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2012年09月07日 08:59お山の感想全体に公開

羽生丈二と島崎三歩の超人性 その3

その1 まえがき:各データ諸元
http://www.yamareco.com/modules/diary/19423-detail-39646

その2 羽生と三歩の足跡と現実の足跡
http://www.yamareco.com/modules/diary/19423-detail-39730

以下は、完結したばかりの漫画作品「岳」に関するネタバレが一部に含まれていますので、
最初に明記しておきます。






























【実在の登山家の経歴との照合】

その1、2でも少し触れているが、ヒマラヤでの高所登山は、
シーズンを概ね以下のように分けて定義する。
なお、パキスタン側に近い箇所(カラコルム山脈等)の場合は、
気候が若干異なるため、冬期を除いてはその限りではない。

4月〜5月頃:プレ・モンスーン期
6月末〜8月頃:夏期
9月〜10月頃:ポスト・モンスーン期
12月〜3月:冬期

http://weblog.hochi.co.jp/takeuchi/2010/03/post-ac14.html

6〜8月は雨期のため、高所では雪が多くて気温が高く、
雪崩のリスクも高いため、特に6〜7月は一般的には登山シーズンではない。
プレ・モンスーン期の登山が6月までずれ込む場合は、
撤退を余儀なくされることが多い。
8月も下旬になると、早い年はポスト・モンスーン期に突入することがある。
また、その2で触れたように、冬期登山は「BCを12月1日以降に出発」と定義される。
クリスマスの時期になると、ジェットストリーム(風速80m/s以上の爆風)が
標高8000mほどまで下がってくるため、人間が立ち入ることが許されなくなる。
そのため、冬期の登山は12月1日から12月20日くらいまでに行われる。

なお、本項の登山家一覧は、経歴に関しては、
各文献、インターネット情報を調査、まとめた上で掲載しているが、
選出基準はあくまで個人的な見解である点を、予めご了承されたい。

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1.Reinhold Messner ラインホルト・メスナー(イタリア) 1944年9月17日〜
実在の登山家で「超人」といえばまず最初に思い浮かぶのがこのひと。
1980年8月20日に、人類で初めて「エヴェレスト無酸素単独登頂」を果たしたことは、
世界登山史において「単独」=「BCから独力で登山」という定義を
確固たるものにした。
そもそも、14座ある8000m峰の「無酸素単独登頂」も、
メスナーが1978年8月5日に、ナンガ・パルバット(8125m)で最初に果たしている(※)。
そして、1986年10月16日に、人類初の8000m全14座登頂、
それもすべて無酸素で果たした。
また、1970年に自身初の8000m峰としてナンガ・パルバットに登頂した時は、
世界最大の壁であるルパール壁を乗り越えて登頂している。
(なお、その際に下降ルートの選択に失敗した末、
 同行した弟、ギュンター・メスナーが雪崩に巻き込まれて死亡している)

(※)
1953年7月にナンガ・パルバット初登頂を果たした
ヘルマン・ブール(オーストリア)も無酸素単独だが、
途中までパートナーがいたため(脱落)、いわゆる「単独」の定義上からは外れている。
なお、現在に至るまで、ナンガ・パルバットは冬期未登である。

2.Jerzy Kukuczka イェジ・ククチカ(ポーランド) 1948年3月24日〜1989年10月24日
メスナーに次いで、人類2人目の8000m全14座登頂者。
14座登頂までの所要年数8年は、現在でも破られていない世界最速記録。
14座中、7座が無酸素単独登頂で、10の新ルートを開拓、
4座(ダウラギリ、チョ・オユー、カンチェンジュンガ、アンナプルナ)は
冬期初登頂という偉業を成し遂げた。
メスナーの陰に隠れるが、その実力は存命当時世界最高と言われた。
島崎三歩が完登したローツェ南壁の単独登攀中、残り300mの箇所から墜落して死亡。

