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しかし、今となっては、健在であったあの山頂がどの様な状態であったのか、記憶は全く無し、写真も一枚も無し。
2019年10月に、削られる前の写真を、ネットやヤマレコ会員さんの過去レコ等で色々と調べてみましたが、山頂での人物を中心にした記念写真は有るものの、山頂付近の風景写真は殆ど有りませんでした。
ところが、このコロナ騒ぎのお陰で、ヤマレコでは、過去記録を一覧表に載せていただけることになった。それにより、古い武甲山の記録がアップされて、その中に凄い山行記録が出現しました。
それを含めて、山頂付近の貴重な3枚を紹介します。
■写真説明
左:1969年11月26日(昭和44年)
削られる前の武甲山山頂風景。小さな祠と参座同定盤が有る。
※横山厚夫氏撮影
中:1979年5月3日(昭和54年)
削られる前の武甲山山頂風景。この写真は何か衝撃的ですね。
西尾根の方向から撮ったものと思われる。
この3日後に山頂付近は入山禁止になったとのこと。
※埼玉新聞より(ヤマレコ会員mriさんが検索)
右:1979年5月3日(昭和54年)
削られる前の武甲山山頂風景。中の写真と同日に撮影。
山頂から西尾根方向を撮ったものと思われる。
※ヤマレコ会員bukozanさん撮影
■ヤマレコ会員bukozanさんの記録
【過去レコ】武甲山(1304m)の昔の山頂(1336m)に登れた最後の日
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2309762.html
■私の過去記録(古い写真を多数掲載)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1204780.html
始めまして
2枚目の写真凄い人ですね
昭和47年7月17才一人で妻坂峠から今は地図にも載らない寺跡コ−スで武甲山を目指しましたが途中で道が怪しくなり高校生の力量では危険と感じもと辿った道を引きかえました。
その後武甲山に登ったのは山頂が下がった後です。
皆野町の男岳、女岳、西上州の叶山も登る前に採掘されてしまい残念です。
毘沙門山こと白石山も採掘がはじまり無くなるのは時間の問題でしょうか・・・
コメントありがとうございます。
2枚目の写真、もの凄い光景ですよね。
私もこの写真を見た時は、「何だこりゃ〜ッ!」と驚きました。
この先、もう登れなくなると思うと、こうなるんですね〜。
それにしましても、昭和47年7月時点では、削られる前の1336mの山頂でしたので、それは残念でしたね。
ですが、高校生にしましては、冷静な判断をされてますね。
しかし、あちこちで採掘がされているんですね。
それだけ、コンクリートの需要が有るということなんですかね。
山好きの者にとっては、残念なことですが。
特に武甲山については・・・。
初めまして こんばんは
僕の義父が昭和35年に武甲山に登ったことを書いた日記です(↓)
55年前の武甲山での登山スナップ
https://www.yamareco.com/modules/diary/61158-detail-106899
写真は人物スナップのみで恐縮ですが、参考まで…
はじめまして。コメントありがとうございます。
義理のお父様は、私と同年代の様ですね。
私が武甲山に登ったのが、昭和34年11月ですので、義理のお父様は、私の約1年後に登られたということになります。
それでいて、写真が残っているというのは凄いです。けっこう裕福な生活をされていたのではないか、と思ってしまいます。
しかも、記録もきちッと残されているようで、几帳面なお方の様ですね。
kedama_hさんの日記に「ま、本人は登山自体のことは全く覚えてませんでしたけど(笑)」と書かれていますが、私も同様「全く記憶にございません。」です。
また、良い写真が見つかりましたら、日記等でアップしていただけましたら有難いです。
raku-inkyoさん おはようございます
miketamaです
本日は、横入りデス
↑
昭和47年7月にtenさんが妻坂峠から少し行った所を北側へ進む『寺跡コース』に挑まれていたことに反応しました!
これはraku-inkyoさんもお求めになった昭和36年発行ブルーガイドブック『奥武蔵と比企丘陵』にも、武甲山へ登る8コースの中に紹介されていました。
寺跡名は『秩父山金玉寺跡』です。
急斜面を等高線に沿って道は続いている、
樹林中の道は割合はっきりしている、
小持沢の源流を渡ると道は尾根伝いに下ると生川からの道と合流する、
と
書いてあります。
で
昭和48年度発行の山と渓谷社
『アルパインガイド36 奥多摩・奥武蔵・陣馬高原』にも地図として記載はされてはいるのですよ(但し小道)。
tenさんが撤退したとは掲載されていたのに、よほど荒れていたのでしょうね!
