20年以上、前のお話。
スペインとフランスの間に、アンドラという小さな国がある。
今思うと何を考えているんだ、無知にもほどがある!と、自分を怒りたくなる。そんな、山を愛する人から見たら、恥ずかしい、危険なお話は、この国で起こった。
そもそも、この国に行ったのも、ピレネー犬を見に行きたいというわけのわからない理由。
知人が飼っていた真っ白ふわふわのワンちゃんと仲良しで、そのお友達に会ってくる!と意気込んで行ったが、ピレネー山脈の中にあるこの国に、ピレネー犬はいなかった・・。
首都にいないなら、田舎に・・・と、その日のんだミネラルウォーターの名前になっている街にバスで移動。
南アルプス天然水、のイメージだったが、やはり、ピレネー犬はいなかった。しかも、田舎で旅行客など来ない街には観光できるところもほとんど無し。
そして、戻りの次のバスまで4時間。
で、無謀な冒険?が始まる。
街の地図にモンターニャ・ピエドラという山を見つけた。
観光案内所のお姉さんに聞いた。
「この山、4時間で行って帰ってこれるかな?」
お姉さんはニコニコして、「大丈夫、ウニャラウニャラウニャラ・・・」
よくわかんないけど、大丈夫らしい、と、出発。
始め、ハイキングコースのようだった道は、ブッシュウォークになり、岩のゴツゴツした道になり、もろに、山道になった。
そして、2時間が過ぎた。2時間たったら下山しようと思っていた。が、ここまで来たら、頂上まで行きたい、と、次のバスに乗ることにして、登山を続けた。
ここまで、地図も持たずに無謀なことをしているが、そんな事を平気でしたのには、理由がある。
この数年前に、私は、サンチャゴの道、という巡礼路を歩いた。
スペインの北西にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラという聖地に、世界中から道がつながっている。
今ではけっこう有名になったこの道は、当時はまだマイナーで、日本人はほとんどいなかった。
地球の歩き方にたった1/4ページのっていた、コラムの記事を見て、私はその地に行くことを決めた。ちなみに、その後に改定された地球の歩き方には、巻頭4・5ページにわたる特集記事が載っていた。
テレビでも見た。
いまでは、人気のルートだろう。
私はピレネー山脈の麓にあるスペイン北東部の街から始めたが、一緒になった人が口々に、「ピレネー山脈を越えているときが、一番楽しかった」と、語った。
いつか、また来て、ピレネー山脈をこえよう、当時の私の次の夢になった。今でも変わらない思いだが、現実として無理だなとあきらめてもいる。
このときも、私は詳しい地図など持っていなかった。スペインでガイドブックは買ったが、田舎町で良い本がなく、全く役に立たないし、スペイン語だからわからないし。
それでも、迷うことなく歩けた。
黄色い矢印が巡礼者を案内してくれるのだ。
街では建物の壁に、噴水に、ガードレールに、道路に。
山道では岩に、木に。
黄色の矢印が印されていて、ずっと私を導いてくれた。
街を歩くこともあったし、荒野を歩くこともあった。また、森の中や、山道もあった。
思えば、このスペインの山道が、私のはじめてのトレッキングや山登りだった。
楽しかった記憶が蘇り、余計なことまで広がっていった。そろそろ話をもとに戻す。
導いてくれていた黄色の矢印。
その横にちょくちょく、白と青と赤(色は、記憶が間違っているかもしれない)の、国旗のようなマークが書いてあった。
人に聞くと、「これは、グラン・ルート(名前が違うかも、記憶が・・・)だ。ウニャラ、ウニャラ・・・」
説明してくれたが、理解できなかった・・・。
が、このマークも、どこかへの道標であるということだけは、わかった。
この、国旗のような道標が、この山にもあったのだ。
だから、全く不安なく歩けた。というか、歩いてしまった。
山道は、小さな石の集まった斜面になり、歩くたび、ズルズルと滑るようになった。
モンターニャ・ピエドラ(もしかしたら、間違えてるかも)は、直訳すると、石ころ山。なるほど、と思った。
この辺で、山小屋が見えたので、必死に登った。
荷物をホテルに置き、ショルダーバッグをさげて、オレンジ1個と水1本しか持たずにここまで来ていた。靴は、もちろん普通のスニーカーだった。
とうに次のバスにも間に合わない時間になり、タクシーで宿泊している首都まで戻る計画に変えていた。