3.Yasuo Kato 加藤 保男(日本) 1949年3月6日〜1982年12月27日頃
人類初の3シーズン(プレ・モンスーン、ポスト・モンスーン、冬期)
エヴェレスト登頂を果たした。
1973年10月26日にネパール側の南東稜ルートから登頂。
ポスト・モンスーン期初登頂。
サウスコル(7890m)が最終キャンプで、強行スケジュールだったために時間切れ、
南峰の下(8650m付近)でのビバークを余儀なくされ、
その際に全足指と右指3本、合計13本の指を失う。
踵から爪先まで27cmあった脚は、右が20cm、左が19cmになり、
身体障害者手帳を受給する。
しかし、1年半後にはナンダ・デヴィ(7816m)に登頂、
1980年5月3日には、エヴェレストをチベット側北東稜から登頂。
人類初のネパール側、チベット側双方からのエヴェレスト登頂を果たした。
1982年12月27日、南東稜ルートから人類初の冬期エヴェレスト登頂を果たすも、
その直後に南峰直下で隊員1人と共にビバーク、消息を絶つ。
ジェットストリームに吹き飛ばされたと見られている。

4.Nicolas Jaeger ニコラ・ジャジェール(フランス) 1946年?月?日〜1980年4月27日頃
「幻のソロ・クライマー」と呼ばれるフランス人登山家で、医師でもある。
その記録を伝えるものは少なく、日本ではほとんど知られていないが、
存命当時はラインホルト・メスナーと並び称されるほどのクライマーだった。
山を始めたのは20歳過ぎと遅く、
8000m級の「勲章」を手に入れることはできなかったが、
ヨーロッパアルプスにおける数々の連続登攀最速記録を保有しており、
超人と呼ぶに相応しい経歴を有している。
また、高所医学が専門である彼は、自らの肉体を実験材料として、
1979年、南米ペルーのアンデス山脈内、標高6700m地点にテントを張り、
そこで約100日間に渡ってサヴァイヴァル生活を送ってデータを取ったという。
最期は、ククチカ同様、当時未踏のビッグウォールである、
ローツェ南壁の単独登攀中、残り300m付近で遭難死したとされているが、
遭難したと思われる日の前日、BC(5350m)のすぐ上、6000m付近を登攀している姿を、
アメリカン人カメラマンが撮影に成功している。
遭難したと思われる日には8000m付近で同じカメラマンに目撃されている。
これはBCから30時間足らずで8000mまで達している計算となり、
島崎三歩が登攀目標時間に定めた「35時間〜50時間」を
上回るペースだったことが推察される。
しかし、その夜に天候が悪化、1週間に渡って荒天となり、消息を絶つ。
現在も遺体は発見されていない。

5.Tsuneo Hasegawa 長谷川 恒男(日本) 1947年12月8日〜1991年10月10日
日本が世界に誇る伝説的なソロ・クライマーで、
「神々の山嶺」において、羽生丈二の宿命のライヴァルである、
長谷常雄のモデルとされる人物。
ヨーロッパアルプス三大北壁(マッターホルン、アイガー、グランドジョラス)全てを
世界で初めて厳冬期に単独で登頂したことで、その名が世界中に知れ渡った。
ジャジェール同様、8000m級の勲章を手に入れることはできず、
また、加藤保男がポスト・モンスーン期に登頂したエヴェレスト遠征では、
サポート隊員としての立場を余儀なくされた。
1983年以降、ヒマラヤ、カラコルムの山々にアタックしたが、すべて敗退。
キャリア前期の華々しい経歴に隠れがちだが、衰え行く肉体と闘いながら、
後期は高所の勲章を手に入れようと奮闘を続けた。
しかし、最期は当時未登頂のうちの最高峰で、
「魔の山」と呼ばれるウルタルII(7388m)で雪崩に巻き込まれて死亡。

