|
|
|
横浜にある有隣堂と言う書店から出ている「南の海から来た丹沢」と題名の本を、昔夢中になって読みました。
何時も登っているホームグランドである丹沢が、数十万年から数百万年前は赤道近くに有った火山島だと言う事が、証拠を持って(古地磁気等)証明している名著でした、今 押入のどっかに入っているのですが、それを読むと秩父に石灰岩の山(武甲山)が有るのか、石灰岩はサンゴと言う小さな動物の死骸が固まって、岩になった物でサンゴは浅い海でしか繁殖しません、その後、数十万年から数百万年掛けて珊瑚礁となり、プレートに乗って移動して衝突、押し込まれ隆起して、陸地になり石灰岩になりました(秩父セメント工場から、建築材料として出荷され、東京の町に生まれ変わりました)、奥多摩にも日原鍾乳洞と言う石灰岩で出来た鍾乳洞が有ることから、奥多摩も昔は海だったと思われます。旧国道20号線にドラム缶の温泉があり、恥ずかしいが入れたのと丹沢に火山が無いのに温泉が各所に沸いている(中川温泉、広沢寺温泉、七沢温泉等)熱源は何か?、見事に疑問に答えてくれた本でした。詳しい事はまだ有ると思いますが購入してください、図書館にも有ると思います。
まず、フリッピン海プレートに乗って、秩父の山が日本の土台になっている地層にゆっくり付着します。証拠は伊豆半島の沖に、沖縄から北海道まで続いている、日本海溝が伊豆半島の所だけ無いのです。これはフリッピン海プレートが日本に向かっている証拠だと思われます。秩父の山が陸地に押し込まれ隆起して、秩父山地を形作りました、その直ぐ後から奥多摩と高尾の山が後から続きます。これもその後から丹沢山地が大きな島となって、日本の陸地に奥多摩と高尾を押し込みながら奥多摩と高尾の土台に潜り込み断層となり、摩擦熱で温泉が相模湖の国道20号線に湧き、相模湖の湖底に沈んだ旧勝瀬部落の端に温泉場が有った記録が残っています。
本題の丹沢ですが、相当に大きな島だったみたいで、丹沢周辺に海の底であった証拠に、小さく砕けた堆積物が集まって出来た堆積岩が多く見られ、浅い海で長い年月掛けて堆積したと思われます。(丹沢の岩石の中に、溶岩として噴出し出来たときに、その場所の微弱な地磁気が磁気として記録されます。)確か本の中にも津久井か宮が瀬に枕状溶岩が有ると書いてあるのですが、これは海の中に溶岩が流れ、急速に固まって出来たはずですが、丹沢に火口は無いのですが、不思議ですね、丹沢も、又 後ろから伊豆半島が押し込んでいます、その場所は陸上に上がったプレート衝突の現場である、神縄断層で、小田原国府津から御殿場を経て富士宮まで繋がっています。地元の噂では第一生命の本社がこの神縄断層の真上に有るので、不安になり売却したともっぱらの噂です。この断層で伊豆半島が丹沢の下に潜り込み、もの凄い圧力と熱で岩が溶け。箱根火山群を作りました。富士山のマグマも伊豆半島が潜り込む圧力で噴火したと考えれますが、九州から四国、紀伊半島、静岡を結んでいる中央構造線と,日本で一番大きな断層である、フォッサマグナの交点が富士山直下にあるはずで、この日本一大きな割れ目から溶岩が何回も大量に噴出し、噴火したのが富士山です。ちなみに富士山は三つの火山が重なって出来ています。
この様な証拠から丹沢は、はるか昔赤道近くにあった、大きな火山島で長い年月掛けて、日本に押し寄せ衝突し隆起して、で来た山だと言う事で関東大震災の震源地でも有ります。まだまだ奥多摩や高尾を押し上げて潜り込もうと、動いている山なのです。
こういう事を考えながら、塔の岳や丹沢山に登るのも一興ですね
写真1 津久井城山から高尾山 津久井湖 vfr4649 撮影
写真2 1月 表尾根から 塔ノ岳山頂 vfr4649 撮影
写真3 1月 表尾根から 愛鷹山 vfr4649 撮影
はじめまして(^-^)/
私も読みました。
足元の岩石の性質、成因を考えながら歩くのも非常に面白いと思っています。
2月に初めて塔ノ岳行きましたが、本当に結晶片岩だらけで面白かったです(^-^)
kimberliteさん おはようございます。
確か3部作で、だんだん難しく専門的になって(岩の種類が覚えきらない)最後の方は、とばし読みした覚えが有ります。
塔ノ岳の山頂に尊仏岩と言う、大きな岩が昔あって、大正時代まで秦野の農民が塔ノ岳山頂まで登り、雨乞い祈願のため、上部の岩の穴に石を投げ入れると雨が降ると言われていました。
関東大震災で裏側に落ちてしまい、崩落したと言われていますが、どんな岩だったのでしょうか(写真があったら見たいですね)、その名前を取って山小屋が「尊仏山荘」と言うそうです。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する