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最初に冬山で一般的な「アイゼンのお化け」と言われる現象?
この現象は、冬山で天幕行での経験で複数回、同行者と聞いています。
後立山、八ヶ岳、谷川岳、甲斐駒ケ岳等で、特に八ヶ岳は行く度に聞きました。食事も終わり、シュラフに入り寝付いた深夜、周りが静かになり降雪の音がテントにパラパラと当たる音のみ聞こえている寒い夜、テントの周りをアイゼンを付けて誰かが歩き回る「ザク、ギュウー、ザク、ギュウー」と歩く音に隣の同行者が「誰かが深夜登り始めているよ」私が「こんな深夜活動するわけが無いよ」と、でも確かに誰かがテントの傍を歩いている音がしますがヘッドランプの灯りもありません、表は雪がシンシンと降っています。
そのうちに遠くへ行くだろうと思っていてますが、テントの周囲を「ザク、ギュウー、ザク、ギュウー」アイゼンの音だけ聞こえて、気味が悪くなりシュラフから出て、ヘッドランプ付け、テントの吹流しを開けて「どちら様ですか?」と声を掛けて周りを照らして表へ出ましたが、新雪が積もっていて足跡一つ見えません、動物が歩き回っても足跡が残りますが積もったばかりの新雪のみ、最初に経験した時には怖かったのですが、先輩に聞いていたのと、一切危害は加えてこないと聞いているので、何回も聞いていると「又、歩いているよ!」寝ようと!と気にならなくなりました。先輩は山で遭難した人が人恋しくて近寄ってくると言っていましたが、これを読んでいる方にも経験した方が絶対にいらっしゃるはずです。
冬山へ登りアイゼンを装着して雪面を歩いた方は、お解りだと思いますがツボ足(登山靴で雪面を踏む)の音と、アイゼンを付けて雪面を歩く音の差は確実に違います。動物が歩く音や、雪が寒さでギュウーと締まる音の違い、アイゼンを付けて歩く独特の音の違いはわかるはずです。(雰囲気が似ている場所季節が違いますが剣岳三の窓写真2)
夏山で経験するのが、「指導霊」といわれる現象で、縦走しているときに、大体は50mから200m位前を、単独行の登山者が何時も同じ距離で同じ方向に歩いていて、こちらが休むと単独行の登山者も休むのか見えなくなり、登り始めるといつの間か、前を歩いている、途中分岐も無いのに、幕場にも居ない、テント代を払いに山小屋に行くと、「今日、そちら側から来たのは貴方だけですよ」じゃあ。前を歩いていた単独行の人は何処に行ってしまったのでしょうか?.................先輩曰く、「それは指導霊と言う、お前たちが心配で道案内してくれた霊で感謝しなければいけないよ」だそうです。北アルプスの後立山と丹沢で経験しました。(雰囲気が似ている場所写真1)
谷川岳で経験した現象は、30数年前の山仲間を思い出したので、パートナーの名前を供養のため出します。私が所属していた山岳会の後輩で、大手建設会社に就職が決まっていて、21歳の若さで冬の八方尾根で亡くなった「渡辺君」通称ナベと呼ばれていた後輩が武蔵工業大学の学生だった時、一緒に一の倉沢二の沢右壁を登攀したときに経験しました。
時期は「一の倉沢ヒョングリの滝」が出ていましたので、夏の終わりから秋口だったと思います。車をマチガ沢出合いに置き、一の倉沢出合いからテールリッジに降りず、右岸を登って二の沢大滝へ大滝そのものは順層のスラブでしたが滝の落口が細かく怖かったのを覚えています。取り付き点で腹ごしらえのためラーメンを作ったのですが、これが後々ナベに「あそこで時間を損したので、ビバーグするはめになった」と小言を言われました。(写真3、写真の右側上部にマッターホルン状岩壁の下にある、解りにくいのでルートを表示しました。)左側は東尾根