6.Masaru Morita 森田 勝(日本) 1937年12月19日〜1980年2月24日
日本登山家の二大巨頭である加藤保男、長谷川恒男の後塵を拝し、
厳冬期のグランドジョラスで果てた孤高のクライマーで、
羽生丈二のモデルとされる人物。
幼くして母を亡くし、父が再婚後は飯減らしのために
千葉県野田の醤油工場へ奉公に出されるが、
その後戻り、父の手ほどきを受けて金型職人となる。
しかし間もなく登山にのめり込み、仕事より登山を優先したため、
職を転々としながら赤貧生活を送る。
所属登山会の南米遠征も、自己資金不足のために参加できなかったが、
1967年2月、所属山岳会の南米遠征と同時期に、当時厳冬期未登だった
谷川岳一ノ倉沢滝沢第三スラブ(通称三スラ)の登攀を成功させ、
その名が知られ始める。
1973年10月、日本のエヴェレスト遠征に参加、
南西壁隊の隊長として南西壁の世界初登頂を執拗に狙うも、荒天により断念、
(南西壁世界初登頂は、その2年後にイギリス隊によって達成された)
加藤保男率いる南東稜隊の登頂成功のみに留まる。
1977年8月には、日本のK2遠征へ参加するも、
アタック隊員の選出を巡ってトラブルとなり、
頂上目前にして造反してひとりBCへ下山。
この事件以後は山岳遠征隊から締め出される。
1978年2月、長谷川恒男がマッターホルン北壁に続き、
アイガー北壁の厳冬期単独登頂を果たしたことで、
次の狙いがグランドジョラス北壁厳冬期単独登頂であることを悟った森田は、
翌年2月に長谷川より先に厳冬期のグランドジョラスを制覇せんとひとり挑むも、
途中で墜落し、左脚、左腕、肋骨を骨折。その場でひと晩明かす。
全装備がデポしてある、25m上の小さなテラスを目指して、
翌朝から右手と右足だけの決死の登攀を始める。
ザイルにプルージック・ノットをし、結び目をザイルの上にずらしながら、
少しずつ身体を持ち上げていくという、宙づり状態での救助方法を応用している。
http://www11.plala.or.jp/hhf/intra/09.pdf
数時間かけて25mを登り切りその場でもうひと晩ビバーク。
更に翌日に救助されて生還した。
長谷川恒男はその2週間後にグランドジョラス北壁の厳冬期初登攀に成功、
エヴェレスト、K2に続き、栄光は森田の手元から逃げて行った。
三スラ厳冬期初登攀、K2での造反、グランドジョラスでの決死の生還という
上記3つのエピソードは、「神々の山嶺」にてほぼそのまま再現され、
森田が執拗にアタックした末に断念したエヴェレスト南西壁登攀は、
羽生が果たしている。
さらに翌年の2月、骨折した脚に金属ボルトとプレートが入ったまま、
自分の弟子と共にふたりで再度グランドジョラス北壁へアタックするも、
頂上直下400m地点から約800m墜落して死亡。
グランドジョラスに置き去りにされたままだった「忘れ物」を持ち帰ることは、
ついに叶わなかった。

7.Osamu Tanabe 田辺 治(日本) 1961年1月4日〜2010年9月28日
1993年12月のエヴェレスト南西壁世界初登頂を果たした群馬山岳連盟隊のメンバで、
2006年12月のローツェ南壁厳冬期初登攀では、自らが隊長として指揮し、
完登している。
(その2で先述の通り、南壁の完登後、最高標高点には達していないため、
 サミッターとしては認定されていない)
8000m峰全14座中、9座に登頂したが、その多くを難ルート、あるいは冬期という、
厳しい条件下で果たしている。
2010年9月、ダウラギリのノーマルルートで雪崩に巻き込まれて死亡。

8.Yasushi Yamanoi 山野井 泰史(日本) 1965年4月21日〜
世界屈指の経歴を誇る現役クライマー。
東京最西端の山間部地域である奥多摩町に住み、
身も心もすべて山に捧げる生活を送っている。
フリークライムからビッグウォールに転身し、様々な経歴を残すが、
中でも1994年のチョ・オユー(8201m)南西壁の無酸素単独初登攀、
2000年7月の前人未踏のK2(8611m)東壁に3度トライして失敗後、
2週間を経て続けざまにK2南南東リブ(支稜)からの単独初登攀、
2002年10月のギャチュン・カン(7952m)北壁単独登攀は特筆される。
ギャチュン・カン登頂後、ブリザードに巻き込まれて重度の凍傷を負い、
手足の指10本を切断した後もビッグウォール・クライミングを続けている。
右手は中指、薬指、小指、左手は薬指、小指がないが、
「山で死んでもいい人間がいる。そのうちのひとりがぼくです」
そう言い切り、現在も飽くなき挑戦を続けている。

