飯豊連峰縦走(負傷敗退) 弥平四郎~三国岳~切合小屋


- GPS
- 22:34
- 距離
- 25.6km
- 登り
- 1,891m
- 下り
- 1,889m
コースタイム
- 山行
- 8:32
- 休憩
- 0:12
- 合計
- 8:44
- 山行
- 4:43
- 休憩
- 2:09
- 合計
- 6:52
過去天気図(気象庁) | 2025年05月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
昨年秋から、今シーズンの集大成として計画していた飯豊連峰縦走。弥平四郎〜飯豊山〜朳差岳〜大石ダムの計画であったが、残念ながら負傷により途中下山となってしまった。今はただ、悔しさだけが残る。
【5/3】
朝から磐越西線とデマンドバスを乗り継ぎ、弥平四郎の集落へ向かう。暖かな春の陽気の中、装備の分担をしていると御歳100歳のおばあちゃんに話しかけられたが、方言の癖が強く、何を言っているのか80%くらい聞き取れなかった。
集落から林道を進む。重荷が堪える。汗だくになりながら歩いていると、ブナの新緑が美しい登山口の駐車場に着いた。
アイゼンを装着して目標の尾根の斜面に取り付き、標高差100mの藪漕ぎをする。後ろの2人は藪に慣れていなさそうで、少ししんどそうだ。足元に目をやれば、まばらに咲くイワウチワが応援してくれる。やがて登山道に出て、雪が繋がってからはすこぶる快適だ。重荷でしんどそうに歩く2人を励ましながら、ブナの芽吹きの境目に感嘆の声をあげて進んでいく。磐梯山を背負いながら急登をいなすと、ブナの大木が林立する広場に出た。ひときわ大きなブナの下で、くるみ餅を食べながら春爛漫の飯豊の森林に目を細める。ブナの尾根を進み、主稜線の尾根の雪庇をトラバースしながら避けて、上ノ越から主稜線に乗った。木々の隙間から見える大日岳が雄大だ。
アイゼンを外し、ツボ足で土の出た夏道をじわりじわり進む。Sくんが久しぶりの重荷でしんどそうだったので、途中で荷解きして装備を受け持った。相変わらずイワウチワの可憐な花が元気をくれる。じわりじわり進んで、巻岩山の直下で雪が繋がりアイゼンを装着した。
巻岩山に登ると飯豊連峰の大展望が広がる。大日岳が勇ましい。Sくんもこの展望に支えられ元気を取り戻したようで、稜線に乗ってからは快適に進む。三国小屋まであと少しというところで雨が降り出した。三国岳直下の雪庇をトラバースで巻いて、少し登ると三国小屋に着く。この時はこの小屋に3泊もしようなど思ってもいなかった。
夜はSくんのキムチ鍋を食べて、エネルギーを補給。寝る前に明日の天気を確認する。翌日はやはり荒れ模様で、メンバーの疲労も考慮して停滞も頭に入れながら、吸い込まれるように眠った。
【5/4】
4時に起きると強風雨。6時に起きてまた判断しよう、ということにして、二度寝を決め込む。6時に起きても強風雨だった。まあ、入山前からわかっていたことだし、メンバーと相談して、無理せず停滞ということにした。同日に小屋に泊まっていた他のパーティーは下山していった。
当然暇になる。3人でYちゃんが持ってきたアップルパイを食べたり、ひたすらお茶を飲みながら(Sくんはお茶を忘れてひたすら練乳を溶かした汁を飲んでいたが)色々と駄弁るが、結局暇を持て余す。持ってきた文庫本があまり面白くなかったので(というより5時に目が覚めてしまい1時間で読み切ってしまった)、ラジオを聴いていたが、これもあまり面白くない。午後は3人で組体操に興じていた。悪天の飯豊の山小屋で停滞中に組体操に興じる人間はなかなかいないだろう。別に誇らしくは無い。夜は僕が作ったカレーうどんを食べて、就寝。
