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2019年06月04日 00:18歴史全体に公開

スロバキア(世界遺産 スピシュ城)

スピシュ城、月初めの日曜日は入場料無料という事でいってきました。
(通常は6€/大人)
中央ヨーロッパで一番の大きさを誇る要塞です。
欧州も当時モンゴル襲来で大変だったんだ、
と同時に当時のモンゴルは凄かったんだ。と歴史を感じてきました。

1枚目、2枚目:スピシュ城
1209年(日本は鎌倉時代)にモンゴル襲来に備えて建造が始まった。
1780年(日本は江戸中後期田沼時代)に火災で焼け落ちた。

NHKによるスピシュ城紹介動画(英語)
https://whc.unesco.org/en/list/620/video

スピシュ城(英語。個人サイト、内容充実)
http://www.spisskyhrad.sk/en.html

3枚目:ポプラドの菜の花畑から眺めるタトラ山脈

---(以下Wikiprdiaより引用、備忘記録)---

モンゴル帝国(1206年-1634年)
初代皇帝はチンギス・カン(在位:1206年-1227年)。
西は東ヨーロッパ、南はアフガニスタン、東は中国、朝鮮半島まで領土を拡大。
最盛期の領土面積は約3300万km²、地球上の陸地の約25%を統治、当時の人口
は1億人を超えていた。

元寇(げんこう)
鎌倉時代中期にモンゴル帝国(元朝)及びその属国である高麗に2度に渡り行われた
対日本侵攻の呼称。1度目(1274年)、2度目(1281年)。
特に2度目日本へ派遣された艦隊は当時世界最大規模の艦隊であった。

元寇防塁
鎌倉時代に北部九州の博多湾沿岸一帯に築かれた石による防塁。
蒙古襲来(元寇)に備えて築かれた。弘安の役の際には防塁が築かれたところからは
モンゴル・高麗軍は一切上陸することが出来なかった。

タトラ山脈
スロバキア北部からポーランド南部に広がる山脈。
スロバキアとポーランドの国境に位置し両国の自然的国境を形成している。
東西約55km南北約17kmでうち約80%がスロバキア領、
残りの20%がポーランド領に含まれる。
スロバキアを象徴する山であり、スロバキアの国歌(Nad Tatrou sa blýska、
稲妻がタトラの上を走り去り)にも歌われている。
国旗にも描かれている。

裾野の広さなど見た感じ日本の八ヶ岳(南北30 km余りの山体)に似ており親近感が湧く。
ちなみに八ヶ岳の最高峰は赤岳2,899m、
タトラの最高峰はスロバキアの最高峰でゲルラホウスキー山2,655m。
タトラの観光拠点タトランスカー・ロムニツァ駅の位置は北緯49度16分 東経20度27分。
緯度でいうと、北方領土 樺太の真ん中辺りに相当、かなり北に位置している。
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