ここまで自分で書いていてゾッとするが、当時の私はなんの危機感も持っていなかった。山小屋、無人だったら、遭難したかもしれない。
が、私は運がとても良かった。
山小屋には、何人もの男性がいて、美味しそうな食事をしていた。
山小屋レストランと間違えて、私にも頂戴、と言ったら、あちらこちらから食べ物が渡された。
「お金あんまり持ってないんだけど・・いくらですか?」
「いらないよー、ここはレストランじゃないよ」との答え。
彼らは、野生の鹿を取るために来ていた猟師さんたちだった。
私は、猟師さんたちのご飯を分けてもらったのだ。
彼らは、私に、これからどうするのかを聞き、その日が猟最終日だから、自分たちと一緒に下
りないか?車で来てるよー、首都のホテルまで乗っけていってあげるよー、と、いってくださった。
もちろん、Si,por favor!(おねがいします)、だ。
それからは、のんびり過ごした
「シーッ」と、人差し指を唇にあて、そーっと山小屋の後ろに連れて行かれ、指さされた先には・・・。
白い布でくるまれて逆さまに吊るされた、4本の足がニョッキリみえていた。彼らが仕留めた獲物だった。
とても、静かで、神聖な雰囲気さえ感じた。
実は、石ころ山のピークは、もう少し先であると教えられたが、疲れていたのと、彼らとのお話が楽しくて、結局行かなかった。
「今夜は、この鹿を食べるの?」ときいたら、熟成させるために1ヶ月くらい(だったと思う)時間を置くのだ、と彼らは語った。
そのまま夕方までを彼らと過ごした。
その後は、獲物を運ぶ彼らと山道を少し下り(石ころの斜面じゃなかった)、荷台に獲物を乗せたトラックに乗せていただき、山を下り、夜の道を走り、泊まっていたホテルまで送っていただいた。
「さっき撮った写真、送ってね。」
そう言って、猟師さんは去っていった。
大変申し訳無いことに、住所を書いてもらった手帳を、旅行中になくしてしまった。
もう一度、あの地に行こう、そして、あの山小屋にお礼の手紙とともに写真を貼ってこよう、皆さん、きっとまたここに猟に来るはずだから・・・そう、確かに思ったのに、そのまますでに20年以上がたった。
今、山の装備を学び、携行食や水分の大切さを理解し、地図の見方・・・は、まだ学んでいないんだけど、ヤマレコで地図を見ながら歩くことをしている今。
当時を振り返りおもう。
ほんとうに無謀で、危険で、一歩間違えば滑落していたかもしれないし、悪い人とあっていたら、殺されていたかもしれない。
誰にも行き先を言わずに来た私は、誰にも見つけてもらえなかったかもしれない。
あのとき危機意識がなかったように、もしかしたら今の登山も、あとから思い返したら、危ないことをしていたなと思うのかもしれない。
なんだか、まとまらないけれども。
事前に知識を得て、準備をしっかりして、登山届も出して、保険にもちゃんと入って、安全で誰にも迷惑をかけない登山をしなくちゃな、と、今、思っています。
さて、大丈夫と言った観光案内所のお姉さん。
思い返すと、「2時間登って引き返せばいいわよ」的なことを言っていたのかもしれないな、と思います。
まとめるのが下手くそで、長くなりました。
最後まで読んでくださった方がいたら、ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
アンドラ、いかれたんですね。
たしかに、免税の国で、お買い物の国でした。
私は当時、バックパッカーで貧乏旅行をしていましたが、セーターを一枚買ったのを覚えていて、その一枚は、今でも気に入って着ています。
お叱りのコメント覚悟でしたので、まさか共感していただけるとは思いませんでした。
若いって、無鉄砲で、無謀で、怖い物知らずで、なんというか・・・ちょっと恥ずかしいですね。
今となっては、呆れられそうで恥に近いけれど、それでも懐かしさでいっぱいです。
あんなことはもうできません。
サンチャゴの道、Camino de Santiago は、世界中からスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに続く道で、色んな国の人が来ていました。今は、日本人も多いそうです。
行くときは、ぜひ、ピレネーのフランス側から。
私もまた行きたくなっちゃいました。
とてもとても、楽しかったです。
色々と後悔もあるので、また懺悔の日記、書くかもです。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する