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画家といっても山岳画家として有名な方である。
私は以前長野の安曇野にある「安曇野山岳美術館」を訪れた際、偶々足立源一郎展が開催されていて足立源一郎のことを知ったのだ。
中でも北穂高岳滝谷を描いた作品に魅了された。(写真2)
分不相応にもかかわらず足立源一郎の油絵が欲しくなったがとても高価で手が出ず、その替わりに別の画家、田辺三重松の油絵を購入して部屋に飾っていたときがある。(写真3)
それから足立源一郎の絵は購入できなかったが、本を何冊か上梓している作家でも有ることを知り、この一冊も古本だが購入して読むことになった経緯である。
※安曇野山岳美術館
https://azumino.mt-museum.jp/
https://azumino.mt-museum.jp/artist-01/
脱線:購入した田辺三重松の絵は大雪山が描かれていた。その絵の緑の色合いが素敵だった。その後自宅マンションのリフォームの際、妻の意見に従い所持していた他の絵とともに売却した。(写真3)
「山に描く」は画文集である。私の所持している「山に描く」は昭和53年発行で古書の分類に入る一冊だ。昭和初期の頃の随想や紀行を纏めてあり、著者が新聞等に発表した作品を纏めた本である。
険峻な山に登りそこでイーゼルを立てキャンバスを広げて描く現場仕上げに徹した画家だから、実際に山々に登っている方だ。
この本にも沢山の随想や登山紀行文が掲載されているが、絵として私が特に魅了されたのは北穂高岳周辺を描いた作品だ。(写真2)
足立源一郎の油絵からは山への愛着が強く感じられる。
この本を読んでもその愛着を同様に感じることが出来た。
やはり画家が書いた紀行文なので、非常に繊細な表現、美しい比喩が沢山楽しめた一冊だった。とはいえ古い本なので書体は旧字体で書かれていて、時折漢字の読み方を調べ無ければならなかった。調べて知ること自体も楽しいひとときだった。
例えば(ほんの一部だが)・・・暗灰色(あんかいしょく)と明灰色(めいかいしょく)
舊い→古い
以下は北大山岳部のサイトから転載させて頂いたので時間がある方のみお読み願いたい。
足立源一郎(1889-1973) 画家、作家、登山家
大阪船場生れ。1905年、京都市美術工芸学校(現:京都市立芸術大学)入学。翌年、浅野忠(1856-1907、日本近代洋画界の先駆者)の開設した関西美術院に移り、浅井忠が亡くなると東京に移り、太平洋画会研究所に学ぶ。1914(大正3)年から4年半パリで画業に励んだ。1918(大正7)年、帰国後は小杉未醒、梅原龍三郎らと共に春陽会を創立。1923(大正12)年、再度ヨーロッパに向け出発、1925(大正14)年帰国する。この間、グリンデルワルドなどに入り山の絵を描く。春陽会での会員間のごたごたに嫌気がさし、山への傾斜がより強くなる。1929(昭和4)年ごろより尾瀬、会津燧岳、穂高、剣岳等から、ついに日本各地の山岳いたるところにその跡を残すことになる。1年の大半を北アルプスで過ごし、その制作態度は現場写生に徹し、岩壁にザイルにぶら下がってスケッチするなど、エピソードが数多い。
1934(昭和9)年、日本山岳会会員。1936(昭和11)年、石井鶴三、茨木猪之吉、中村清太郎、円山晩霞らと共に日本山岳画協会を設立した。画材を求めての旅は海外にも及び、台湾新高山、朝鮮半島金剛山、白頭山、満州へと広がっていった。1945(昭和20)年4月、戦争で田園調布のアトリエを焼いて、パリ時代から戦時中の制作の一切を失う。1963(昭和48)年、三度ヨーロッパに向かう。1971(昭和46)年、最後の登山として長屏山へ登る。1973(昭和48)年、最終作『春の穂高岳』を仕上げ、逝去。
「山に描く」内容
山の画家、足立源一郎の画文集である。著者が新聞、雑誌等に発表した37編よりなる随想、紀行をまとめたもので、それに73枚に及ぶ軽妙なスケッチ、11枚のカットなどが各所に挿入されている。 巻頭の「サヴォアの山居」(昭和3年8月)は、ある年の夏に過ごしたスイス、イタリア国境の一寒村での経験を美しい文章でまとめている。
「正しい立錐形に枝をはったサバンの木陰に画架を据えて描いていると、爽やかな朝風に送られてボロンボロンと放牧した牛の鈴の音が響いてくることも屡々であった。時としては径一尺もある大きな長方形の鈴を頸に重たそうにブラ下げた牛の頭がのっそりとパレットをなめるように現れて、仕事の邪魔をすることさえあった。」
北海道の山旅は「大雪山行」(昭和8年8月)、「利尻礼文」(昭和13年8月)、「冬の北海道」(昭和13年1月)の3編が収録されている。利尻岳には鴛泊から登り、鬼脇へ降っている。
「五百米ほど登ると予想通り霧の上へ出て、空は紺青に澄み渡って、はい伏した樺の林の末枝に細かい新緑の緑を輝かせ、その下影には白花エンレイソウの花が一面に咲き乱れていた。ほどなく這松帯となって千二百八十米の一角にたどりつく。ベットリと雪を蓄えた大きな凹地をへだてて主山がピラミッドの二面を見せて泰然とそそり立っている。その雄大さと崇厳さは、北アルプスあたりでも一寸比較すべきが無いほど素晴らしいものである。」
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