もともと「自己責任」という言葉は経済用語らしいが、世間一般で使われるようになったのは2004年に起きたイラク日本人人質事件が最初だと思われる。
当時、政府が渡航自粛勧告を出す中イラクに入国し誘拐された日本人3人が猛烈なバッシングを受けたが、このときに政治家が使った言葉が「自己責任」だった。
【参考】14年前、誰が「自己責任論」を言い始めたのか?(文春オンライン)
https://bunshun.jp/articles/-/10229
邦人の保護は政府の責務であるにもかかわらず、あのとき政府も政治家も責任を放棄し、一個人に押しつけた。政治家が使う「自己責任」という言葉に国民の多くが煽られ、バッシングに加担した。
「自己責任」とは本来責任を負わなければならない者がそれを逃れるための方便として使われたのが始まりであり、いまもそういう使われ方をしているという点は十分留意しなければならない。
その上で登山における「自己責任」なのだが、そもそも登山に限らずすべてアウトドアでの活動には危険が伴う。行動はすべて自分の判断で行い、その結果はすべて自分が請け負わなければならない。「自己責任」なんて、あえて言うまでもないことだ。
にもかかわらず登山に「自己責任」を強調するのはなぜか。
「個人の遊びで起きたことの尻拭いをするのはまっぴらごめんだ」とか「死にたいやつは勝手に死ね。俺には関係ないから巻き込まないでくれ」とは言えないので、その代わりに「自己責任」という言葉で包んでいるだけではないのか。
現に遭難事故が起きると、ネットでは決まって「人に迷惑をかけるな」とか「捜索費用は本人や家族が出せ。税金から出すな」とか言う者が出てくる。酷いのになると「好きでやってるんだから捜索は不要」とまで言う者もいる。
とどのつまり、これが「自己責任」論者が言いたいことなのだろう。
やはり「自己責任」などという言葉は安易に使うべきではない。
さて、イラク日本人人質事件の時、日本国民の多くは人質となった同胞へのバッシングに興じたが、これは外国人の目には相当奇異に映ったようだ(詳しくは上記のリンク先を読んでください)。
はたして「入山禁止の山で起きた事故は助ける必要はない。だって自己責任なんだから」などという考え方が通用するだろうか?
多分、日本でしか通用しないのではないかと思う。
本人を叩きたいだけの人と、「助けられて当たり前」のような横柄な人に対して、訓戒のために言う人と、2通りいらっしゃるような気がします。
あと、SNSの戯言に気を揉むこと自体、無駄なので、気にしないほうがいいと思います。
近年特に、耐性が無い人が多いと思います。
「助けられて当たり前」という態度の人って私は会ったことがないんですが、やっぱりいるんでしょうね。そういう人には自己責任の自覚を持ってほしいと思います。
私も同じ趣旨で日記を書こうと思っていたところで、当日記を拝見した次第です
「自己責任」は、本来責任を負うべき者が責任を回避するための詭弁に過ぎず、むしろ、そのためにのみ存在している言葉だと思います。
アウトドアに携わる者が言葉の意味を考えず自ら「自己責任」などと言うとと滑稽に思えてきます
まさに。責任を自覚している人が「これは私の責任です」と言う場合ではなく、他人が「これはあなたの責任だ」という時に使う「自己責任」には注意が必要ですね。
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