え? そうなん?
はい、そうなんですよ。
登山目的で山に入っても、キノコ狩りで山に入っても、遭難すればそれは遭難です。
一緒にするなという人がいるけど、むしろことさらに区別することに何の意味があるんですかね?
実際、ニュースでは「登山をして行方不明になりました」とか「山菜取りに出かけてまだ帰りません」とか具体的に報じていますよね。
みなさん、ちゃんと理解して受け入れていますよ。
件数をまとめたら何の不都合があるんでしょうか。統計では遭難者が山に入った目的別の集計もあるんだから、印象操作もへったくれもないです。
そんなことを20年もいい続けているってのは恐れ入りますが、誰にも相手にされない寂しい人生だったんでしょう。
要するに、山岳遭難の中で、高齢者の割合が高いことを意図的に認めたくないという主観的な目的のために、
恣意的に、山菜摂りや茸狩りなどを、最終的には山岳遭難から除外したいだけのようですね。
そのようなことをすることで、高齢者の山岳遭難の割合は減って、一部の方の主観的な満足感は得るかもしれませんが、山岳遭難を防止するという意味では、かえって本質を見失うことになるでしょう。
私自身や周囲の方々をみてもそうですが、
ある程度体力が衰えてくると、縦走などの山歩きから、花や写真、山菜摂りなどが主たる目的へ漸進的に変化していく傾向があり、濃淡もいろいろです。
岩稜帯での遭難に若い人が多いのは、若い人の分母が多いだけのことで、高齢者が岩稜帯へ行けば、割合的には高齢者の方が事故の確率が高くなります。
そのような中、統計上、茸狩りを山岳遭難から除外することは、誤ったメッセージを一般に送ることになりかねない結果になります。
もちろん、山菜摂りや茸狩りにおける遭難を防止するには、単なる一般登山とは別の対策が必要ですが、そのことは、「滑落」や「道迷い」、「病気」などと同様であって、統計上、山岳遭難に含めるな、というのは全くのお門違いだと思います。
もうおっしゃる通りで、深く頷くばかりです。
Yさんは「高齢者の山岳遭難が多い」という事実を認めたくないために「分析」とか「解析」とか理屈をこねくり回していますが、ほとんど何の役にも立っていません。
Yさんがよく言っている「団塊の世代が高齢化するので登山者は世代交代する」というのも「雨が降る日は天気が悪い」と言っているのと同じで当たり前のことです。
Yさんは「遭難した人の身分によって捜索に差がある」とか、「マスコミは遭難統計を印象操作している」とか陰謀論もお好きですが、高齢故の頑迷さがなせる技なのでしょうか。大半の高齢者は賢明な方々ですので、この人固有の問題だと思いたいですね。
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