山に学ぶ (その3)
今から40数年前、小豆島にある拇(おやゆび)岳(高度差約100m)で岩登りをしていた時のこと。最後のピッチにさしかかり、煙突(チムニー)状の岩を突破しようとしたその時、岩に打ち込んであったハーケン(岩釘)が抜けて20m近く滑落した。岩にぶっつかりあいながら、運良く岩場の途中にあったバンド(岩棚)で止まった。
この間わずか数秒間ではなかったかと思うが、滑落の最中、今まで自分が歩んできた人生が走馬燈のように駆けめぐり、長い時間のように思えた。バンドに止まっても意識はあったが、体にからみついているザイルを無意識に取り外そうとした。すると後から登ってくるはすのパートナーが「何をしているんだ、(外すと危ないから)そのままにしておけ」と大声で叫んだ。それもそうだ、ザイルを体から外してしまえば、やっと止まった岩から再び落ちてしまう。それは死をも意味する。
なんとか、自分がやっている事の意味が分かってじっと待っているとパートナーが助けにやってきてくれた。
その後なんとか無事に岩場の取り付きまで降ろされたものの、今度は自分がどこか遠くの世界へ吸い込まれて行くような気がした(それは針のような小さな穴に吸い込まれて行くような感じだった)。そのまま吸い込まれると二度と再び戻ってこれないのではないかと思い、「行くな、行くな」と自分に言い聞かせながら必死で食い止めた(これが世に言う三途の川だったかも知れない)。
後から振り返ると、その時はまだ自分に生きたいという強い願望があったのかも知れない。この無意識の願望があったからこそ生き延びる事が出来たのではないかと今では思っている。
その後即席の担架で病院へとかつぎ込まれた。頭を打っている(ヘルメットはひび割れしていた)とのことでレントゲンを撮った。結果が思わしくなかったのか付き添いの人にしか教えない。
いずれにしても頭を打っているので一晩入院の必要があるとのこと。おそるおそるベッドに横たわるが中々寝付かれない。もし眠ってしまうと永遠に起きる事が出来なくなるのではないかと言う不安がつきまとい眠るのが恐くなったである。
ところがいつの間にか眠ってしまい、翌日はいつもと同じように目が覚めた。すると自分の存在に気づき生きていることの有りがたさがしみじみと分かってきた。
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