最近、自動車の「自動車間調整」や「自動ブレーキ」など、
「自動」と銘打った先進技術が一般化しつつあるようだが、
これらは技術としては素晴らしくとも、
自動車を操縦する人間の能力を頽廃させる要因になるかもしれない。
それと同じようなことをお山にも感じていて、
登山道や道標の整備が進むがあまりに、
自身で現在地を確認するという根本的な能力が欠如したり、
山小屋の設備の充実が進むがあまりに、
登山に必要な最低限の装備を持参しなかったりした結果、
遭難につながるケースもあるだろう。
人間持つ技術が産み出したものは、人間の生活の補助ツールになるどころか、
産みの親である人間がそれらに引っ張られたり振り回されたり従属したりし、
やがては主体的に想像できなくなってしまう。
技術が先進すればするほど、
人間が本来持ち合わせているはずのものが後退するなんて、
何だか皮肉な話だ。
高速道路における自動車の運転では、
速度自動維持装置であるクルーズコントロールがあるととても便利で、
運転の疲れを大幅に低減させてくれるのは確かだし、
登山道を保全してくれる人がいるからこそ、
山小屋の設備が充実するからこそ、より安全に登山ができるのも同様だ。
しかし、そうした事実の成り立ちを忘れ、
もたらされたものをただ従属的に享受するだけになってしまってはいけない。
自分たちの頭で考え、行動して初めて、
それらは最大限の力を発揮するのではないだろうか。
そんなことを思う昨今。
山小屋の設備の充実。あるかもしれませんね。一般的にはいいことなのでしょうけど、本当の山の厳しさを忘れさせるような状況に恵まれ過ぎると山を甘く見てしまうかもしれませんね。私は山小屋泊はしないので状況は分かりませんが。
登山道の整備については有名どころの一部の登山道だけは維持されているのかもしれませんが、結構な数のルートは逆に整備されず放置状態で廃道化が進んでいます。本日私が登った長野県南部阿南町の丸山(1490m)もそんな山でした。ネット検索で時期が出てきたから大丈夫だろうと思ったらそれは数年前の話で、今は笹が張り出して雨で盛大に濡れた笹がはみ出した道でびしょ濡れになって登りました。別のルートは完全に笹に埋もれ、笹藪の中に文字が消えた道標がありました。
私の場合は藪山がメインで、単独行で道無き尾根を読図で歩くので(道があったら読図しないか)技能の維持ができているようです。たまにまともな登山道を歩くと楽でいいですね。こんな道ばかり歩いているとアクシデントでも無い限りは現在位置確認の必要性なんて感じないでしょうね。
こんばんは。コメントありがとうございます。
私も藪山メインで、小屋泊は稀ですし、
ソロ山行が専らですので、読図力を維持する機会には困らないのですが、
すれ違う他の登山者から、時々びっくりするような質問をされることがあります。
25000分の1の地形図はおろか、エアリアさえ持ち合わせていない人も、
それなりにいるんだなあと驚くばかりですが、
藪岩ルートから一般ルートに行くと、確かにものすごく安心しますね。
主に奥秩父や西上州エリアを歩きますが、
多くのルート?廃道?が藪に埋もれているのは確かですね。
近いところでは、飯豊連峰でかつて国体の山岳競技で使われて、
廃道となったあるルートへ沢から上がったところ、
太くて頑丈な藪だらけで踏み跡もほぼなくて二進も三進もいかず、
仕方がなく支流から元の沢に降りて戻ったことがあります。
アクシデントが起こらないようにするために
私たち登山者はいろいろと準備をしたり、
技能を磨いたり、心構えを抱いたりするものかと思うのですが、
現在地の確認であるとかは、要不要以前に、
登山靴やザックといった最低限の装備と同程度に重要なものだということが、
もっと効率的に周知されればいいなあと思う次第です。
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