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画像中:某イベント開会直前、席から溢れる箱の山?!…大晦日にナニやってんだ?(山より本業??)
画像右:青春時代を過ごしたこの街で打上げ会…ハァ、やっと年が越せます。
ここ数年、大晦日は回避できていたんですけど…今年の日程は最後の最後までひいてます??
よく考えてみたら…盆と暮にきまって年二回(春開催アリで年三回の年も?!)、毎年毎年30年もよくもまあ、こんなこと続けて来ていたりするなぁ?!(超えてるかも?数えていないし数えたくもなひ?! つーことは山はそれよかずっと長いからウン十年??…そりゃいろんなこともあったわな?)
お山もそうなんですけど、始めたばかりの頃はというと、ただただ前だけをみて闇雲に突っ走っていただけのようで。それなりの夢(目的、野望?)などもありましたが、いつしかジブンという名の現実と向き合いながら、知らず知らずのうちに適当な落とし処を探るというか、着陸のための滑走路を捜す毎日になってます。
そんな中、この日も同じに某イベント参加申し込みしていながら、また一人…先立ってしまった同輩の空席となっていたスペースを目前にして、それが現実のものと実感させられました。お互い現在は地方に帰っているので、近年は年二回のこのイベントで会えることがたのしみではありましたが…まだ若かりし頃?とある先生のサロンで熱く議論を交わしていたときのことを思い出さずにはいられません。
その中心にいた先生も(実はそれほど歳が離れていない…)今は既に亡く、当時のサロン仲間(同志?)も、一人、また一人といなくなっていく…
もう、だんだんとそういう世代になってきているんだな?…と、ジブンの順番なども気に掛かるようになっていることに気がつきました。
今年も、先立つにはまだ若過ぎる先生方、業界関係の方々の急逝というニュースが目立ちました(不摂生している人が多過ぎ? …つーか完全にブラック化してる??)。
そもそも、この業界に片足(爪先?…どっぷり首まで??)つっ込むきっかけになった憧れだった先生(当時の先輩の師匠)は…26歳という若さで他界されていたり? その時も相当ショックでしたが(まだ駆け出しの若造には「26歳」はじゅうぶん大人に見えていたが…今考えると若い、若過ぎる!?)、その背中を夢中で追いかけて突っ走って…こうして気がつくと、もう年齢どころか経験年数すらとっくに通り越してしまってましたね??(…そしたら、もういつ死んでも構わないか? 否、少しも近づいていなひっ!爆)。
屁理屈も理屈のうち?! 無理を通して道理を引っ込める?? そんなのを地で生きてきていると、そうして寿命と引き換えに成し得た偉業(命を現実に削っていないうちは「ムリ」とはいわない?!苦笑)に…何でも出来るような錯覚に陥っていたりして? しかしそれは若さゆえの過ちであって、突然やって来た「その時」はどんなものだったのか?? ご遺族に頼まれとある先生の仕事場の整理をしていたとき、その遺品の中にあった無造作に走り書きしてあった数々のメッセージの中に、「死にたくない…」という文字を僕は見逃していない…自覚症状はあったのだ?!
(ま、オイラは最初ッからドロップアウト組なんで、気ままなもんですけどー??)
それとは、また別の話になりますが。
春にやった怪我(落石直撃〜滑落?!)から、それなりに養生していたんですけど。後遺障害ということはないものの…どうも今までのような自由が利かなくて(身体が資本の現場仕事では微妙なところで支障が!?)。もう、この歳では…直りそうなものでも、そうそう修理がきかなくなってきているようです(医者には当初から、完治には一年。治っても元通りになるかどうか…とは言われてた?!)。
若い頃にはもっと酷い怪我なども、ちゃんと直ってきていたので油断していました。
再建手術か?(一般庶民には非現実的) あとは、ちゃんと専門医にでもかかって、リハビリを続けるなどすれば、また少しは違うんでしょうけど??…そんなことは待っていられないので?!
ずっと、子供の頃から目指し天命だと思って長年続けてきたお仕事に一区切りつけることに決めました。
ほんとは、引退したら悠々自適に余生など楽しみたいところだったりしたんですけど?(否、生涯現役のつもりデシタが…)
残念ながら、それは許してもらえないらしく?? 来年から、また新たな人生をあゆむことになります。
実のところ、第一線の現場を外れても、同じ業種の仕事を続けていくという「テ」もなくはなかったんですがね?来年は業界再編スタートイヤーで人手がいるらしく、特に既に専門知識、資格、経験を持つ即戦力は貴重なようで?? やめると言い出してから今も関係団体からのプッシュがすごい?(でも仕事の内容自体がナァ〜、少し慣れればダレでもできそうな仕事となると?)今は状況が未知数で現場判断に、経験、スキルが問われているけど、いずれ標準化も進んで競争が本格化すれば、単価も下がっていくのも目にみえる??
