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1985年8月14日から16日にかけて、友人4人で上高地〜涸沢〜奥穂高の山行に出かけました。奥穂高岳は3190mあり富士山、北岳に次ぐ高さ三番目の大岩塊です。
当時関西に住んでいたので、車で夜通し走って長野入り、さらに電車とバスを乗り継いで上高地に着きます。
寝ぼけたまま歩き出して幕営予定地涸沢を目指しました。今思えば、上高地から涸沢は標高差800m程度しか無く、よく整備された歩きやすい道です。7時間程度の行程です。私は本谷橋を越えた後半は三歩歩いて休み、又三歩歩いて休むの繰り返しでした。若い割には根性なかったです。フラフラになりながらも昼過ぎには着いたと思います。
承知のように涸沢は国内有数の山岳景勝地です。映画「岳」でも撮影に使われていました。三方は穂高岳などの3000m級の山々に囲まれ、梓川が流れ去る東側だけが開けております。さらに東には三角形の均整のとれた常念岳が望めます。
地面は大昔の氷河が削りとった岩で覆われています。カール地形と云われる谷です。自動車ぐらいあるような大岩から、リュクサック程の岩、そしてピンポン位の小石まで様々な大きさがあります。全て角張っていて同じ灰色をしています。
涸沢は”オワン”の中なので日射が限られ、真夏でも大きな雪渓が残っています。私は初めて見る雪渓だったので、大喜びでした。上に乗ってはしゃいでいたら、山慣れた友人から「危ないから雪渓なんかに乗るもんじゃない」としかられました。
当日は夏休みの最盛期で素晴らしい晴天です。テント場はとても混んでいました。今は中高年登山者が多いですが、往時は若者中心です。何故か青色のテントが多いです。ヘロヘロになりながらもテントを建て、雪渓でビールを冷やして飲みました。このときのエビスビールは無上の味でした。TV番組のように表情や言葉で表されるうちはまだ大したことないですね。言葉が見当たりません。深い吐息だけです。私はエビスビールに良い方の偏見をもってしまいました。
100g150円程度の安物牛肉を冷凍して持参して、夕食は焼肉です。油は手元にあったオリーブオイルの小瓶を使いました。不自然な組み合わせですが、やはり至上の焼肉でした。以後結構な高級肉を頂く機会もありましたが、涸沢の150円肉には敵いません。
写真はエビスビールで乾杯の様子です。私も若いです。
翌15日早朝から奥穂高岳3190mを目指して日の出前から歩き始めした。
ザイテングラートという何故がドイツ語由来の険しい岩尾根を登り、まず穂高岳山荘のある稜線に出ます。
山荘から奥穂へ向かう取付きの辺りは、暫く急な岸壁があります。鉄梯子等が据付けられていて、注意して登れば危険はありません。小学生やご老人でも笑いながら登るほどです。
しかしながら、私にはとても恐ろしく感じました。情けなくも止めようとさえも思いました。自分が高所恐怖症だと初めて自覚しました。一人なら見栄もないので逃げ帰っていたかも知れません。
山頂は狭く岩だけで出来ていて、小さな祠があります。
二枚目写真は山頂です。
後ろにはジャンダルムと言われる岩峰が見えます。今思えば恥ずかしいいのですが、見栄を張って片足を振りあげています。恐怖の裏返しです。
往時より27年、齢五十を超え、間も無く初老と云われる年代に入ることでしょう。私が今も細々ながら山歩きを楽しむのは初回の感動が大きかったからです。あの感激と若き日の自分を追い求めているのかも知れません。
奥穂高には数回登りましたが、初回の感動は再現出来ません。
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