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真っ当な山頂標や三角点が見当たらないのみならず、展望台上には、錆だらけのスキー場案内板支柱と、まるで打ち捨てられたかのような「覚礼霊神」行者慰霊碑が目についた所為だろう。
その後あれこれ調べてみると、戦前に発行された藤原スキー場パンフには、山上に神祠のマークが施されているではないか。
そして、2度目・3度目に登高した折には、孫太尾根の最上部に「国威宣揚祈願」石柱を、展望丘南東の切岸に「小野田セメント社有」石標を、それぞれ発見した。
また、10数年前の山上台地には、末枯れた笹原がそれでもまだ辛うじて残っていたが、今ではシカ害による青苔と羊歯と馬酔木と流出泥濘との、いわば惨状台地になり果てている。
幸か不幸かそのシカ害の結果、山上台地に忽然として姿を表したのが、1100年前の惟喬親王腰掛石の脇の、400年前の大橋明覚屋敷跡なのである。
大貝戸登山口の神武神社、展望台の神祠・祭壇跡、惟喬親王腰掛石、大橋明覚屋敷跡、はたまた国威宣揚祈願石柱、それらにはどんな謂れや関係があったのだろう。
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