2月28日、曽野綾子さんが亡くなられました。
私のブログのタイトル「それぞれの山頂ものがたり」は曽野綾子さんの著書「それぞれの山頂物語」から(無断で)いただいたものです。
このブログはyahoo!のサービス終了に伴って消滅しましたが、外国のサイトにRSSingされていて文章が残されています。
私のホームページの「やま旅・はな旅 北海道」のサブタイトルとした「The days after analysis」は、曽野綾子さんの文章中からいただいたもので「社会の責任から解放された者の日々」というような意味合いが含められています。
https://yamatabi-hanatabi.com/
私が持っている曽野綾子さんの著書の一覧です。
農業をやるようになってからは暇がなくなりホームページを更新していませんが、リストに載せていない本も多数あります。
https://yamatabi-hanatabi.com/books-sonoayako.html
曽野綾子さんについての私の思いを以前に書いていますので、お読みください。作品の中には、しばしば人生を登山に見立てて書かれている部分があります。↓
人生の羅針盤のような方でした。
曽野綾子さんと直接関係はないことですが、某地方自治体のボランティア活動を行っているときに、若い学生さんをペルー大使館に赴かせ、曽野綾子さんが保護されたペルー・フジモリ大統領の義弟であるヴィクトル・アリトミ元駐日ペルー大使と直接お話しをさせていただくことができ、講演を引き受けていただきました。
〜〜〜(過去の私のブログの記事から)〜〜〜
曽野綾子さんは、1931年9月17日生まれ、今年(2016年)87歳になろうとする人生の大先輩である。はやりのネットで「曽野綾子」と検索すると「曽野綾子」批判の記事ばかりが目に付く。それはなぜか。87歳になるというのに自身の思想・信念を曲げないからであり、みんなが言えない本音を言ってしまうからである。そしてその本音を言い当てられた反「曽野綾子」派が、己の心を見透かされまいとしてきれいごとを言うからに他ならない。
2000年、(日本との二重国籍者とみなされる)ペルーのフジモリ大統領が事実上日本に亡命した時、手を差し伸べて住居を提供し庇護に当たったのは曽野さんであり、第一次安倍内閣で首相が心ならずも総理の座を離れなければならなかった後も失意の中の元首相との親交を断たなかったのも曽野さんである。
週刊誌、新聞、著書、講演、テレビ出演の媒体で見聞きする発言、思想、信条中、違和感を感じたのはほんのごく一部のことだった。その発する言葉を直接見聞きすれば、短絡的な「曽野綾子」をするものは、いずれか己が不明を恥じいるときが来るのであろう。
世の中の多くの人は自分の意見を敢えてひけらかすことをしないのが大多数だろう。反「曽野綾子」派の意見がネット上でも、新聞でもそして佐高信の対談本「曽野綾子大批判」のように、レフトウィングの人たちの批判の対象になりながら、曽野さんの本が2015年の年間ベストセラーの上位に入っているということに、人権派を標榜する人たちはほぞを噛み地団太を踏んでいることだろう。(トーハン・総合ランキング 9位「人間の分際」、トーハン新書ノンフィクション部門2位「人間の分際」、日販総合部門9位「人間の分際」)
外国人介護職労働者の受け入れについても、曽野さんは普通の社会生活を送る人の目線で発言しているので、これからも人の本音を余すことなく代弁していただきたい。
〜〜〜
何冊も本を読んでいます。
好きな人です。
残念です。
曽野綾子さんの本は集められるだけ集めて置こうと思っています。
山にも行けなくなる、畑仕事も難しくなったら、日なたで読み尽くしたいと思っています。
曽野さんの考え方で、「それは違うのでは?」と思ったのは、たった1回だけです。
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