もともと天狗岩のことをワレメキ(ヤマ)(破目(山))と呼んでいた。そのころ割引岳山頂にははっきりした名前は無かった。
このことは江戸時代後期の文人鈴木牧之の作品にも遺っているし、深田久弥もこれを引用している。
その後、山頂をワリメキヤマ(新編会津風土記)と呼びようになった。
ワリメキヤマを「割引山」と書くようになった。(明治の頃?)
その字を見て地元でもワリビキヤマと呼ぶようになった。
しかし、1等3角点の登録名は由来を考慮してか、ワリメキヤマとなっている。
昭和?の時代に、天狗岩の両側の割引沢もヌクビ沢も険しいので割引岳と呼ぶようになった。
戦後、観光登山が盛んになったこともあり、山名の整理が行われ、山と高原地図、ヤマケイなどでは語源を重視してか、「ワレメキダケ」と呼称した。
しかし地元及び新潟県内では漢字の通りで呼びやすい「ワリビキダケ」がずっと活きている。
小生は「ワレメキダケ」は言い難いのでせめて「ワリメキダケ」を使うか、地元で受けの良い「ワリビキダケ」を使っていこうと思う。
出典
「南魚沼郡史」、南魚沼郡、1971年
「日本山名事典」、三省堂、2004年
「新潟100名山+10」、新潟日報社、2020年
「塩沢町通史」通史編、2002年
「新潟県大百科事典」、新潟日報事業社、1977年
「新潟県の地名」、平凡社、1986年
ついでに、
巻機山は長い間「巻機山のブサ」(ブサは白桧のこと)と呼ばれ、「巻機山」の一部分で「ブサの森の所」の意味だった。
巻機山本体は現在の「南入の頭」、以前は「神字入の頭」あるいは「神字山」と呼ばれていたが、更にその前は巻機山だった。
因みに地元南魚沼市の旧塩沢町からは割引岳と巻機山は見えず、南入ノ頭付近だけしか見えないので、そのあたりを指して巻機山と呼んでいた。従って現在の位置を「巻機山」と呼ぶようになったのは、江戸時代後期以降になって地元以外の者が頻繁に入るようになってからと思われる。
それから巻機大権現の伝えによると、巻機山の神体はコノハナサクヤヒメ、牛が岳の神体はオオヤマツミとのこと。
ついでに、南魚沼地域がヤマト朝廷の勢力圏になったのは7世紀中ごろ「越」の国」、その後「越」が越前・越中・越後に分かれ、その後南魚地方は越中(今の富山県)から越後に編入されている。・・・平安時代に藤原氏から別れた上杉氏による関東管領の勢力下になり、戦国時代の長尾氏、そして「天・地・人」の時代へと続いていく。
ありがとうございます。最近あまり頻繁に見ていないので、お返事が遅れてしまいました。私の情報源も一般市民として、しかも山間部に位置する図書館の一部の資料を見ただけなので、まだまだ関連情報があるかと思いますが、参考にしていただき光栄です。
素人ながら、巻機山や割引岳に長年親しむ者として、NHKのTV番組で山岳ガイドが「わりめき」を連呼しているのに違和感を覚え、調べています。
国土地理院の関東地方測量部の閲覧室に行き、古い点の記を見たら、明治28年からずっと「ワリビキダケ」となっていました。「われめき」が由来する北越雪譜は青空文庫で記載が確認できたのですが、「わりめき」の由来である新編会津風土記については、会津若松市デジタルアーカイブで当該記載を見つけることができました。
お陰様で、Wikipediaの割引岳を書き直すことができました。重ねてお礼申し上げます。
巻機山への尾根道ルートと割引岳の沢ルートと二回の番組でしたが、どういう訳か二度とも天狗岩を一切出さず、ひたすら「われめき」連呼だったとの印象です。
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