9.Denis Urubko デニス・ウルブコ(カザフスタン) 1973年7月29日〜
日本での知名度は低いが、世界15人目の8000m全14座登頂を、
イェジ・ククチカに次ぐ9年間という早さで達成した、
現役世界最強クラスの高所クライマーであり、
ヒマラヤのビッグウォールにおいて新ルートを次々に開拓、
マカルーとガッシャブルムIIは冬期初登攀を果たしている。
2010年5月には、島崎三歩がこともなく達成した
ローツェからエヴェレストへの縦走に挑んだが、失敗。
現在はナンガ・パルバット冬期初登頂を計画している。
次項のウエリ・シュテックと共に、現役では双璧として聳え立つ。
俄かに信じがたいが、幼少時は小児喘息に苦しめられていたという。

10.Ueli Steck ウエリ・シュテック(スイス) 1976年10月4日〜
ヨーロッパアルプス三大北壁を世界最速で登った、
名実ともに現役世界最強フリーソロ・クライマーで、
ヒマラヤのビッグウォールにフリーソロの「スピード・クライミング」を持ち込んだ人物。
各々、早くとも2日かかると言われていたヨーロッパアルプス三大北壁登攀にて、
マッターホルンを1時間56分、アイガーを2時間47分、
グランドジョラスを2時間21分で登攀しただけでなく、
アイガー北壁完登後、頂上へ向けて稜線を軽やかに走り抜け、
世界中を驚嘆せしめた。



http://www.youtube.com/watch?v=OmGcRIIIxK8
シュテックの最速、最強たる所以は、
クライミングのために最低限必要と言われる
セルフビレイの道具(ザイル、ギアなど)さえも一切使わず、
クライミングにおける時間の浪費を極限まで排除した点と、
それを支える強靭な肉体、そして一切のミスなくルートを直線的に登り切る
驚異の集中力。
現在、ヒマラヤのビッグウォールへそのステージを移しつつあり、
既にシシャパンマ(8013m)南西壁をフリーソロで10時間半という
圧巻の速さで登ったのち、
その18日後にはチョ・オユーも連続で登攀するという記録を残している。
なお、エヴェレストも今年5月、南東稜のノーマルルートからの
無酸素登頂を果たしており、
デス・ゾーンにおける高い適性を見せている。
冬期エヴェレスト南西壁をフリーソロで登攀した羽生丈二、
ローツェ南壁を驚異的なスピードで登頂した島崎三歩に
最も近い力量を持つと考えられるクライマー。

11.Hirotaka Takeuchi 竹内 洋岳(日本) 1971年1月8日〜
日本人初、世界で29人目の8000m全14座登頂を果たした、
現役日本人登山家で最も輝かしい実績を残している人物。
ビッグウォールクライマータイプではなく、サミッタータイプ。
単独登頂は少ないが、アルパインスタイルを極力貫き、
14座のうち11座で無酸素登頂を果たしている。

12.Nobukazu Kuriki 栗城 史多(日本) 1982年6月9日〜
彼はビッグウォールクライマーではなく、
これまでに挙げた11人の登山家とはスタイルも大きく異なるが、
11人の登山家との対比という意味合いで述べることにする。
8000m峰3座(チョ・オユー、マナスル、ダウラギリ)に登頂している、
現在日本国内で最も著名な登山家の一人であり、
そのスタイルから議論の的ともなっている。
その理由は、その2に記した「無酸素」「単独」「アルパインスタイル」の定義からは
明らかに逸脱した、典型的な極地法スタイルによる登山であるにもかかわらず、
「無酸素」「単独」を自称しているためである。
マナスル(8163m)は「無酸素」「単独」で登頂したと自称しているが、
日本山岳会はその登頂を認定しておらず、
登山雑誌「山と渓谷」でも彼が自称する「無酸素」「単独」を
「その言葉に値しない」と評されている。

以下、当該文章より。
「栗城はここ数年、テレビで特番が組まれたり、自著を出版するなど、
 社会的注目度は高い。彼は「冒険の共有」というテーマで、
 自分の登山の様子を生中継してインターネットで配信している。
 ヒマラヤとは、エベレストとはどんな世界なのか、について、
 世間一般に向けて広く発信している点では評価できる。
 では、肝心の登山内容はどうか。彼は「無酸素・単独」を強調するが、
 実際の登山はその言葉に値しないのではないかと思う。
 (中略)
 人の登山を他人がとやかく言うべきではないのかもしれないが、
 彼は社会的影響のある人物であり、
 一般の人たちにヒマラヤ登山を正しく理解してもらうためには、
 もう少し厳密な情報発信が必要なのではないだろうか。」

