特定の山に登りたいって感情は、一体、どこから生まれるのだろうか?
山頂で「夢が叶った‼️」とか大そうな発言を聞いたりしたことが何度かあるけど、自分的にその山が大して好きでもなかったりすると、ついつい「何を大袈裟な。アホかいな、、、」とか思ってしまう。
勿論、他人様の趣味を否定する気は無いし、わざわざ嫌な気分にさせたくもないから、口にはしませんけど。当たり前。
自分的には、結局は山の容姿と植生(花)がモチベーションになっている気がする。
前者だと、鹿島槍とか五竜とか甲斐駒ヶ岳の個性的で男性的な風貌。女性的で嫋やかな仙丈ヶ岳や(北アの)薬師岳も良い。カールと言う視点からは、仙丈ヶ岳に黒部五郎。
容姿面が整い過ぎている山は好きではない。具体的には常念岳とか。優秀なだけで、面白みや諧謔が無さそうな奴みたいで。
あと、火山火山して、殺伐とした感じの山も、あまり好みではない。
一方で、後者でパッと思い浮かぶところだと東北・上越なら尾瀬(至仏、燧ヶ岳)、巻機山、苗場、会津駒、鬼怒沼山、田代山(帝釈山)、平ヶ岳、飯豊。秋田駒とか八幡平、八甲田山も気になるし、神室とか和賀とかも然り。北アルプスなら白馬岳に清水岳。
そうは言っても、花は多くても八ヶ岳にはなんか熱中できないし、個性的と言ってもオベリスクの鳳凰山(地蔵岳)とか烏帽子岳とかは、あまり惹かれるものがない。
結局は、なんか直感というか、なんとなくな感覚で決まっていて、一貫性や論理性には欠けている。
100名山、200名山がある程度揃ったら(120/200くらいが目処)あとは自分の好きな山や小屋だけ厳選して登るようにしていきたいなぁ。
まぁ、食わず嫌いも良くないけど、結局、自分が好きになりきれないところに無理矢理行く意味も無いと悟った今日この頃。
「夢が叶った‼️」系の発言の主旨は、どちらかというとその山の頂に立った結果というよりは、その頂に至るまでの過程に思いを馳せているのかな?と思っています。
『運動なんてしたことない私が、トレーニングを積んで、苦しかったけど絶対無理だと思っていた頂に立てた!』
みたいな。
山慣れしてくると、スレてくると言いましょうかこの手の感情って湧きづらくなるなぁと感じます。
はじめまして。
そうかもしれませんね。まぁ、でも、なかなか重い発言ですし、自分は言わないなーとは思います。😅
たとえ、その山行が自分にとって壮大な挑戦だとしても、、、うん、やっぱり言葉にはしませんね。恥ずかしい。
ピークに着いた時の感情って、内省的でジワる感じだと思うんです。自分は、ヒャッホー‼️🤩にはならないし、まして、ピークで自分語りをする気にはならないですねぇ。自分語りとグチは、せいぜい仮想空間(SNS)の中で。www
まぁ、自分も多少、スレてるところはあるかも知れません。💦
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