押野山〜継子落し
- GPS
- --:--
- 距離
- 5.8km
- 登り
- 513m
- 下り
- 457m
天候 | 晴れ(温) (春)霞 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
押野山のTV塔までは車が入る。押野山は安曇平を見渡せるビューポイントであり、桜(ソメイヨシノ)の大木があって春はお花見ポイントでもあるが、意外と知られていない。 押野山からはほとんど手入れされていない薮の被った林を北進するが、道はきわめてわかりにくいので高い所を目指して進むと、15分ほどで右手(東側)が開けて植えたばかりのヒノキの植林帯に出る。そこから808mのピークまで植林帯が続き、見通しはいいがつまらない道となる。 ピークを越えると山道になり、25分で小さな峠に出る。ここは池田町のクラフトパークから上がってくる道との交点で、ここからは田ノ入峠方面に向けては『東山丘陵尾根歩きの道』と名づけられた整備された道となる。 田ノ入峠の手前には塚ノ原古墳がある。 田ノ入城跡からすり鉢状の縁に沿ってシンボルピークの足元を廻り、ピークの先に出る道はなく、滑りやすくて危険なので一旦林道に戻って林道を下り、堰堤の先から登る方がよい。ピーク北側のすり鉢の縁にあたる場所は滑りやすい土質なので危険だが、そこから見下ろす奇観はお薦め。 継子落しから八代峠までは道の通りに進むと何の変哲もない道なので、尾根の一番高い所を進む方がよい。尾根にも道がある。途中から『夢農場』(ラベンダー園)の方に下る道があり、その道を下るとすり鉢を横から見ることが出来る。 |
写真
感想
安曇野の人達は、高瀬川流域に広がる扇状地を挟んで西側に衝立のように連なる常念山脈を西山と呼び、それに対して東側に細長く低く連なる500m〜1000mあまりの丘陵を東山と呼ぶ。
8年ほど前,その東山丘陵を大町市の鷹狩り山から押野崎まで歩くルートはないかと思いついて、末端である押野崎から池田町の奇勝継子落しまでの道を探して歩き廻り、その時初めて押野山と言う山があってそこが安曇野を北から一望できる絶好のポイントであることを知った。
初めは何処から取りつけばいいのか分からず、上押野と言う地区の神社から見当をつけて薮を漕いだり、農道の終点から崖のような所を遮二無二攀じ登ったりした末にようやく押野山のTV塔に辿り着くとそこまで車が入れることが分かり、県道から押野山に至る町道も分かって、その後は押野山を起点に尾根を通る道を探した。
押野山には人家もあり、果樹園や畑もあったが大半は放棄されて荒れ放題で、そこから続く山林もほとんど手入れされていない状態だったが、山林には必ず境界を見廻る道があり、それを示す標識もあって、大抵の場合,尾根は境界になっているので探せば踏み跡は容易に見つけることが出来た。
ただ人が頻繁に入っているか、長い間誰も入っていないかによって探しやすさと歩きやすさは異なるが、ほんの微か踏み跡でも人が歩いた形跡は消えないものである。加えて獣たちの足跡があり、彼らは毎日同じ道を行き来するので幹線道路のようなしっかりしたものがある。そもそもは彼らの道だったものを人間が都合よく利用していると言う方が正しいのだ。
そういう訳で押野山から北に向かう尾根道を見つけることはさほど難しいことではなかったが、長期にわたって人が入っていないと思われ、薮になって歩きにくかった。
とは言え尾根道は一番高いところを目指せばいいので楽と言えば楽で、北へ北へと進むうちに西側から上がってくる林道の駐車場に行き着いた。そこで一旦戻って車をその駐車場に廻し、そこから改めて北に向かって調査を続ける〜と言うようなことを繰り返して田ノ入峠に到達し、そこで初めて継子落しの奇観を目の当たりにした。
頭に松の木を載せ、天を衝く針のような鋭いピークのシンボリックな姿もさることながら、尾根を境に東側がスッパリと切れ落ちてすり鉢のように,あるいは蟻地獄のようになっている景観に驚き、かつそのような景観が継子落しと呼ばれるその場所を起点に、八代峠を越えて登波離橋と言う伝説の橋がある辺りまですり鉢の片側を並べたように延々と続いているのを見るに至ってすっかり魅せられてしまった。
また、調べて行くうちに東山の地層がアルプスから転げ落ちてきたもので、大峰山にその証拠となる岩石が露出している場所があることや、岩石の組成が礫を含んだものから泥岩を含んだ砂岩に変わるところから、現在の犀川が過去においては静かな入り江だったものと考えられ、継子落しや登波離橋の奇観は80万年前に起こったフォッサマグナの隆起の中で形成された大峰帯の隆起によって出来上がったと考えられていることなどがわかってきて興味はいや増すばかりだった。
この東側がすり鉢状に崩れた景観は、そのぎりぎりの縁を辿ることによってつぶさに見ることが出来るのだが、継子落しから八代峠に向けてつけられた道は縁よりやや下を通っているので、そこを漫然と歩いていたのではただの山歩きに終わる。
登山者たる者,高い方を目指す労を惜しむべきでなく、『縁の向こうはどうなっているのだろう』と言う好奇心を持って歩けば、崩れた縁のぎりぎりの所にもう1つの道があることが分かる。ただし、下がなくて庇のように突き出た薄い層に大きな木が乗っがかっているだけの所もあるので慎重を要するのは言うまでもない。