【5/5】
6時発で先に進む。前線が東の海上に抜ける途中で、だいぶ強い風が残っている。だが、午後からは好転するはずだ。
切合小屋まではクラックだらけの尾根を進む。薮を伝いながら容易な雪壁を乗っ越し、時折薮を繋いで先に進む。
技術的に懸念していた箇所を越え、さあ切合小屋まであと30m、休憩しよう、というとき、なんでもない雪面を踏み抜いて胸の高さの穴に落ちてしまった。その際に、左のアイゼンの歯で右の太ももの裏を深く突き刺すように抉ってしまった。激痛が走り、声にならない声が出て、しばらく動けない。雪が赤く染まるのが見えた。
少し落ち着いてから、切合小屋になだれ込む。僕はまだ先に進む気満々だったのだが、Yちゃんが僕の傷の処置をしながら「下山だね…これは」と小さく呟いた。先に行きたくて堪らなかったが、リーダーが仲間に迷惑をかけるようでは言語道断だし、出血量を見て内心理解はしていた。だから、Yちゃんの言うことにしたがって、先の道を諦めることにした。
大日杉に最短で下りる事も考えたが、下りたところで米坂線が動いていない。歩けないわけではないので、今日は三国小屋に泊まり、明日中に弥平四郎に下りることにする。
がっくりと肩を落としながら、来た道を戻る。すっかり風が落ち着いた三国小屋の前で、装備の解除もできずに失意に項垂れる。無性に悔しくて、少し涙が出た。涙を見せたくなくて、下を向いていると、Yちゃんに「小屋に入ろう」と言われた。人の優しさが沁みる。
傷の処置をしてもらい、お茶を飲む。もっと格好よく出したかったのだが、お楽しみ食材として持ってきたうなぎの蒲焼を食べる。そして、明日下山するので、Sくんの食糧を消費するため、昼間から鍋を食べる。
夕方に外に出て、西日に照らされた大日岳を仰ぎ見る。こんな時に限って、山は残酷なまでに美しい。
Yちゃんの作るジャンバラヤ(絶品)を食べて、就寝。痛み止めが効いたのか、案外ぐっすり眠れた。
【5/6】
今日は弥平四郎に戻る。7時に三国小屋を出た。右脚の状態を確認しながらゆっくりと進む。巻岩山のあたりで学生パーティーに抜かされた。相変わらずイワウチワが可愛らしい。
トレースを辿り、上ノ越からの尾根を下りる。ブナの芽吹きの標高が3日前よりも進んでいるようだ。意外とサクサク進んで、上ノ越から1時間半程度で祓川の駐車場に着く。これなら先に進めたのでは?とYちゃんにヘラヘラと話しかけるが、真顔で「何言ってんだお前」と言われた。申し訳ない。
春爛漫の林道を、植物観察をしながら進む。Sくんは雪国から遠い場所に住んでいるので、雪国ならではの植物に興味津々だ。時折現れる山桜が、落ち込んでいる僕の心を少しずつほぐしてくれる。くだらない話をしながら、林道を下る。13時半に、小雨と春の空気が相まってしっとりとした弥平四郎の集落に着いた。
タクシーを呼んで、磐越西線の野沢駅へ向かう。帰りの汽車でコーラを飲みながら、「また行こう」と3人で誓い合う。「宿題ばっかりだね」とYちゃんに言われた。飯豊の主稜線を歩いて、会津から越後へ。それが来春までに残された宿題だ。確かに悔しい。それでも僕は、嫋やかな朳差岳を脳裏に思い浮かべて、汽車は日常へと進む。
6年ぶりに、今度は残雪期に訪れた飯豊連邦。今回も大石ダムまで踏破出来れば良かったが、やむなく撤退。それでも飯豊の山々はどこまでも美しく、再挑戦を誓う山行となった。
【1日目】
