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曽野綾子さんがお亡くなりになられたことは日記に書きました。
在職中は、多々困難なことがあって退職するまで顔面神経痛に悩まされたり、少し緊迫する場面が続くと眼の周辺がぴくぴくしていたものです。また、十二指腸には3つの穴の跡が顕出され、先生は「勲章ものだ。」とおっしゃっていたのでした。そんな状態でしたから、厳しめの登山を日高の山に求め無我の境地で歩くことで心を静めていたきらいがあるのです。
2012年10月、5日間の日程で北海道に渡り、うち3日間を日高の山で過ごしました。この時に山に持って行った本は曾野綾子さんの「火山列島」です。幌尻岳の頂上で読もうとしたのです。(山に行くときには本を必ず持って行きます、藪漕ぎの山以外は。)
https://yamatabi-hanatabi.com/horoshiri2012-1.html
(画像2は幕営地の「北戸蔦別岳」でのもので、手前の緑のテントはその後エサオマントッタベツ岳〜カムイエクウチカウシ山へ縦走の縦走を相談した方のもの)
幌尻岳から戻り七ッ沼を見下ろす斜面でコーヒーを飲んでいたところ、お隣のテントのCさんと親しくお話しすることになりました。Cさんの日高山脈への想い、難関ルートの縦走への決意をお聞きするに至り、東京に戻ってから飲みながら話すことになったのです。この方は、1回目は札内岳分岐からカムイエクウチカウシ山へ向かって最初のピークの1751m手前の急斜面の藪でルートを見失い先に行くことがかなわず下りて来たのでした。(画像1)
そのころ、TBSテレビから「曽野綾子さんの本をたくさんお持ちであることをオームページで知った。なぜ曽野さんなのか、インタビュー取材をさせてほしい。」との申し出があったので、取材の段取りをお任せしたのでした。
Cさんが縦走に再チャレンジするということで、私が3回の縦走で使った国土地理院の細かい書き込みがあるものをお渡しすることとし、それに沿ってアドアイスするために飲み屋に行ったのです。
そのような楽しい、うきうきするようなときにTBSから、取材はなしにするという電話が入ったのでした。普通なら無礼者めと切り捨てるところなんですが、ここで怒ったら楽しい酒も台無しになることから、大人の振りをして「あ〜、そうなんですか。」で終わることにしました。
ところでCさんはエサオマントッタベツ岳からカムイエクウチカウシ山へ縦走を無事終えられました。
みなさまもチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
人生がほんの少しいい方向に行くかもしれません。
俺も本派です。
本には、ネットでは得られないものがたくさんありますね。
山に行くにも手放せないのが本です。
山の自由時間で本を読むのが性に合っているようです。
山もよし、山で本を読む時間もよしですね。
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