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画像1:パンテオンスキー場全景
画像2:現在のスキー場跡地。黄色の線は登山道。
高度経済成長期、首都圏から比較的近い上信越に次々とスキー場がオープン・拡張されていった時期です。とはいえ、当時は新幹線も高速道路も無く、往復だけで相当の時間がかかってしまう…というわけで東京から日帰りできる場所にスキー場を作ってしまったようです。
場所は表尾根登山道の入口近く、菩提峠駐車場の奥に樹木の無い斜面が広がっているところで、「菩提パンテオンスキー場」という名称でした。現在は岳ノ台方面からの登山道が跡地の縁を回り込むように通っています。
小田急の秦野駅からスキー場までは、ヤビツ峠経由のバスで1時間半ほどかかったはずです。県道70号線は未舗装の時代、クネクネの山道を揺られてようやく辿り着いたスキー場は・・・跡地の範囲と地形図から推定するとゲレンデトップの標高780m、最大滑走距離100m、高低差20mでごく小規模だったようです。
昭和41年の冬に開設されたものの、やはり丹沢では積雪が足りなかったのか1シーズンだけで閉鎖されてしまいました。南関東(東京)の過去の降雪状況を調べてみると、昭和41年冬はゼロ、昭和42〜44まで毎年20センチ以上の最大積雪となっているので、開設されたタイミングも悪かったのでしょう。
1シーズンで閉鎖されてしまっては写真も残っていないかと思いましたが、なんと秦野市の山の日イベントで当時の写真が掲載されていました。
http://www.kankou-hadano.org/hadano_topics/topics_2016/topics_20160726.html
写真を見ると直線状の1コースのみでリフトは設置されていなかったようです。右上の少し高い場所は、将来滑走コースにする予定だったのかも?
積雪はせいぜい10センチ程度と思われますが、驚いたのはそれなりに客が入っているところです。リフトが無いのでコースの両端に登っている人の姿も写っています。ネットでリアルタイムに積雪量が分かる時代ではなかったので、物珍しさに釣られて出掛けた人も多かったかもしれません。
そういえば自分が高校生だった頃、通っていた学校の近くに屋内スキー場がオープンして学校の帰りに制服で滑りに行ったのを思い出しました。でも何度か滑ると単調なコースに飽きてしまいました。やはり、雪国の広いスキー場で滑るのが一番なんですね。下のマップはスキー場跡の位置です

4回ターンしたら終了ですね(笑
ビンディングも無いし、子供の頃はこんな感じでした。歩いて登るのも普通でした。
もし、今の時代でも営業していて雪が付いていたら、板担いで小田急線に乗って行ってみたいです。
確かに、滑り出したらすぐに下に着いてしまいますね。
当時は「通勤電車で行けるスキー場」として画期的だったのかもしれませんけど、リフトも無いし3本も滑ったらビールを飲みたくなりそうです
残業と称して、またこのようなマニアックな情報を
調べて日記で公開されるとは
1シーズンだけの営業年に生まれてなくて残念ザウス
私がこの夏、藪こぎした塔ノ台辺りだったとは
そろそろ霧氷の季節がやって来ますね
パンテオンスキー場が1年だけ営業していたのはL姐さんが生まれるずっと前の出来事ですよね
この日記、3か月前に原稿は完成していたのですが、季節外れだったので公開せず放置プレー状態でした。残業王などという不名誉な称号は早く返上したいっす
by 午前様
こんにちは。
なんと、かつて奥武蔵にもあったのです、スキー場が。場所は秩父の少し手前(正丸あたり)のようです。昭和10年とあるのでかなり昔ですね。こちらも数年で閉鎖されたようです。
http://www.city.hanno.saitama.jp/0000007967.html
では。
奥武蔵にも天然雪のスキー場があったとは
雪不足ですぐに閉鎖されてしまったあたり、丹沢のスキー場と背景が似てますね。バブルの頃にできた屋内スキー場も数年で営業を終了しているし、歴史は繰り返すの言葉を思い出しました。
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