野沢駅に降り立ち、デマンドタクシーで弥平四郎へ。腰にめり込みそうなザックを呻きながら背負ったら林道歩きを開始する。無駄なものは極力省いたが、私は身長が150㎝にも満たないため、総重量は体重の50%ほどになっていたと思う。体力不足は自身の怠慢でもあるのでただの言い訳だが、普通にしんどかった。S君はそれ以上にしんどそうだったが、逆に久しぶりの雪山縦走装備で止まらず動ける方が凄い。リーダーのKは今回すこぶる調子がよさそうだ。私は写真撮影を口実に休憩しまくっていた。
それでも苦手な藪を抜け、トラバースを進み、ひたすら目の前の雪を踏み、巻岩山を越えるとあの波打つように広がる美しい稜線が目に入り、それまでの疲労も吹き飛ぶようだった。三国小屋に到着する直前でみぞれがぱらつき出したが、ほぼ降られずに小屋へ転がり込めた。
S君が用意してくれた夜ご飯のキムチ鍋は絶品。タンパク源が鯖の水煮パウチとは、出汁が効いて素晴らしい。今度真似しよう。
【2日目】
一応早起きして外の様子を伺うも、予報通りの悪天候。風は波があるので行けなくもなさそうだが、何となくやる気が出ない。停滞を決め込み、持参した南アや北アの地図を広げては妄想を描いたり、ティータイムをしたり、他愛もない話をしたりして過ごした。しかし1日は長いもので、遂にすることがなくなって暫くするとKが「組体操するか」と言い出した。意味が分からなかった。そうこうしていれば夕方になったので、Kプレゼンツの美味しい春菊入りカレーうどんをいただき眠りについた。
【3日目】
風はまだ強いものの好転してゆく予報のため、もじもじ様子を伺うのは中断して6時半に出発した。今にも崩壊しそうなクラックだらけの尾根を慎重に進んでゆく。
1箇所短くも急な雪面を乗り越え、切合小屋まであと少しというところで突如、S君の前を行くKが突如消えた。目線を下げると雪に埋まって音なく悶絶するKが視界に入る。踏み抜いた拍子にアイゼンが腿に刺さったらしい。
とりあえず小屋に入り、止血のため手拭いで腿を縛って間接圧迫・ガーゼで抑えて直接圧迫。水で傷口を洗浄後、消毒綿で殺菌。消毒するとき安心させようと天使の笑顔を向けたつもりが、激痛をもたらす悪魔の笑顔に映っていたらしい。おかしいな。何度かガーゼを取り換えて出血が収まってきたところで一旦ガーゼとフィルムテープで蓋した。やっぱファーストエイドって必要なんだな。ただあくまで応急処置だ。何日も数時間おきに交換し続けられる程は持参していないため、下山しか選択肢はない。しばし休憩ののち切合小屋を発った。
三国小屋までの帰路、途中からアドレナリンで痛みが紛れてきたのか「これなら先いけた気がする」とか言っていたが、小屋に到着し再度患部を確認すると、動いたせいで傷口が開きガーゼはフィルムテープの向こうで隅々まで深紅に染まっていた。災難な出来事に落胆するKにかける気の利いた言葉は見つからなかった。翌日弥平四郎に下山することになったため、Kが持ってきてくれたお楽しみ食材の鰻をに舌鼓を打ち、お昼過ぎにS君の塩ちゃんこ鍋で宴会し、夜には私のジャンバラヤもどきを食べた。
【4日目】
来た道を下山。
東京の大学のワンゲルだという元気で賑やかなパーティに途中抜かされ、思わず微笑ましく顔が緩む。下山中は往路よりも気持ちに余裕があるおかげで、イワウチワの花畑や眩しく萌える新緑がよく目に入る。よく起こる土踏まずの靴擦れが今回はいつもにも増してズルむけて、これは撤退して我得だったのではと思った。
総括
このGWは山で出会った方が帰らぬ人になってしまったり、遭難のニュースも絶えず聞いたりしていたのもあり、飯豊の白き峰々を目に焼き付け自力で山を降りられただけで儲けもんの気分。あとS君がいじってくれるようになったので大きな収穫。撤退は幾度となくしてきたので早いうちまた行けばよいのだ。
