今日読了した。
宮沢賢治が地域柄何度も登場する。
この本には宮沢賢治の詩や童話が掲載されている。
詩は宮沢賢治だけでなく、石川啄木や高村光太郎の詩も掲載されている一冊だ。
宮沢賢治は誰もが知る人物だろう。彼は短い生涯の中で沢山働き、沢山の文学を生み出してきた。
宮沢賢治は私の新潟の実家へ昔泊ったことがあり、お礼の手紙を頂いたと祖母が話していたことを思い出す。
林業や農業で新潟の実家のある町が繁栄していた頃、農業指導で宮沢賢治が来町して、当時料亭を営んでいた私の実家に宿泊した模様だ。
宮沢賢治の手紙が残っていればと当時残念に思ったことが思い出される。
宮沢賢治に関してはこの本に掲載されている「狼森と笊森、盗森」という童話がとても愉快だ。私は初めて読んだ。
彼の特異な擬音(オノマトペ)も彼方此方に出て来て面白い。
火はどろどろ ぱちぱち
火はどろどろ ぱちぱち
栗はころころ ぱちぱち
栗はころころ ぱちぱち
石川啄木の詩は有名な「一握の砂」だ。
歌で言えばさびの部分しか私は知らなかった。以下この本に掲載箇所を引用する。
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一握の砂
石川啄木
二日前に山の絵見しが
今朝になりて
にはかに恋しふるさとの山
汽車の窓
はるかに北にふるさとの山見え来れば
襟を正すも
ふるさとの山に向ひて
言ふうことなし
ふるさとの山はありがたきかな
目になれし山にはあれど
秋来れば
神や住まむとかしこみて見る
神無月
岩手の山の
初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ
岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる虫を何と聴くらむ
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https://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/816_15786.html
この本の最後に掲載されている串田孫一氏の短かいエッセイが特に気に入った。
岩手山は登る山ではなく眺める山であるといっている。
以下引用
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こんな具合におとなしい牛たちと共に草原にいて、立派な姿の山を眺めていられる。山は登るものであり、登りたくなるものだと思っていたのに、今は眺めるものとしての山もあることを知った。私がそれに気付いた時、静座黙考して息を整えなくてはと思った。私は自分が老いて些か弱気になったのかも知れないと自分を疑ってみたが、そうではなくてこれは新しい発見であり自覚であった。
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私は岩手山にもう一度好天の時に登りたい。そう考えている一座だ。
馬返し登山口から登った時は暴風雨だったからである。
※写真1 本の表紙
※写真2 本の扉 「高源」という宮沢賢治の詩が載っている
※写真3 私が岩手山に登ったときの山頂標識(暴風雨)
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