昭和54年2月に中央公論社から発行された文庫本を読んだのだが、もともとは朋文堂から昭和33年8月に出版された本だ。
その時代の山の本は日本語そのものが読みにくい場合が多いのだが、この一冊は平易な日本語で綴られていて読みやすかった。
解説にあるとおり昭和33年当時に上田哲農は50歳前後であったが、第二次世界大戦が無ければ昭和10年頃には出版されていた本らしい。
父親の死、娘の夭折、息子の死によりひなたの山に日翳の山が加わったという。
以下抜粋引用
「行為」は「ひなたの山」、「思案」は「日翳の山」と考えて、これは車の両輪の如く、離そうとしても離れないし−登山がスポーツの王とされるゆえんもここにあり、書名にしたわけです。
もう一ついうならば「ひなたの山」は写実で「日翳の山」は抽象であります。
中略
山にある日は「ひなたの山」、街にある日は「日翳の山」、そうしてこの写実と抽象の二つをらせん状によじ登ることによって、さらにその頂きに、毅然と光っている形而上の真(まこと)の「山」に到達するルートを発見したいとこいねがっているともいえます。多分その真の「山」が本当の成仏なのでしょうが。
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上田哲農は登山家であり画家でもある。
上田 哲農(うえだ てつの、1911年8月21日 - 1970年11月30日)は、日本の洋画家、登山家である。本名は徹雄。
https://booklog.jp/author/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E5%93%B2%E8%BE%B2
この本の解説を書いているのが何と吉野満彦氏だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B3%E9%87%8E%E6%BA%80%E5%BD%A6
彼は新田次郎の小説『栄光の岩壁』の主人公のモデルである。
吉野氏の著書「新編 山靴の音」を読んだときには感動したことを思えている。
「日翳の山 ひなたの山」は時に詩もあり、挿画も含めて気持ちの良い読後感を抱いた一冊だった。
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