学生の時から憧れていた飯豊連峰。大学時代の部活の先輩から「GWに行かない?」と声をかけていただき、遂に赴く機会を得た。
関西から新幹線を乗り継いで郡山まで行き、ローカル線でのんびり会津若松駅へ向かう。雨のそぼ降る中、久しぶりのK先輩と合流し、炒飯とあんかけラーメンを食べた。その日は長距離移動の疲れからか、吸い込まれるように就寝した。
(1日目)
朝6:20に会津若松駅にてK先輩、O先輩と合流。電車に乗り込み野沢駅へと向かう。電車から見る野畑と、遥かに聳える飯豊の山々に胸がときめいた。時折キジを見つけては盛り上がっていると、あっという間に駅に到着した。野沢駅からはデマンドバスで弥平四郎集落へ。本来地元の方向けの交通の足ゆえ、450円という破格の値段だった。
集落で荷物の整理をしていると、地元の方々から声をかけられ、山の前で緊張していた心が少し解れた。
林道を進み始める。久しぶりの荷物の重さにやられながらも、なだらかな林道には様々な植物や山菜が自生しているのが目に入った。山菜に詳しい先輩がコゴミやウド、ウルイ等を見つけており、山の新たな楽しみ方を発見したような気持ちになった。
登山口から始まった急登により、汗が滴る。やがて息が上がり始める。2ヶ月前に目の手術をしてから1ヶ月の運動禁止期間を経た復帰戦、かつ25kgを超える荷物を背負っているので、確実にバテるとは思っていたが、ここまでとは想像もしていなかった。7時間ほど歩いたところで腿が攣りはじめ、1歩1歩ゆっくり踏み出すことでしか歩けなくなった。O先輩の「ガンバレ!」の掛け声、そして時折振り返って手を振ってくれるK先輩の優しさに背中を押されつつ、「セイ!」「ハア!」と奇声を発しながら気合だけで歩いていると、見かねたK先輩から2日分の食料を渡すように言われた。情けなく、悔しかったがこれ以上パーティーに迷惑をかける訳にはいかないと思い、持っていただいた。
軽くなったザックを背負い、右、左、右、左…とひたすら唱えながら歩いていくと、巻岩山山頂に到着。
息を切らせながら顔を上げた瞬間、見渡す限りの雄大な山々が、360度の大パノラマとして視界いっぱいに広がった。感動が音を立てて自分の中になだれ込んでくるのを感じた。気付けば、景色が涙でボヤけていた。
この時の自分は、自分の荷物もロクに担げずにこんな綺麗な景色を見てしまった情けなさと、先輩の強さと、薮しか無かった視界に突然絶景がなだれ込んできた驚きとで、感情が綯交ぜになっていた。これまで沢山の綺麗な景色を見てきたはずだが、山でここまで心が動いたのは初めてだった。
涙を拭いながら、ここまで連れてきてもらったことに対する感謝の気持ちを噛み締める。
そこからは気持ちの良い稜線歩きをいなした。先輩の背中に必死に着いていくことしか出来なかった山行初日だった。
晩御飯は、自分が持っていったキムチ鍋を食べた。〆のサリ麺が美味かった。
(2日目)
次の日は、天候が悪く1日停滞となった。最初の方は3人で地図を囲んで盛り上がっていたが、そのうちやることが無くなり組体操に興じていた。これがとても楽しかった。あとは、O先輩のお楽しみ食材「アップルパイ」が絶品だった。夕飯はK先輩の具だくさんカレーうどんを食べたが、めちゃくちゃ美味かった。
(3日目)
朝から強風だったが、段々弱まる予報。準備している時に、ビーコンにストラップ紐が付いていないことが発覚。購入した際に別の袋に入っている紐を付けなければいけないところを、直前に買った焦りもあり、よく確認せず付けずに入れてしまっていた。即席の細引きで代用したが、こういったミス1つが命取りになるのだと反省。