時間的に登波離橋まで行けなくはなかったが、今回は継子落しまでとしていたので八代峠まで足を延ばすに留めた。
以下・・・,
池田町の道の駅『ハーブセンター』に1台を置き、押野山に移動して8:58出発。押野山からしばらくは倒木や薮を潜り抜けて北に進むが、4年ぶりのことで細かな部分は忘れていて、何度か間違いを繰り返すうちにまったく記憶のない場所に出る。
一番高い方へと登りつめて進むと15分ほどで右手(東側)が開け、植えて2〜3年と思われるヒノキの植林帯が広がる尾根に出る。
右下に並走する林道はおろか植林帯そのものの記憶がなかったが、尾根が小さなコブを越えて下がり切った所で西側から上がってくる林道の駐車場に突き当った時点で、それがマレットゴルフのある公園からの林道であることを思い出す。今は東側に見えていた林道と繋がっているが、当時はそこが終点だった。
駐車場を越えて植林帯との境の尾根を進むこと20分ほどで808mのピークにさしかかり、そこで植林帯登林道が終わる。これから先も伐採して植林を進めるのだろうか・・。小休止して振り返ると植林帯はかなりの面積で、そのすべてがヒノキだけの単一樹種の植林帯だった。
その位置からは前日に歩いた光城山や長峰山がよく見えたし戸谷峰,二ツ石峰,けつだし山(入山),御鷹山,青木峠を隔てて大洞山,虚空蔵山に至る境界線の山々がよく見える。ただ四阿山と聖高原が霞んで見えず、ある筈のその位置を隔てて唐突に京ヶ倉が現れる。西山は蝶ヶ岳の南半分と長塀山以南を望むことが出来たが、前日よりも霞の影響が大きくて写真を撮ろうとしても焦点が合わずシャッターが下りてくれなかった。
10分休んで808mのピークを越えると右手(東側)に明科蜂ヶ沢の崩れを見、そこから先は林に囲まれたしっとりとした山道となる。その辺りで左後方から銃の音が聞こえ、先刻来,気になっていた先行者の足跡が猟師のものらしいと分かる。犬のものらしい足跡もあったし・・。冬場の薮山はこれがあるのが頂けない。
タヌキのため糞,テンと思われる小型肉食獣のものらしい糞,カモシカの足跡,図根点と言う初めて見る標識等を見ながら進んで20分余りで池田町のクラフトパークから上がってくる道にぶつかる。峠と言えるかどうか分からないが、すぐ下まで車が入れるし、東側に下る道もあるので往来があったものと思われる。因みに、峠の定義は歴史的に往来があったかどうかによるらしく、ただ単に猟師やゼンマイ採りがそこを越えたと言う程度では峠とは言わないそうだ。
そこからは『東山尾根歩きコース』と名づけられて整備された道となるが、ハイカーだけでなくマウンテンバイクを乗り入れることも許されていて、この日も雪の上に轍がくっきり残っていた。自転車ならいいが単車で入ってくる者もいて道がえぐられていたりすることがある。それは勘弁願いたいものだ。
稜線の右(東)側につけられた道を小気味よくぐんぐん行くと稜線から少し離れすぎたと思う辺りに上に向かう道があり、そこに登ると今度は西側がガレ落ちた縁に出る。この崩れた部分は池田町の県道からもよく見える場所であり、またその道をさらに北進すると大穴山と言う849mの三角点ピークがあって、そこからさらに進んで元の登山道に合流する辺りで塚ノ原古墳の標識にぶつかるのだが、そう言うディティールをすっかり忘れて直進したためにすぐに古墳の分岐点に到達してしまった。やはり高い所へ行くべしである。昔に比べて横着になっているようだ。
塚ノ原古墳は東に5分ほど下がった所にあり、こんもりと土が盛り上げられただけの小さな古墳で、こんな山の中にあるものをどうやって見つけたのかと思うが、実は古墳からまっすぐ下がった所が田ノ入と言う集落で、大穴大明神・泉福寺と言う立派な寺がある。人里離れてはいないし文献もあるのだろう。10分足らずで田ノ入峠着。
歩いてきた勢いで林道を横切って『⇒田ノ入城跡』と書かれた標識から壁のような崖を登ると『田ノ入城跡』と言う碑があり、そこが継子落しの南の端で、すり鉢のような崩れを真上から覗き込むことになる。落差100mはあろうかと言うそのすり鉢の表面からは、凍結が緩んで浮いた砂がひっきりなしにパラパラと落ちる音が聞こえ、ここから継子を逆さ落しにしようとしたと言う伝説が生まれるのも頷ける気がする。
継子落しの土柱はこの崩れた崖の縁の一画が崩れて、頭に木を頂いた部分が1ヶ所だけ細い柱のように残ったもので、西側の池田町の県道や東側の生坂村からもよく見えるシンボリックでユニークな自然の造形物であったのだが、惜しいことに頭の松が枯れ落ちてしまった。上に木があることでその形を留めているものなので、早晩崩れてしまうと思われる。貴重な財産を失ったものだ。
縁に沿って進み、本来は道ではない土柱の基部を通って北側に出ようとしたが、斜面の砂が凍っていてずるずる滑り難渋した。林道に戻って登り返した相方さんが先に着き、ここで昼食とする。
以下,後述
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する