高尾山〜小下沢〜八王子城山(北高尾山稜)



- GPS
- 06:48
- 距離
- 13.8km
- 登り
- 1,041m
- 下り
- 1,274m
コースタイム
- 山行
- 5:26
- 休憩
- 1:20
- 合計
- 6:46
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
かえり:西東京バス霊園前・八王子城跡入口から乗車し高尾駅へ (八王子城ガイダンス施設前にもバス停はあるが、土休日のみの運行で本数も少ない為、当該バス停まで歩く事をおすすめする) |
コース状況/ 危険箇所等 |
・危険箇所は特になし ・狐塚峠周辺が登山道、林道が多数分かれている為、道迷い等注意 →狐塚峠を経由せず、板当峠方面にショートカットできる道あり |
写真
装備
個人装備 |
雨具
クマよけ鈴
サコッシュ
行動食
非常食
スマートフォン
財布
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感想
前回の鉢形城訪問の際、そういえば八王子城に行ったことがないなと思い、高尾からアプローチを試みる。まさにこのルートは城山(小仏)から城山(八王子)へ。笑
全体像としては、高尾から景信山までは高尾・陣馬ハイク(笹尾根)のルート、景信山から小下沢に降りそこからは北高尾山稜と呼ばれる稜線に上がり、途中で八王子城へ分岐するルートである。
奥高尾に来るのは、10月以来2か月ぶりである。高尾山より先は人が少ないイメージがあったが、さすが高尾・陣馬ハイクの名所。冬の快晴日という事もありすさまじい人で賑わっていた。また併せてTOKYO八峰マウンテントレイル2023の開催日と重なっていた為、小仏城山から景信山直下まではランナーとすれ違う状況で、なんだか非日常感を味わえた。
そしてはじめての景信山へ。ここから先、陣馬山、生藤山、三頭山まで続く笹尾根の稜線つなぎは今後の課題である。
本日はここからは小下沢に降り、狐塚峠のある北高尾稜線と呼ばれる道へ向かう。こんなにマニアックな道でもけっこう登山者やトレランがいるのはさすがの東京郊外だと実感。北高尾山稜は高ドッケの下りがけっこう傾斜が急な印象である。
富士見台手前で八王子城山への分岐。急に現れる詰めの城は八王子城最後の砦であり、なかでも大堀切は圧巻である。
1590年(天正十八年)、豊臣秀吉は北条氏政が籠る小田原城を包囲。支城でもあった鉢形城や八王子城は東山道より前田利家、上杉景勝によって攻められた。
六月十四日鉢形城は開城され、六月二十三日に八王子城を攻撃した。
城主の北条氏照は小田原城に籠城していた為、八王子城には城代の横地監物や中山勘解由等わずかな手勢しか居なかったようだが、彼らはよく戦ったようだ。
しかし、多くのものが討死し御主殿には火が放たれ、多くの者が討死したという。わずか一日の戦いであった。八王子城落城は戦の壮絶ぶりから様々な逸話や伝説を生み、現在は「都内最強の心霊スポット」として知られる側面もある。
この事は、御主殿の滝と呼ばれるところで八王子城に籠っていた女性たちが身投げをしたという悲劇の伝説によるものであるが、黒田基樹『小田原合戦と北条氏』(吉川弘文館)によれば「上杉家文書」の中に落城に伴い八王子方の女性60人が捕虜になり、小田原の秀吉の下に送還されたが、全員処刑してしまうと在地が無人になってしまうので、助命し元の在所に捕虜を送還する事を秀吉が命じた記録が残っているとの事。一部は小田原籠城兵にも届けられこの事が小田原方の戦意喪失につながり、小田原開城の機縁になったと言われている。
「天下」の戦に巻き込まれた八王子城であるが、詰城、本丸、各曲輪等、深沢山(城山)を利用した自然の要害といった様相である。
それにしても都内にこのような素晴らしい山城が残っているとは、正直いって驚いた。
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