北陸の友人が「鈴鹿の冬は風があるのでセーターなど着ていても意味が無いので違う意味で寒さが厳しい」と言う意味が解る
昨日の晩に「鈴鹿おろし」が吹きさらし自転車が転け、家の周りのゴミが飛んでゆき綺麗になった
こうなると春の訪れが間近となるわけで
入道ケ岳の福寿草は終盤になっているのだろうか
今日は家内と鈴鹿市内の喫茶店でお茶をしたのだが
喫茶店でスマホニュースを見ていると三重県津市の山の中で子供達が遊んでいると銅鏡やら刀やらが出てきたとニュースになっていた
去年の記事だったが平安時代の物だとか
更に学者が調査すると渥美半島で作られた壺だとか
昔の人々の流通に驚くばかりである
そこには我々の想像を越える流通網が既にあることを証明し地権者を山に埋めるという行為や石を積み目印にするという行為に時代をこえた人間としての営みにロマンを感じるしかない
例えば伊吹山
例えば御池岳
これらの山には南向きに掘られた縦穴がいくつもあり
仏教的な何かが行われていた証拠なのだが
ふと、周りを見渡した山々にそういった先代の何かが残されているのであり
それを見つけることはとても意味があり ロマンを感じる
ふと、思い出すと
登山道ではないエリアに不思議なケルンがあったのを思い出す
わくわくするニュースをありがとう
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