編者の横山厚夫さんへ抗議のお手紙を書かなきゃ(笑)。
数年前に『寺跡コース』の存在を知って、見に行った事があります、
もしかしたら行けるかも……
寺跡から見える道は幅も広く、
確かに道があった、
と確認はしました
が
黄色い立ち入り禁止テープが張られて、落ちた枝や伸びた木々の葉で荒れ果てていました。
きっと沢が美しかった道だったことでしょう
ヤマレコ内で武甲山へのこの道をtenさんが体験されていた事に、とても嬉しい気持ちと驚きでraku-inkyoさんの日記なのに侵入失礼しました!
もしかして、miketamaさんは、奥武蔵を研究している学芸員とかではないですよね。
私は、ten-no-kiさんの「寺跡コースで武甲山を目指しました・・・」に対して、昔はその様なコースが有ったんだな〜、という感じで軽くスルーしていました。
しかし、miketamaさんのご指摘通り、昭和36年発行ブルーガイドブック『奥武蔵と比企丘陵』に「武甲山寺跡コース」が詳細に載っているんですよね〜。
そして、miketamaさん自身が、見に行ったとは、凄いです。ヤッパリ、学芸員だったのですね〜。
「寺跡名は『秩父山金玉寺跡』です。」とのことですが、学芸員様、ちょっと待って下さい、‟玉”ではなくて、‟王”が正しい様ですよ。
余計なことを言ってすみません。
ところが、昭和32年発行の国土地理院の旧版地図には載っていないんですよね。
また、現在の国土地理院の地図にも載って無い。
今となっては、幻のルートということですかね。
ところで、「横入り」とか「侵入」とか、全く気にしていません。
非常に興味深いコメントに感謝です。ありがとうございました。
手持ちの資料を見ましたが、2枚目の写真は今の第2展望所の少し北にあった旧御嶽神社跡から撮影した東方向に延びていた山頂だと思われます。
元の山頂は今の第2展望所から東に250mのところです。
3枚目は山頂付近から現神社方向を写していると思われ、左隅の茂みが今の神社付近のようです。
図書館に行くと「秩父武甲山総合調査報告書」があると思います。
いろいろ参考になる資料が載っていると思います。
ウチに地質編の分冊があるので、その航空写真から判断しました。
コメントありがとうございます。
旧山頂付近のこと、大変お詳しいようですね。
私は、旧山頂付近の位置関係が、イマイチ分かっていません。
御嶽神社も移動しているんですね。
早速、「秩父武甲山総合調査報告書」を調べてみたいと思います。
‟地質編の分冊”、‟航空写真”・・・参考になります。
貴重な情報をありがとうございました
たびたびお邪魔します。
古い記憶のかなたでコメントしましたがチョット内容が違っていたようです
古い登山日記を久々に見ました。今もある山渓の付録
昔はチャンと記録を着けていた・・・今はタイムも付けない
今考えるとバスの時間が分からない名郷へは戻らないかな
改めて日記を引っ張り出しました。
みじめな敗退でした
(感想)夏草に覆われる寺跡に11時55分に着いた。
マメができたので武甲山はあきらめた。
草がぼうぼうで少し苦労した(ルートファインディング)
今度行くときは冬がいいと思う。
電車490円バス160円
生川経由で横瀬駅に下山したようです。横瀬着14時
誤っていたので訂正お詫び致します
『古い登山日記を久々に見ました。今もある山渓の付録。昔はチャンと記録を着けていた・・・』
さすがに、ten-no-ki(点の記)さん、お名前の通り、きちっと記録を残されているのですね。感想まで書いているとは・・・。
それに比べて、私の登山日記は、無残なものです。
そこで、几帳面なten-no-kiさんに、お願いが有ります。
出来ましたら、この武甲山の過去記録を作成していただきたいものです。
題名は、例えば「武甲山・寺跡コース(昭和〇〇年)」といった具合で・・・。
ルートは、私の2021.3.9アップの日記「昭和30年代の武甲山・・・その1:削られる前の‟地図”」の右側の地図をコピーし、プリントアウトして、それに赤鉛筆等で通ったルートを書き込み、それを写真撮りするか、プリンターでスキャンするといった方法も有るかと思います。
また、写真が有りましたら、言うこと無しです。どんな写真でもOKです。
尚、過去記録ですと、最新の一覧表には載せてもらえませんので、日記をアップして、それに過去記録のアドレスを書き込めば宜しいかと思います。
そうそう、日記だけで済ます方法も有りますね。
如何なものでしょう。御一考の程、お願いします。
この写真見たいがために蕎麦食べに行くこともあります。
コメントありがとうございます。
武甲山がお好きなんですね。
「ちちぶ屋」さんをネットで調べてみました。
店内に掲示している武甲山の写真を、ようやく見つけました。
天井近くに掲示されているモノクロ写真ですよね。
たぶん、昭和20年頃の写真ではないかと思います。
それにしましても、さいたま市から秩父市まで、この写真を見たいが為に、わざわざ行かれるとは、半端ない‟武甲山愛”ですね〜〜〜ッ
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