの沢で得られる)。テントを立てる気力もなかなか起きず、ずっとぼーっとしていた。
9/16 (20日目)
3:30起床 5:30:出発
7:28五合目
8:28七合目小屋
9:31八合目水場
11:14木曽駒ケ岳
12:30宝剣岳
16:25檜尾岳避難小屋
16:30水場(16:45小屋着)
登山は非常にスムーズだった。7合目小屋はその豪華さにびっくり。早い時間に木曽駒山荘に着いたので、檜尾まで行くことにする。しかしここで水を汲む予定が営業しておらず、必然的に檜尾まで行って水場で水が出ていることを祈るしかなくなる。地元の登山者にも枯れてるんじゃないのと言われたりして絶望的な気持ちだったが、水場は枯れておらず感動した。檜尾避難小屋の小屋ノートには数日前に女子大生パーティーが泊まっていた記録があり、非常に惜しい気持ちになる(この日は僕一人だった)。小屋から眺める駒ヶ根の街と向こうへ見える南アルプスは、下山とさらなる旅への意欲をかきたててくれる。行動食と朝晩の食事で4000kcalを摂っていることが発覚する。
9/17 (21日目)
4:00起床6:28出発
9:19木曽殿山荘
10:37空木岳
13:20マセナギ
14:45登山口
16:12こまくさの湯
その後すき家、ドラッグストアなどに寄り、24時間営業の西友でコインランドリーを回しながら買い物し、23時過ぎに駒ヶ根駅
朝は鬼のように寒く、出発が遅れる。途中ガスが広がったりするが、空木からは御嶽、乗鞍なども見えた。池山尾根は長く、ペースを上げてもなかなか行程が消化されない。登山口からはさらに釈然としない登山道を駆け下っていき、こまくさの湯で汗を流す。すき家でお腹いっぱいになってからドラッグストアやコンビニなどで9日分の食料を買い足す。このころは食っても食っても腹が減るので、1日あたりの食料を北アルプスのときよりもだいぶ増量した。どういう経緯で西友を見つけたのかは忘れたが、そこでも買い物と洗濯をした。夜遅くに駒ヶ根駅へと戻る。
9/18 (22日目)
6:30起床
適宜駅の近くで用事をすませる。が、ほとんど行動しなかった。
15:30郵便局発
18:00市役所支所
行程をこなさなくてはならないと思っていたものの、調子が上がらず、モチベーションも微妙だったため、なし崩し的にダラダラと過ごしてしまった日だった。朝は駅でぼーっとしてるとメガネの女子高生がたくさん来て可愛かった。駒ヶ根の郵便局で送ってもらったフリースを受け取って、マックでご飯を食べたり、計画書をコピーしたりする。11時過ぎに駅から移動するものの、あまり乗り気にならず本屋に行ったりしてしまう。歩き出したのはだいぶ遅くになった。天竜川を渡ってしばらくしてから、役所や図書館を兼ねた建物の軒先に間を借りて泊まることにする。JAが近く買い物もできたが、この野宿は良くなく、夜中の10時過ぎに「何してるんですか?」と散歩をしているそこの職員の人に聞かれてしまった。
9/19 (23日目)
5:25起床7:40出発
11:30中沢峠
13:10市野瀬の入野谷
朝も掃除のおばさんが来てしまった。しかし、ここは中央アルプスを見渡すことができて素晴らしい場所だ。峠はなかなか遠く、荷も重かったので思っていたよりも時間がかかった。市野瀬では入野谷でお風呂に入り、三峰川の河原にテントを張ってから、平家の里へ夜ご飯を食べに行った。翌日の入山を前に、憂鬱になりながら寝る。
9/20 (24日目)
5:20起床 8:05出発
8:35水を汲む
10:00柏木の登山口
14:55松峰小屋
松峰小屋止まりなので行程は短いが、この小屋は水が期待できず、荷が重くなる。登山口までの長い道が大変だった。先では松峰直下まで林道が大幅に伸びており、登山道もつけ変わっている。小屋では焚き火が出来るらしいのでやってみようとするが、やり方がまずかったようでほとんど火が盛り上がらずに失敗する。ここ3日ぐらい疲労と風邪の間くらいの体のだるさがあるので、風邪薬を飲んでいる。
9/21 (25日目)
3:45起床 6:30出発
10:33仙丈ヶ岳
11:10大仙丈ヶ岳
13:28高望池
15:04野呂川越
15:39両俣小屋
朝はあまりの寒さに絶望したため、出発が遅れる。地蔵尾根を引き続き登ると木々の紅葉が始まっている。仙丈ヶ岳はやたらと人が多く、少し休んですぐに大仙丈ヶ岳へ行く。こちらは一人でのんびりとでき、ブロッケン現象も見られた。仙塩尾根は雰囲気が非常に良い樹林帯である。両俣小屋への下りはゲンナリしたが、小屋はゴミを捨てることができる。夜は少し中身が残っているガス缶をゴミ箱からあさってきて暖房がわりにしてくつろぐ。