出発後、薮を伝いながら切合小屋を目指す。雪国の薮は雪の重さに鍛えられており、とにかく強い。昨日はあんなに憎かった薮に対して、この時ばかりは心強い友達のような感情を抱いていた。
薮に助けられながら技術的核心である雪壁を乗り越え、歩きやすい稜線に出た。やがて小屋が見えたのを喜びなから歩を進めていると、小屋の目前でK先輩が雪を踏み抜いて悶絶しているのが見えた。太腿にアイゼンを突き刺したとのことで、小屋に入って応急処置をした。止血して包帯で縛って…と脳内で思考が渦巻くが、O先輩の手際が良すぎて、その辺をウロウロしていたら処置が終わっていた。なんとも情けない男だ。
先輩は大分痛そうだったが、切合小屋からのエスケープルートの先には電車が無いとのことで、来た道を辿って三国小屋まで戻り、弥平四郎に下山することになった。
つい先程通過した雪壁は、慎重を期して懸垂下降で降りた。個人的にはロープワーク講習以来の懸垂下降で、何とも無様な下り様となった。
三国小屋まで戻ると、K先輩がお楽しみ食材「うなぎの蒲焼」を取り出した。一同歓喜し、頬張る。この時は、疲労と、全員で無事に戻ってこれた安心感が効いて、どこで食べる蒲焼よりも美味しく感じた。
昼過ぎには自分が持ってきた塩ちゃんこ鍋を食べた。提案した際に「僕の鍋にしませんか?(荷物減らしたい荷物減らしたい荷物減ら以下略)」と、内心が筒抜けだったらしく、気を遣っていただいてしまった。
この日、K先輩は見るからに落ち込んでいたが、かける言葉は見つからなかった。この山行のためにシーズンを通して仕上げてきたK先輩と同じ悔しさを自分が味わえる筈も無く、結局「連れてきて貰った」に過ぎないことを痛感していた。然し、夕暮れ時に夕陽に照らされ、ひときわ強い存在感を放つ大日岳を見ると、「あそこまで到達したい」という嘘偽りない欲求が溢れた。そして、同じ気持ちをメンバーで共有しているということをひしひしと感じることができた。
晩御飯には、O先輩のジャンバラヤに舌鼓を打った。人生初スパムの油の旨みに感激し、ヤク中のように貪り食ってしまった。
(4日目)
最終日は、トレースを辿り弥平四郎へ。K先輩は、時折足を引きずりつつも、全くペースを落とさず、先頭を歩いている。山屋として強すぎる。お陰様で、初日はバテまくって楽しむ余裕の無かったイワウチワへも意識を向けることが出来、写真を撮る余裕があった。途中で東京のワンゲルだという大学生に抜かされた。良いなあ、楽しそうだなあ、と暖かい気持ちになった。その後もブナの新緑や山菜も楽しみながら、ゆったりと下山した。
下山後は、泥を落としてタクシーで野沢駅へ。帰りの列車に揺られながら、3人でリベンジを誓った。生きている限り、何度でもリベンジできる。
(総括)
今回の山行では、自分の弱さと小ささ、自然の厳しさ、そして優しさを真正面から受け止めることができた。そして何より、先輩のシーズンの〆にお供させて貰えてとても光栄だった。
雄大な山の中で自分と向き合い、社会人になってから閉じていた感情の蓋がズレて風が吹き込んだような、そんな山行だった。
まだまだ自分は弱く、山屋でも何でもない。これからもっと学んで、経験したい。そして、次のリベンジまでには、(藪を漕ぎながら鼻歌を歌えるような)強い山屋になっていたいと思う。
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