『陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ』
蔵王の麓、上山市出身の斎藤茂吉の歌。最高峰、熊野岳の山頂にこの歌碑がある。茂吉生前に建てられたもので、深田久弥の「日本百名山」でも言及されている。
熊野岳には先週の土曜日に登ったのである。飛行機で仙台に移動しビジホで一泊、翌朝レンタカーで仙台からライザワールドスキー場に移動して途中までリフトで上がり、無事ピークハント。その後仙台から青森に移動し二座続けて遠征登山を途中敗退し京都に戻った。
戻ってから歌碑の存在を知った。登る前に「日本百名山」の該当箇所くらい読もうよ・・・
2月の熊野岳山頂はごっそり雪まみれ。神社のオヤシロも白いオブジェと化しており、当該歌碑も雪に埋もれておそらく場所すらわからなかったと思われる。だが、「そこにある事」を知った上で頂を踏むのと、無知なままピークハントをこなして後から知るのとでは、やはり全然違うのではないかと思うのである。
山に登る=ピークハント、という図式は間違いではない。空港やターミナル駅からレンタカーで登山口まで行って登って降りて、ビジホに泊まって家に帰る。これを何度も繰り返せば、百名山の全ての頂に立てる日は来るだろう。
でも本当にそれだけでいいのだろうかと、百名山ハントも三分の二を超えた今になって疑問が沸いてきた。日本全国各地に山は聳えていて、その麓や山中には、様々な人々が山と共に生きてきた痕跡が刻まれている。「山に登る」という行為は、ワタクシ自身が「山と交感」する行為であると同時に、先人たちが山との間に築かれてきた関係性に分け入る行為でもある。そこには、一定の作法というか心構えが必要なのではなかったか。ワタクシの「登山」にその心構えはあったのか。
田中陽希さんではないので、全ての山を歩いて回るのは不可能。だが、今後は、移動効率だけ重視したピークハント活動は見直して、もう少ししっかり「山」と向き合っていきたいと思う次第である。
蔵王にはいつの日かもう一度登る。今度は山形に泊まる。茂吉の歌碑とも何らかの形で対面したいし、下山後は斎藤茂吉記念館にもぜひ足を運びたい。毎週水曜日は休館日だって気を付けるんだぜ。
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