9/22 (26日目)
4:00起床 6:53出発
7:37野呂川越
10:23三峰岳
11:59熊の平小屋
朝はお茶漬けを食べる。南アルプスでは米を朝一合(150g)、夜250g炊くようにしたが、まだ食えそうな感じがしてくる。今日は北岳へと登る道が壊れていなければこちらに行きたかったのだが、一筋縄ではいかないという事前情報があったので、素直に野呂川越へと登り返し、三峰岳へ。三峰岳手前で信州大学山岳会の方に出会う。一年生3人で縦走するとはなんとたくましいのだろうと思う。この日の行程は短かったので、山頂でゆっくりした後、さっさと小屋へ下り、テントや寝袋、ザック、など持ち物を乾かす。
9/23 (27日目)
2:15起床 4:17出発
6:22北荒川岳
7:40蝙蝠尾根分岐
8:17塩見岳西峰
9:11塩見小屋
11:41三伏峠
12:48烏帽子岳
14:13小河内岳避難小屋
朝は寒く、フライには結露が凍りついていた。順調に進んでいき、8時過ぎには塩見岳に登ることができた。塩見小屋ではジュースを飲んでおっちゃんと雑談しつつ休憩した。三伏峠には早い時間についたので、水を汲んで小河内の冬季解放の小屋を目指す。先に登山者がこの小屋を目指して行ったという話を聞いていたが、来た時には誰もいなかった。天気図を取ると明日の午前中までは持ちそうだ。夕飯の米を炊いていると夫婦がやってきた。色々と話をしながら楽しく過ごし、食料を気前よくくださった。
9/24 (28日目)
2:30起床 5:06出発
7:15高山裏避難小屋
10:03荒川前岳
10:14中岳避難小屋
11:02悪沢岳
11:42中岳避難小屋
12:41荒川小屋
朝は風の音がすごかったが、晴れていたので出発する。夫婦と一緒に出発し、小河内岳の山頂で先に行かせてもらう。高山裏避難小屋では小屋ノートに、僕のこの旅行のきっかけとなった方の、アルプス縦断の時の肉筆をみつけて感動する。悪沢岳は空身で行き、富士山に4重のレンズ雲がかかっているのを見る。天気は下り坂だったがなんとか大崩れせずに済んだ。荒川小屋のお姉さんについて、記録ノートには「受付のお姉さんが下ぶちの細いフレームのメガネで最高にかわいくてすてき。ドキドキ。28日間でいちばんかわいい女の子」とかいてある。実際のところ34日間で最もときめいた。台風の接近で翌日の停滞をほとんど決める。
9/25 (29日目)
3:05起床二度寝 5:00起床するも待機でほぼ停滞を決め込む
やることがなく、ラジオを聴いたり練乳を舐めたりしながら過ごす。11時頃にお姉さんを拝みに小屋へ行く。今日もメガネのお姉さんはかわいく、食堂っぽいところで荒川丼をいただいたのちに、置いてあったTJAR2012の報告書を読む。お姉さんが可愛いだけでなく、小屋のご主人も優しい方でお世話になった。今日は行動しようと思えばいけた日であるとも感じたので、テントではこれまでの反省をし、そしていよいよゴールが見えてきたこの旅で、明日からの行動について強い決意を持つことになった。
9/26 (30日目)
3:40起床5:08出発
6:56赤石避難小屋7:50出発
9:33百間洞テント場
12:28聖兎のコル
13:47聖岳
14:49小聖岳
15:36聖平小屋
赤石岳避難小屋では小屋の主人に興味深い話を教えていただく。おかけで1時間近くのんびりしてしまった。山はもう紅葉が広がっていて、大沢岳から兎岳にかけての斜面は非常に鮮やかである。兎岳手前あたりでペースが落ちてくるが、気合を入れて歩いていく。聖岳ではあいにくのガスで展望が利かなかったが、のんびりと過ごす。小屋ではすでに2人のソロの方がおり、冬季解放中の水場について教えていただき、小屋の裏に捨てられた大量の野菜や漬物から、人参とジャガイモをいくらか回収してシチューに入れる。小屋の中では飯を作りながら話をして盛り上がる。お姉さんは三伏峠までの予定で、おじさんは赤石避難小屋に泊まって畑なぎへ周回するらしい。おじさんは静岡の大学教員で、畑なぎダムに降りてからの道筋や、道中の店のことを教えていただいた。途中でもう一人のソロの方も到着し、4人で過ごす小屋は底冷えせず快適だった。
9/27 (31日目)
4:25起床 6:33出発
8:15上河内岳
9:18茶臼小屋
10:30横窪沢小屋
12:21ヤレヤレ峠
12:43畑薙大吊橋
13:37畑薙第一ダム
14:51白樺荘18:00出発
18:18トンネル手前の道路横の草地(静岡駅まであと76.5km)