とゆーわけで、まだ少しはあるかもしれない将来?を見越しての決断となりました。
とはいえ…この歳になってもゼロからの挑戦というか、新人(←中古人のまちがい!)という響きも悪いものではありませんので?!
…が、しかし。これから新しい世界に飛び込んでいくというのに? そこに、不安とか、期待とか、そういったゾクゾク(ざわざわ…?)感をまったく感じていない辺りは、やはり「新人?」とはいえないですねぇ〜(ま、楽しみではありますが?!苦笑)。
星を数えて♪〜 波の音きいて〜
共に過ごした〜 幾年月の…
相方ともどもレコを拝見させて頂き勉強させてもらっています。
ところで、写真三枚目に「青春時代を過ごしたこの街で…」と。並もり大盛り同じ料金なのに大盛りを残すと大盛り料金になる天婦羅「いもや」なんかもご存知でしょうか?私もこの地は青春の一場面でした。当時はあの界隈はスキー用品の店か楽器屋かレコード店ばかりだったと記憶しています。leseratteさんにはこの地にどんな想い出があるのかと思いコメントさせて頂きました。
これからも、leseratteさんの山に対する姿勢を参考にし山歩きを楽しみたいと思います。
hide55 さん、あけましておめでとうございます。
今年は、生活スタイルから少し変わってくるので、どれだけ自由になるかわからないんですけど…。相も変わらず好き勝手やっているかと思いますので…いやはや?!「勉強」だなんて滅相もない、片目つぶって、時にはもう片方もつぶって許してやってください。
「いもや」さんは、はらっぺらし貧乏学生にとっては救世主のようなお店で、ほとんど常連でしたね(食べ物を残すなんて滅相もない…完食基本?!)。
ちょうど昨年の正月にもヤマレコ日記で少し触れているかと思いますが、順番からいくと…物心ついたあたりからピアノを習い始め彼方此方で助っ人演奏、スキーは「山」よりも数年早く、半田ごて片手に焼焦げた松脂の臭いが染み付いたラジオ少年、そして図書館のねずみ本の虫、あとドコにでもお絵描きしてしまうような生まれついての悪戯っ子だったジブンとしては…
このスキーと、楽器と、レコードの街…そして古書店街でもあり、少し足を延ばせば画材屋が並び、ジャンク屋と電子パーツが何でも揃う当時の電気街(いまは如何わしい準風俗?サブカルチャーの街??苦笑)…まさにパラダイスのような街でした。
そのすべてが5分圏内というその中心地にあった大学…当時の小学生にも、そこに進学を決めるのに十分すぎるような魅惑の街です。
今は受験シーズン真っ只中ですが、そういう意味では背伸びした受験をしないで済んじゃいましたけど?
そして休みも含めてほとんど毎日のように通った、あっという間の4年間と…その後も学祭と古書フェアがかぶっていたので、毎年のように母校に顔を出してたりしたのですが…
しかし…そんな思い出の街の様相も、時の流れと共に移り変わり、ついにはかつての学び舎もこの街から消え、ことしも当時からよく通っていた「書泉ブックマート」が閉店、この日もその跡地にABC‐MARTが入っているのをみて、時代の変化を突きつけられたような思いです。
いまでこそ、消費税率が…なんて騒ぐ人もいますが、あのころのレコードには「物品税」がかかっていましたから、少しでも安くと輸入版を並べているお店に通ったものです(表向き、洋楽とクラシックにしか興味がない…ということにしていた?? 国内アーティストはライブかな…当時のライブコンサートは安かった?)。
それも今は昔…
時の流れとともに、ひとつずつ時代が終わっていく寂しさのようなものを感じずにはいられません。
幸か不幸か、ちょっとした分岐路に立ってみて…様々な世界へ挑もうとしてた若い頃のことをちょっとだけ思い出してみたりして。
また、その一方で何十年もまったく変わらないこともやっている…
変わらなければいけないもの、そして変えてはいけないもの…その両方をたいせつに思いながら新年に向き合おうと思ってます。
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