羽生丈二の「エヴェレスト南西壁冬期無酸素単独登頂」と、
島崎三歩の「ローツェ南壁完登→エヴェレスト縦走」は、
恐らく現在の登山界で考えうる、
最悪、最難関のヴァリエーションルートに含まれる。
しかし、過去から連綿と続いてきた偉大なる登山家たちは
「不可能」と言われた数々のルート、条件をクリアし、
登山史を塗り替え続けてきた。
そのことを考えれば、現在でこそ所詮は漫画の世界内での
フィクションでしかなくとも、
上記で掲出した登山家の経歴を照らし合わせると、
少なくとも羽生の偉業については、
そう遠くない将来、現役、あるいは次世代のクライマーが果たすかもしれない。

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【参考文献(本文主題作品を除く)】
「残された山靴」 佐瀬 稔 著 ヤマケイ文庫
「狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死」 佐瀬 稔 著 中公文庫
「長谷川恒男 虚空の登攀者」 佐瀬 稔 著 中公文庫
「凍」 沢木 耕太郎 著 新潮社
「みんな山が大好きだった」 山際 淳司 著 中央公論新社
「ナンガ・パルバート単独行」 ラインホルト・メスナー 著 横山 文雄 訳 ヤマケイ文庫
「チョモランマ単独行」 ラインホルト・メスナー 著 横山 文雄 訳 山と渓谷社
「垂直の記憶 岩と雪の7章」 山野井 泰史 著 ヤマケイ文庫
「雪煙をめざして」 加藤 保男 著 中公文庫
「北壁に舞う 生き抜くことが冒険だ」 長谷川 恒男 著 集英社
「山と渓谷」 2012年3月号

<了>
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コメント

mtochさんこんにちはnotes
1、2、3と日記を楽しく読ませてもらいましたm(_ _)m勉強になりましたm(_ _)m
2012/9/8 1:44
こんにちは。
teteteさん、初めまして。
コメントありがとうございます。

私自身も、調べながら色々と勉強になりました。
当初、「岳」のほうは、ちょっと現実離れしすぎかな・・・
などと思ったものですが、
実際に調べてみると、強ちそうでもないことがわかったり・・・。

登山の様式も年々変化しているのでしょうね。
2012/9/9 14:38
プロフィール画像
ニッ にっこり シュン エッ!? ん? フフッ げらげら むぅ べー はー しくしく カーッ ふんふん ウィンク これだっ! 車 カメラ 鉛筆 消しゴム ビール 若葉マーク 音符 ハートマーク 電球/アイデア 星 パソコン メール 電話 晴れ 曇り時々晴れ 曇り 雨 雪 温泉 木 花 山 おにぎり 汗 電車 お酒 急ぐ 富士山 ピース/チョキ パンチ happy01 angry despair sad wobbly think confident coldsweats01 coldsweats02 pout gawk lovely bleah wink happy02 bearing catface crying weep delicious smile shock up down shine flair annoy sleepy sign01 sweat01 sweat02 dash note notes spa kissmark heart01 heart02 heart03 heart04 bomb punch good rock scissors paper ear eye sun cloud rain snow thunder typhoon sprinkle wave night dog cat chick penguin fish horse pig aries taurus gemini cancer leo virgo libra scorpius sagittarius capricornus aquarius pisces heart spade diamond club pc mobilephone mail phoneto mailto faxto telephone loveletter memo xmas clover tulip apple bud maple cherryblossom id key sharp one two three four five six seven eight nine zero copyright tm r-mark dollar yen free search new ok secret danger upwardright downwardleft downwardright upwardleft signaler toilet restaurant wheelchair house building postoffice hospital bank atm hotel school fuji 24hours gasstation parking empty full smoking nosmoking run baseball golf tennis soccer ski basketball motorsports cafe bar beer fastfood boutique hairsalon karaoke movie music art drama ticket camera bag book ribbon present birthday cake wine bread riceball japanesetea bottle noodle tv cd foot shoe t-shirt rouge ring crown bell slate clock newmoon moon1 moon2 moon3 train subway bullettrain car rvcar bus ship airplane bicycle yacht

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