シチューを作っていたら4人の中で最も遅い出発になってしまったが、小屋を片付けて出発する。茶臼小屋までは割と良いペースでいき、そこからばてつつ延々下山していく。北アルプス、中央アルプスを超え、南アルプスもこれでおしまいだ。畑薙大吊橋を渡り、僕は道へ出てから、来た方を振り返り、山に向かって一礼した。ダムでは自販機でお楽しみのジュースを3本立て続けに飲み干す。公衆電話で親に下山連絡を済ませてから白樺荘へ歩き出す。県道の静岡駅まで81kmのキロポストなどもあり、いよいよ最終決戦という気持ちと、道を歩くのが何と無く楽しいという気持ちになる。白樺荘で汗を流したのち、疲れがドバッと出てきたのでしばらく休憩してから、テントの張れそうな場所を探した。カレーとドライカレーを腹一杯食べてから寝る。
9/28 (32日目)
4:30起床 8:18出発
19:00富士見峠(静岡駅まであと43.5km)
結露を乾かしたりしていたら時間がかかってしまい、出発が遅れる。快晴で暑い。明神橋で水を汲む。歩き始めはペースも良く、歩いていて楽しかった。滝浪商店でアイスを食べる。お茶と栗もいただく。自販機でジュースを買っては飲みながら歩いていく。井川の街ではザックを家に送り返して身軽になろうかとも思ったが思いとどまる。しかし、このあたりからペースが落ちてきて、予想以上に進めないことがわかってくる。「乗っていきますか?」と声をかけてくださる方は、3人ほどいたが、僕はその好意を授かりたいと思いながらも、自分の足で歩かなくてはならないから断らなければならず、辛かった。井川ダムを越えたあたりで、聖平小屋で一緒になったおじさんが下山して車でやってきて、静岡の市街地方面への道のりについて色々と教えてくださる。笠張峠くらいまでは・・・と思っていたが、やはりペースが上がらず、日が暮れると車にはねられそうであったので富士見峠の駐車場でテントを張る。情けないほど少ししか進めなかった。
9/29,9/30 (33日目、34日目)
5:00起床 6:53出発
僕の記録ノートには、ここまでしか書かれていない。最初は順調で、途中でややペースが落ちるものの、やはり今日中に何としてもゴールしたいという気持ちが大きく、昨日と比べるといいペースを維持したままで頑張って歩いていった。今日も3人ほどに「車に乗ってくかい?」と声をかけられ、断らなければならなかった。樽沢にはいい時間につき、先も頑張って歩いて行こうとするが、静岡駅まであと22キロ地点ぐらいから、歩くたびに足の裏に痛みが走るようになる。靴下を脱ぐと指の付け根の部分が水ぶくれ状になっており、押すと痛い。柔らかい大きな絆創膏を貼って、ぎこちない歩き方でそこからは歩いていくが、やはり歩くたびに足の裏は痛く、つらい。非常にゆっくりと進んでいく。おまけにだんだんと肩も痛くなってくるので、荷物をおろして休憩する時間がどんどん増える。到着時間も読めなくなってきて焦りが出てくる。静岡駅まであと20キロの場所ではまだまだ山あいにいる感じの場所だ。安倍川を渡って右折すると、あとは道をまっすぐ行くだけで静岡駅へ行けるし、そのまま突っ切れば海へ出ることができる。体力にだってまだ余裕はあったし、シャリバテしないようにこれでもかというぐらい行動食をがっついた。しかし、僕は思ったように進むことができず、しかし我慢して進もうと思うと少しは進めるというのが、自分の意思の弱さ、自分への甘えを表しているようで、非常にもどかしかった。最初のコンビニのサークルKが見えて、自分の置かれた状況から逃避したさに思わず駆け込み、しばらく休憩した。日が暮れていく。そこから先は完全に市街地だ。市街地のせまい道沿いにはあまり荷物をおろして休める場所もないので、頑張って歩く。残りの道のりを考えると泣きたいほど辛かった。今日のうちにはつかなさそうだなあと思いながら、道端のバス停のベンチで休んだりしながら、歩いていく。一度に1kmも歩ければいい方だった。静岡駅までのキロポストは安倍川を渡ったあたりで消えてしまい、川沿いでは河口までのキロポストが幾つか見られたが、川から離れた今はそれもない。でも、看板に書かれた店のあと何キロのキロ数が減っていたりすると、着実に前に進めた気になれる。ケータイの地図で静岡駅までの距離を表示したりして少しずつ減っているのを喜んだ。でも、その目安の静岡駅から海まで5キロあるというのが、今はたまらなくプレッシャーになっていた。ローソンに寄って休む。だいぶ前から暗くなっていたが、高速道路の高架下あたりで、ヘッドランプを一応出す。こういう言い訳をしながら荷を降ろして休んだ。