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https://yamatabi-hanatabi.com/yadake2011.html
にある。
そのころ、同じ時期に奥多摩界隈の山を歩いていた人が結構いて、ビバークしている人の記録も複数あった。それぞれの考え方があろうというものだ。
ちなみに2011/3/11は、私の退職記念の送別会が予定されている日で職場にいた。身の処し方が分からないその周辺にいる1000人をゆうに超える人々の屋外避難の誘導を職友とともに行っていたが、トップたちは身支度を整え、コートを着て、ビジネスバックを抱えてちゃっかり家に帰ろうとしていた。
原発事故での放射線が奥多摩の山で県検出された量の健康への影響はないとはいえる立場にはないが、この程度でどういったことはないだろうと高をくくった。
「酉谷山避難小屋に1年間滞在したときの放射線被ばく量(推計)」
https://yamatabi-hanatabi.com/toritaniyama-survey.html
翌年の2012/1/28の日の出前、暗いうちから私は南三陸町(旧歌津町)の浜で海を眺めていた。わかめ漁師のお爺さんは私に、わかめの放射線量が心配だと話した。私には応えるすべがなかった。
この日、浜の気温はマイナス7度だった。ドラム缶の火が、十分すぎるほど私の体を温めてくれた。
「南三陸シーサイドパレス」
https://yamatabi-hanatabi.com/seasidepalace2012.html
(28歳のとき、定年後の永住の地を縁もゆかりもない太平洋が見渡せる丘に決め住宅地を購入していた。津波はその宅地の近くの国道まで到達していた。)
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