壁そのもは 一の倉沢でも、滝沢第三スラブと並ぶ難しい岩壁で、40mのザイルで数箇所しかハーケンを打てず、トップが滑落したら止めるのは至難の業で、登山靴のフリクッションだけがたより、ビレイポイントも少なく緊張の連続で時間がかかり、最終ピッチ私がルートを間違え、足はミシンを踏み始めて、ホールド探したが見つからず、オーバーハングの草付に両手を差込、強引に細い潅木を掴み、草付上部に出て腰の下ろせる所で、後続のナベを登らせましたが、オーバーハングの草付をナベは中々越せず、最後はザイルを掴んでやっと越せましたが、マッターホルン状岩壁の下で暗くなり、基部にあるバンドで(写真3の右側、黒く三角形のようになって居る根元)ビバーグの準備、ザックの中にあるものを全部出して、シュラフのように足を入れ、体を曲げて表面積を小さく、周りにハーケンを打ちザイルで固定して朝を待つ、最後のお菓子を食べ、お湯を沸かして飲み、疲れから眠りにつきました。
どの位経ったか解りませんが、周りは漆黒の闇で、時々雲の間から星が見え隠れするような夜でして、ナベが「起きて!起きて!」とゆするので、「眠いのに」少し腹を立てて目を開けて「何だよ!眠いのに」、「ねえー何か聞こえるんですけど」と「何が聞こえるんだよ!」、「モロさん聞こえません!」風の音が少し聞こえますが、何か人の声のような「おーい!おーい!」と確かに遠くから聞こえるような気がします。私たちは日帰りの予定でヘッドランプを持ってきていませんので、どうしようも無いのですが、声のするほうは上部の国境稜線の方で無く、左手にある暗闇の一の倉沢岩壁の方から聞こえます。でも先行パーティは、衝立岩と烏帽子奥壁の方に取り付いていて、かなり前に下山しているはずで、一の倉沢にいるパーティは私たちだけのはずですが、聞こえてきます。
しばらく聞こえていましたが、ザイルで体を固定しているのでどうしようもありません、そのまま眠って寒さで目が覚め、白ガ門の方から朝日がだんだんとこちらに朝日が差して来たので、堅くなった体にザイルを付けて、マッターホルン状岩壁を登り始めました。意外とホールドスタンスが大きく、草付も足が入るくらいのバケツ状で1ピッチでザイルを、しまって国境稜線、一の倉岳、肩の小屋、西黒尾根で下山しました。
後で山仲間に、「一の倉沢で深夜、誰かが呼んでいて気味が悪かった」と言ったら、「えー、おーいと言う声を聞いたの」、私が「何で夜一の倉沢から聞こえるんだよ!」「お前危なかったなー」あれは遭難した霊が呼ぶ声で、冬に登ったパーティが吹雪の中、国境稜線を肩の小屋に向かっていたとき、一の倉沢の方から、おーいと聞こえたので、誰かが助けを求めていると思い、稜線の方に近寄ったら、突然足元の雪庇が崩れ、一の倉沢に落ちて亡くなった。「結構聞いた人が居るんだよ!」ぞーとした覚えがあります。
亡くなった横浜の渡辺君、存命ならば50代で美味しい酒を飲めたのでしょう、思い出して良かった、ご冥福を祈らずにはいられません、ありがとうございました。
まだまだ、三つ峠でリングワンデリングした事、富士山で経験したこ事、冬の中央アルプス駒ヶ岳で女房が経験した不思議な老人、単独行で経験した怖い話等、色々と有るのですが、夏にでも書きます。
おはようございます。
私は体験した事がないのですが、山でのミステリーの話は、ネット上でもかなりヒットしますね。
空木平避難小屋も有名ですが、泊まった後で話を聞き、背筋がぞ〜っとしたのを思い出しました。
stefanoさん、おはようございます。
そうですか、空木平避難小屋、中央アルプスの空木岳にある避難小屋でしょうか、やっぱり30数年前に山岳会の夏合宿で全山縦走して、宝剣岳周辺の岩場を登ったときに通過した覚えが有りますが、避難小屋は記憶になく、泊まらずに良かった.................
