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宝塔山古墳(ほうとうざんこふん)

最終更新:youtaro
基本情報
場所 北緯36度24分25秒, 東経139度02分18秒
カシミール3D
群馬県最大級の方墳であり、横穴式石室を持つ。石室内には家形石棺が安置されている

山の解説 - [出典:Wikipedia]

宝塔山古墳(ほうとうざんこふん)は、群馬県前橋市総社町総社にある古墳。形状は方墳。総社古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「総社古墳群」のうち)。
{| class=\"wikitable\" style=\"background:#ffffff;text-align:center;font-size:85%;\"
|+総社古墳群7基
!支群
!古墳名
!形状
!規模
!埋葬施設
!築造時期
!史跡指定
|-
|北||遠見山古墳||前方後円墳||墳丘長88m||竪穴式石室?||5c後半||国史跡
|-
|rowspan=2|南||王山古墳||前方後円墳||墳丘長76m||横穴式石室||6c初頭||市史跡
|-
|王河原山古墳?||前方後円墳|| || || ||(消滅)
|-
|rowspan=4|北||二子山古墳||前方後円墳||墳丘長90m||横穴式石室2基||6c後半||国史跡
|-
|愛宕山古墳||方墳||一辺56m||横穴式石室||7c前半||国史跡
|-
|宝塔山古墳||方墳||一辺66m||複室横穴式石室||7c中葉||国史跡
|-
|蛇穴山古墳||方墳||一辺44m||横穴式石室||7c後半||国史跡
|}
群馬県中部、榛名山東南麓・利根川西岸の前橋台地上に築造された大型方墳である。東には蛇穴山古墳が隣接する。1968年(昭和43年)以降に発掘調査が実施されている。
墳形は方形で、主軸は北から東に32度振れ、一辺66メートル・高さ12メートルを測る。墳丘は3段築成。墳丘外表には葺石が認められるが、埴輪は認められていない。墳丘周囲には幅18メートルの周濠が巡らされており、周濠を含めた古墳全体としては一辺102メートルにもおよぶ。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。截石切組積みによって構築された整美な大型石室であり、玄室・前室・羨道・前庭部からなる複室構造で、玄室中央には刳抜式家形石棺を据える。石室内面には漆喰の厚い塗布が認められるほか、石棺脚部に刳り込まれた格狭間には仏教文化の影響が認められる点で特徴を示す。古くから開口するため、石室内の副葬品は詳らかでない。
築造時期は、古墳時代終末期の7世紀中葉頃と推定される。総社古墳群では愛宕山古墳に後続し、蛇穴山古墳に先行する時期に位置づけられ、3基のうちでは最大規模かつ終末期の東日本においても屈指の規模になる。総社古墳群のうち愛宕山・宝塔山・蛇穴山の大型方墳3基は、前方後円墳終焉後の上毛野地方において他古墳とは一線を画する規模・内容であるとともに、宝塔山・蛇穴山の2基は総社古墳群の南西に所在する山王廃寺跡との間で石材の加工技術の共通性が認められる。畿内ヤマト王権との強いつながりを背景として、総社地域が古代上毛野地方(上野国)の政治的・文化的中心となり、上野国府・上野国分寺・上野国分尼寺の成立を導く過程を考察するうえで重要視される古墳になる。
古墳域は1974年(昭和49年)に国の史跡に指定された。

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