愛宕山月詣&千日詣り♫


- GPS
- 06:16
- 距離
- 12.3km
- 登り
- 1,047m
- 下り
- 1,010m
コースタイム
- 山行
- 5:43
- 休憩
- 0:33
- 合計
- 6:16
過去天気図(気象庁) | 2024年07月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
登山客はわたしひとり
外国人数人上りホーム、下りホームを行ったり来たり
景観が珍しいのか。
改札でトラブル発生
インターホンで問い合わせ
カードで会計はできた様子だけれどその後カードが使えなくなって帰りの京都バスで使えなくなったことがわかった(-_-;)
円町(時間帯によっては無人駅)でインターホンで問い合わせ。
コントロールセンターから言われるままに改札に入り精算機でカードを解除。使えるようになったのかなぁ?
カメラで見られて?操作されていたの(-_-;)
こんな街中で駅員さん不在、信じられない!
金閣寺へ行く外国人観光客でごった返しなのに。
感想
月詣・・・。
人が少ない
お下りやす、お登りやす♫
千日詣の時だけの挨拶
ちょっと気恥しいけれど何回も繰り返していたら抵抗がなくなる。
月詣、千日詣を終えてほっとする♫
今日もとめたお札10体、お友達のお札・・・。
お友達はもう登れない、わたしもいつまで登れるか?
□愛宕(あたご)神社(じんじゃ)(あたごじんじゃ)
(右京区嵯峨愛宕町)
祭神
稚産(わくむすびの)日命(みこと)(わくむすびのみこと)、
埴山姫命(はにやまひめのみこと)、
伊弉冉(いざなみ)命(のみこと)(いざなみのみこと)、
天熊人命(あめのくまひとのみこと)、
豊受姫命(とようけひめのみこと)
全国愛宕神社約八百社の総本社。大宝年間(七〇一〜〇四)に役行者(えんのぎょうじゃ)らが愛宕山を開いて神廟を築いたのが始まりとも、天応(てんおう)元年(七八一)に僧慶(けい)俊(しゅん)、和気清麻呂(わけのきよまろ)が勅を奉じ王城鎮護の神として阿多(あた)古社(ごしゃ)を鎮座したのに始まるともいう。古来、鎮火の神として崇敬され、本地仏(ほんちぶつ)が勝軍地蔵のために武家の崇敬も集めた。愛宕山は修験道七(しゅげんどうしち)高山(こうざん)の一つで、天狗信仰も生まれ、多くの修験者によって愛宕信仰は全国に広まった。当社に三歳までの子供が詣(まい)ると、その子は一代、火難を逃れると言い伝える。千日詣(まい)りと呼ばれる通(つ)夜祭(やさい)は七月三十一日夕刻より八月一日早朝にかけて行われ、参拝すると千日分のご利益があるとされる。
01-2-03-030
愛宕神社は古くから鎮火の神として崇敬され、7月31日の夜半から8月1日にかけての参拝は、特にご利益が多いと言われているが、この参拝を何と言うか。
千日詣り
04-2-02-011
古くから鎮火の神として崇敬され、3歳までの子供が詣でると一生火難を逃れると伝えられる神社はどこか。
愛宕神社(あたごじんじゃ)
05-2-05-048
7月31日の夕刻から翌朝にかけて愛宕神社(あたごじんじゃ)で行なわれる通夜祭は、「( )」と呼ばれる。
千日詣り
07-3-05-047
7月31日の夕刻から翌早朝にかけて行われる( )への参拝は「千日詣り」と呼ばれ、参ると千日分のご利益があるとされる。
愛宕神社(あたごじんじゃ)
09-2-05-045
7月31日から8月1日にかけて愛宕山(あたごさん)の愛宕神社に参拝する「千日詣り」は、別名「( )」ともいう。
通夜祭(つやさい)
10-3-06-054
火迺要慎(ひのようじん)の護符で有名な愛宕神社に、7月31日の夕刻から8月1日の早朝にかけて参拝することを「( )」と呼び、特に御神徳があると伝わる。
千日詣り
11-3-02-011
