山に学ぶ(その2)
私は20代の頃、生死を分けた事故を二度ほど経験した。その第1回目は黒部川奥の廊下を遡行していた時のことである。前日雲の平でテント泊し高天原あたりまで偵察に出かけた。ところが持参したザイルを無くしてしまったのである。不思議な事にどこに置き忘れたのかさっぱりわからない。結局、翌日はザイル無しで遡行することになった。沢登りだからもちろん道はない。川の流れに逆らって登るだけである。広い川原があれば、そのまま歩けるがなければ、着の身着のままで川を渡ったり(渡渉)、岩にしがみつきながら登るのである。そのような状況の中で、黒部川の最初の渡渉地点に出会した。川幅は10m以上でもあったろうか、水の流れを見てもそれほど急でもない、川底もきれいに見えている、これならザイルなしで十分渡れると判断して最初に川の中に入った(メンバーは4名)。腰のあたりまで浸かって足元を確かめながらそろりそろりと歩いていると、突然足をとられて仰向けにひっくりかえりそのまま流されてしまった。その瞬間、体は水中に沈みこんでしまった。無我夢中で起き上がろうとするが、どうにもならない。まさに流されるままであった。
ところが、沈んだはずの体が水面上に浮かび上がったのである。すかさず「助けてくれー」と叫んだものの、残りのメンバーも手の下しようもない。そのうち再び沈んでしまった。溺死するのは1回浮いて再び沈んだ時という話が無意識のうちに頭に過(よぎ)った。あーこれで自分もダメかと半ばあきらめの境地に。ところが幸いなことに背中に背負っていたザックが川の中の岩にあたって体が止まったのである。それこそ必死になってもがいていると何とか立ち上がることが出来たのである。まさに天の助けというより他になく、その後は無事川向こうへ渡り終えることが出来たのは言うまでもない。
現在(いま)、振り返ってみればザイルを無くしたことも不覚であったが、それこそ一つ間違っていると下流にある黒四ダムの土左衛門になっていたのではないかと思うとぞっとする。ザイルで体を結び合っておれば、残りの仲間がザイルをたぐり寄せば少なくとも流されることは食い止められていたはず。沢登りに限らず危険な場所にはザイルが必要なことを身を持って思い知らされた一コマであった。 )
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