芥川賞受賞作品である「草のつるぎ」と内容的に続編となる「砦の冬」が自衛隊での自身の体験をもとに描かれた作品である。
「草のつるぎ」が佐世保の陸上自衛隊相浦第八教育隊、「砦の冬」が北海道千歳市にある北海道方面第一特科団第四群一一七特科(砲兵)大隊本管中隊での隊員生活が描かれている。
相浦駐屯地(あいのうらちゅうとんち)
https://www.mod.go.jp/gsdf/station/wa/ainoura.html
第1特科団
https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/1ab/
私は現役時代、仕事で九州や北海道の自衛隊各部隊を沢山表敬訪問させて貰ったので、特に任期制の若い隊員達の実の姿を生き生きと、かつ政治色なく描いた二つの作品がとても興味深かった。
彼の作品の描写力、表現力の凄さを感じた一つの例が以下のくだりである。
草の中を匍匐前進する訓練の描写だ。
壕から這い出すときは両肘で小銃をかかえこむ。膝と肘で体を支えてのたくる。草がぼくの皮膚を刺す。厚い木綿地の作業衣を通して肌をいためつける。研ぎたての刃さながら鋭い葉身が顔に襲いかかり、目を刺そうとし、むきだしの腕を切る。熱い地面から突き出たひややかな草。草の中でぼくは爽やかになる。上気した頬が草に触れる。しびれるほど冷たい草に触れる。七月の日にあぶられても水のようにひえきった草が僕を活気づける。
硬く鋭く弾力のある緑色の物質がぼくの行く手に立ちふさがり、ぼくを拒み、ぼくを受け入れ、ぼくに抗い意気沮喪させ、ぼくを元気づける。重い石のごときものが背中にのしかかっている。自分の体がこんなにも重くなろうとは。
ここの表現は、登山をする者の一人として、藪漕ぎの時の気持を良く表現してくれていて、思わずほくそ笑んでしまったくらい同感した場面である。
易しい文体で難しい言葉はほとんど使わずに、何気ない日常の生活や心の葛藤を瑞々しい表現で書いている。
昔で言う私小説でもある。自身の経験が各作品の下地になっているからである。
長崎の諫早市や長崎市、そして原子力爆弾投下の前後を生きた人間のやるせない無力感などがとても共感できた作品であった。
野呂邦暢
1937年、9月20日、長崎市岩川町に生まれる。1945年、諫早市にある母の実家に疎開。8月9日、原爆が長崎市に投下され、原爆の閃光を諫早から目撃する。長崎市立銭座小学校の同級生の多くが被爆により亡くなった。長崎県立諫早高等学校を卒業後、様々な職を経て、19歳で自衛隊に入隊。入隊の年、諫早大水害が発生。翌年の除隊後、諫早に帰郷し、水害で変貌した故郷の町を歩いてまわり、散文や詩をしたためる。 1965年、「或る男の故郷」が第二十一回文學界新人賞佳作に入選。芥川賞候補作に「壁の絵」「白桃」「海辺の広い庭」「鳥たちの河口」が挙がったのち、1974年、自衛隊体験を描いた「草のつるぎ」で受賞。『十一月 水晶』(冬樹社)、『海辺の広い庭』『一滴の夏』『諫早菖蒲日記』『落城記』(文藝春秋)など著作多数。1980年、急逝。享年42。
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