避難小屋の怪現象って結構有りますね、小屋番が居ず、さみしい所に作られており、内部が結構荒れているのでそういう話が有るんですね、私らの頃は南アルプスの悪沢岳の下にある高山裏避難小屋(2回程泊まりました。)と燕岳のトイレ、八ヶ岳にある鉱泉のトイレが有名でしたけど
谷川岳には先輩たちから聞いた、怖い話の伝聞はいっぱいありますが、自分が経験するとは考えてもいませんでした、10代の頃一の倉沢出合いは墓標が多く立っていて怖かったのですが(墓地みたいだった)、全て撤去され土合に慰霊碑を作り綺麗になりました。
昭和40年代で谷川岳全体で遭難死亡した人が、昭和6年からの遭難死亡者1000人目になるな!、各山専門誌や新聞等でキャンペーンをしていましたが、幕岩で2人が墜死して1001人になり、今 現在何人の方が亡くなったのでしょうか?怖い山です。
もうひとつ指摘があります。
「今 現在何人の方が亡くなったのでしょうか?」ですが、
2015年現在、土合の慰霊碑は800人超です。
「昭和40年代で遭難死亡者1000人目」は、記憶違いでしょう。
私は1974年(昭和49年)に初一ノ倉で南稜をの登りましたが、当時はまだ死亡者は600人台だったと記憶してます。
その10年後くらいに、私自身も冬の一ノ倉でもう少しでロクになるところだったのですが、なっていれば700人台でした。
谷川で初めての雪洞泊、朝方外を歩く足音・・・
隣に雪洞を掘った仲間の誰かがトイレにでも出たのだろうか、
それにしても随分歩き回ってるなぁ〜と思いながら再びウトウト。
誰がトイレに出てウロウロしていたのか聞いても誰も出てないとの事。
西黒尾根に行くには人は通らない場所、こんなとこに来る奴なんていないよ、
おまえ声掛けなくて良かったなぁ〜と云われました。
その時に一緒だったベテランの女性、
以前、谷川でまだ朝暗い内、出発の準備をしているとテントの外を足音が、
思わず「おはようございます!」と声をかけら、「おはよう!」って返ってきたそうです。
で、誰だろうって外を見たら誰も居なかったそうです。
その日の登攀は取り止めにしてテント畳んで土合の駅に向かってみんなで駆け下りてきたそうです。
おろくが呼ぶから足音が聞こえても絶対に声はかけるなと云われました。
足音を聞いたのは幸いにもまだその一度だけですが・・・
noborundaさん、こんにちは、やっぱり他の人も経験している方が居ましたねー、私の山中間も、他の山岳会仲間も長く冬山を登っている人は、ほとんど聞いていて、ありふれた現象みたいで、特に私は霊感が強いわけでもなく、霊の存在も信じていませんが、説明が出来ず、訳が判らないのですが、只 私の周りや目の前で亡くなった方が多くいますので、亡骸をシュラフカバーでくるみ、背負子に付けて麓まで交代で降ろした事もあり、、彼たちが心配で来てくれるのかなーと思っています。
未だヒマラヤで一人、ヨーロッパアルプスで二人、行方不明です。氷河に墜ちたと思って、後 500年位は眠っているでしょう。
霊の存在を信じていないのですが、あまり怖いと思っていません(怖かったら、単独で10日以上を掛け南北アルプステント泊全山縦走できません)。
はじめまして。
貴殿の「山のミステリー」、私も昔の山の先輩たちの怪談話を思い出し、似た話しが伝わってるものだと感心しました。
ところで、ニノ沢右壁の登攀について読みましたが、僭越ながら「老山屋」さんの記憶違いを指摘させてもらいます。
右壁を登り終えた後の最後の壁は「マッタ―ホルン状岩壁」ではなく、「ド―ム正面壁」(通称「ドーム壁」)です。これは「3スラ」登攀後と同じで、殆どのクライマーは、初登の横須賀ルートを登ってます。
「マッタ―ホルン状岩壁」(略してM状岩峰とも言われた)に行くには、ドーム壁の基部をトラバースして一旦Aルンゼに下降してからでないと取り付けません。
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