国道1号線ではものすごい勢いで車が流れていくのを見た。僕はゆっくりと人気の少ない歩道を歩いていく。都市部に入ってくると、もうちょっとずつ進んでいたのも限界を感じてしまった。僕は歩道にザックを置いて、その上に転がって寝ていた。20〜30分ぐらいすると、少しスッキリして、もう一度荷物を持って前へ進んだ。駿府公園の横を歩いていく。この近くに某女子高の姉妹校があるそうだが、今は残念ながら寄れるだけの余力がない。ゆっくり歩いて行って、懐かしい静岡駅の駅前に出る。ここは勝手を知っているから少し安心できる。ここで一度地下の通路に降りて、駅の反対側(南側)で出れば良い。地下通路では自転車旅をしている男の人二人が、こちらのザックに目を留めたようだが、僕は話をするだけの元気がないので先へと進む。エスカレーターもあったが、乗り物は使わないのが今回のテーマなので階段で地上に出る。あとは海まで歩くだけだ。この辺りで日付が変わり、9月30日、夏休み最終日となる。相変わらず歩くのは辛かったし、すごいゆっくりではあったものの、それでもコツコツと歩いていくことができた。ゴールの2キロ手前ぐらいのコンビニに入り、コーヒーを買って休憩する。店員さんに「この道沿いに行ったところから海に降りることはできますか」と聞いてみると、どうやらこの道を言ったところの近くから海へは降りられるようなので、一安心する(堤防がずっと続いていて海へ降りられるところが遠かったらギブアップしてしまいそうだったので)。そして、先へと進んでいく。iPhoneの地図のGPSの指す位置を見ると、本当に海の近くまで来ていて緊張してくる。最後の信号を渡り、暗い公園のような松林の所を、ヘッドライトを頼りに海辺の方へ歩いていく。これまでのいろんなものがこみ上げてくる。歩道のようなところから砂浜へ降りられる場所を探し出して、浜へ降りる。波の打ち寄せる音に包まれる。波打ち際へ、砂を靴下にかけないようにしながら歩いていく。そして、波のタイミングを待って、手を太平洋につけた。縦断ができて、本当に良かった。
旅行記みたいなものを作ろうとしていたのですが、全然完成しないので記録だけでもと思ってアップロードしてみました。最終日だけは旅行記になっちゃいましたが…
当初の計画と異なり、歩いている間の自身の実力を考えて、南アルプスの深南部には踏み込まずに上河内岳から下山しました。また、リサーチ不足で両俣小屋から北岳への道は悪いことが後から判明したため、ここも登らずにストレートに熊の平小屋へ行きました。
計画書は以下のリンク先にあります。「山行計画書」として機能させるために、北アルプス、中央アルプス、南アルプスに分け、各入山日と下山日を後から進み具合に応じて記入できるように空けてあります。でも、食料計画の欄は無駄でした。
https://www.dropbox.com/sh/to6s0k1thh9l1a0/AAC6QOOg0XWQCjkJ63ywrfKoa?dl=0
僕がこの日本海から太平洋までの日本アルプス縦断をやろうと思ったのは、6月に、信州大学山岳会がウェブページで公開している過去の記録を見ていて、2004年度の『夏を、旅する』と題されたファイルを見たことに端を発します(下記のリンク)。
http://arayo.jp/kiroku/2004.html
僕はこの情熱的な旅の記録を読んで、自分でもやってみたいと強く思い、準備をしていきました。
それから、スーパーまるとで教えてもらった縦走していた方の記録です。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-517295.html
テント泊の装備ながらわずか17日間で駆け抜けていたようです。すごいわー
32泊33日。家を夏に出発して、帰ってきたらもう秋でした。
今こうして写真を見ても当時の思い出が色々とよみがえってきます。でも、思い出以上に、自分にもこんな計画が実行できるということ、自分は意外と些細なことまで人に頼らないといけなかったり、始めてもいないことをあっけないほど簡単に諦めたり、くじけてしまったりする、ということが分かったのがよかったです。とはいえ、今思うと明らかに体力不足だなあ…
応援してくださった方、山で出会って食べ物を恵んで下さった方、本当にありがとうございました。
他の方にとっても価値のある記録かどうかはわかりませんが、もし知りたいことがあったら遠慮なく質問をしてください。
2015年4月2日編集
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