鎮火の神として庶民の信仰を集める( )では、7月31日夕刻から翌朝にかけて「千日詣り」が行われる。
愛宕神社(あたごじんじゃ)
12-1-02-14
神々は人々を救うための仏の化身であるとする本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)では、その根本である仏・菩薩を「本地仏」という。俗に鎮火の神として崇敬を集める愛宕神社が、武家の崇敬も集める由縁となった本地仏は何か。
勝軍地蔵
13-3-06-058
俗に、3歳までに詣でると一生火難を免れるといわれる神社はどこか。
愛宕神社
02-2-06-057
愛宕神社(あたごじんじゃ)は火伏せの神として崇敬され、( )までにお詣りすると、一生火難に遭わないといわれている。
3歳
□金蔵寺(西京区大原野石作町)
◆本尊 十一面干手観音
洛西大原野の山中、小塩山の中腹にある。寺伝によれば、養老二年(七一八)に元正天皇の勅願で創建されたというが、中世の兵乱などで荒廃し、現在の建物は元禄四年(一六九一)、桂昌院(徳川綱吉の生母)によって再建されたものである。明治の神仏分離で、かつて愛宕神社に祀られていた勝軍地蔵が当寺に遷されて祀られている。
山号の西岩倉山は、平安京造営の際に、桓武天皇が都の東西南北に四つの経塚を築いた、そのうちの西の経塚であることに由来する。
□七月三十一日 千日詣り
三十一日夕刻から八月日早朝にかけての参拝は通夜祭とも呼ばれ、千日分のご利益があるとされ、山頂付近にある愛宕神社で護符と樒を受ける。
□火迺要慎の護符
多くの家では、「阿多古祀符火廼要慎」と書かれた護符が台所に貼られている。
愛宕山頂付近にある愛宕神社は、三歳までに子供が詣ると一生火難を免れるという。また、七月三十一日の夕刻から八月一日早朝にかけての参拝は、千日詣り(↓291頁)と呼ばれ、千日分のご利益があるとされている。愛宕神社で護符と樒を受ける。
□伊勢へ七たび熊野へ三たび愛宕様へは月参り、
伊勢神宮(三重県伊勢市)、熊野三山(和歌山県)、愛宕神社を挙げ、月参りする愛宕神社への信仰を強調している。
□稲荷詣でに愛宕詣で
雲がお稲荷さんの方に行くと晴れ、愛宕さんの方に行くと雨になる。
□嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区 右京区。
愛宕神社 (→78頁) 一之鳥居の前に、 形成された町並みである。江戸時代には火を司る神を祀る愛宕神社への参詣が盛んであった。清凉寺(嵯峨釈迦堂)を経て愛宕神社へ向かう愛宕街道沿いに、この町並みがある。約六百メートルの区間に町家と草葺きの民家があり徐々に移り変わる。町家風の家屋もかつては農林業に携わったものが多く、間取りは農家的である。 一之鳥居付近の茶店は江戸時代の姿を伝えている。
(京都検定テキスト)
ツツジ尾根で突然
バスを一便遅らせて空也の滝へ
コメント
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動く黒い動物はイタチでしょうか??
空也の滝はすごい水量で流れ落ちてますが滝に打たれたら痛い(>_<)でしょうね。
イワタバコが咲いててよかったですね。
それにしても参詣者がおられない?少ない?なんで??
暑いからでしょうか。
山形方面は豪雨被害がでてますが、こちらはカンカン照り、広くないこの国はどうなってるんでしょう・・
コメントありがとうございます。
なんとか登りましたが今回はしんどかったです。
裸電球のない千日詣りは考えられない。
お登りやす、お下りやすの挨拶も少なかった。
ひどいですね、この自然現象・・・。
降りすぎ(-_-;)照りすぎ(-_-;)
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